電車で席を譲る。

落ちているゴミを拾う。

困っている人の手伝いをする。

倒れた人に駆け寄る。

 

 

などなど・・・・・

 

 

”親切をした方が良い”

という場面は日常を生きていると、

たまにあると思います。

 

 

ただそんな時は誰しも、、

一瞬ですが躊躇した間に、

 

 

他の誰かが親切をしたり、

その前を通り過ぎてしまったりと・・・

 

 

なんとも、

モヤつくことはあります。

 

 

ただそのように、

”親切に躊躇”するなら、

何もする必要はありません。

 

 

それは、

優しさではなく、

偽善だからだです。

 

 

他人の目が気になったり、

迷惑に思われたらどうしようかと、

自己保身に躊躇をするなら、

なにもする必要はありません。

 

 

誰もそれを責めませんから。

あと誰かがやってくれるし。w

 

 

大切なのは、

「”優しくする”のではなく、

 ”優しく在る”かどうか。」

 

 

です。

 

 

私は救急救命士だったので、

人が倒れたり、交通事故があれば、

反射的に誰よりも早く駆け寄ります。

 

 

”在り方”が、

「人を助けて当然」

という状態だからです。

 

 

そこに躊躇はありません。

 

 

”優しく在る”ことを、

日常的に心がけていれば、

基本は躊躇をしません。

 

 

例え偽善だと言われても、

自身の姿勢の問題なので、

他人にとやかく言われても、

何も気にしません。

 

 

自身がどのような、

前提、土台、在り方が、

どのような状態かによって、

 

 

結論、行動、発言が、

伴ってきます。

 

 

「どう在るか?」

の言語化出来ていますか??

 

 

無料オンラインサロン

「だーやまの館」はこちら♪

世の中の矛盾を”ぶった斬って”おります!!!

 

 

◯だーやまの考えの投稿を閲覧できる。

◯だーやまとライブ配信で質疑応答ができる。

◯ゲストを招いたライブ配信でトークライブを観れる。

◯気まぐれでサロンメンバーにプレゼントがある。

 

 

興味がある方も、興味がない方もこちらで参加をどうぞ♪

https://www.facebook.com/groups/1108172899358729/