「コロラトゥーラ」という言葉からは「超高音」を連想する人が多いですね。《魔笛》の夜の女王のアリアの影響でしょうか。

ただ、オペラ史の観点からは、「込み入った音型を圧倒的な勢いで歌い上げること」の意味合いの方が強くなります。なので、バスでもテノールでもメゾソプラノでも、コロラトゥーラを求められる場合が多いです。ヘンデルの《リナルド》の異教徒の王アルガンテの登場のアリアのように。

また、ロッシーニの《セミラーミデ》の主人公が歌う〈美しき光が〉という名アリアは、後半部で「込み入った音型が上昇せず、下降してまた戻ってくる」パッセージが特徴的です。初演者のソプラノ、コルブランの声がかなり弱くなってきたから、ロッシーニがそういう「下向きコロラトゥーラ」(私の造語ですよ)を考え付いたという話です。これなど、超高音は全く関係ないコロラトゥーラになります。

一方、同じような観念を、日本の声楽教育の現場では別の言い回しで表します。

それは、私が海外の論文を読んでいて、いままで一度も目にしたことのない言い回しです。だから、研究の言葉と実践の言葉は違うのだなと思います(オペラ事典にも出てこない言い回し:私は声楽教育の現場の人間ではないので、その言い回しは絶対に口にしません。門外漢が関わってはならないと思うのです)。

さて、コロラトゥーラ coloratura という単語ですが、これはもともと、ドイツ語のKoloraturからきた言葉のようです。伊和辞典にも丁寧に書いてあります。なので、「coloratura」という言葉自体も、イタリア人からしたらやや馴染みが薄いのかもしれません。

海外の歌手たちにインタヴューするときは、melisma(メリスマ:伊和辞典の解説が詳しいですよ)と言ったり、コロラトゥーラといったり・・・

それで、今日の講演会では、「coloraturaはcoloraturoとかに変化しないのですか?」というご質問を頂きました。

咄嗟に口から「いや、そういう言い方は聞いたことがないですね。でも調べさせてください」とお話して、ブログに載せるべくいろいろ辞書類を開いてみて・・・

伊和辞典では coloratura は女性名詞でした。
英和辞典だと coloratura を名詞とも形容詞とも捉えています。
仏和辞典では colorature は女性名詞でした。
独和辞典では Koloratur は女性名詞でした。

というわけで、coloraturo といった変化はしないわけです。

ところで、先日ブログに名前を載せた、アメリカの名バス、ジェローム・ハインズは、自著でこんな風に英語で説明しています。

Coloratura: Florid, fast types of scales

この表現は、私が最初に書いた説明と共通する部分が多いです。

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北陸地方の震災の義援金について、新しいお知らせが出ていました。

https://www.jrc.or.jp/domestic_rescue/2024notoearthquake.html

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WCARS(一般社団法人国際総合芸術研究会)のブログです。ご参考まで。
https://ameblo.jp/2022wcars/