電車で席を譲る。
落ちているゴミを拾う。
困っている人の手伝いをする。
倒れた人に駆け寄る。
などなど・・・・・
”親切をした方が良い”
という場面は日常を生きていると、
たまにあると思います。
ただそんな時は誰しも、、
一瞬ですが躊躇した間に、
他の誰かが親切をしたり、
その前を通り過ぎてしまったりと・・・
なんとも、
モヤつくことはあります。
ただそのように、
”親切に躊躇”するなら、
何もする必要はありません。
それは、
優しさではなく、
偽善だからだです。
他人の目が気になったり、
迷惑に思われたらどうしようかと、
自己保身に躊躇をするなら、
なにもする必要はありません。
誰もそれを責めませんから。
あと誰かがやってくれるし。w
大切なのは、
「”優しくする”のではなく、
”優しく在る”かどうか。」
です。
私は救急救命士だったので、
人が倒れたり、交通事故があれば、
反射的に誰よりも早く駆け寄ります。
”在り方”が、
「人を助けて当然」
という状態だからです。
そこに躊躇はありません。
”優しく在る”ことを、
日常的に心がけていれば、
基本は躊躇をしません。
例え偽善だと言われても、
自身の姿勢の問題なので、
他人にとやかく言われても、
何も気にしません。
自身がどのような、
前提、土台、在り方が、
どのような状態かによって、
結論、行動、発言が、
伴ってきます。
「どう在るか?」
の言語化出来ていますか??
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