プロフェッショナルだと決めるのは大御所や専門家ではなく消費者が出す答えそのもの | 今日が明日へ、明日が未来へ。

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今を生きれば今日1日となり、今日の結果が明日を生む、未来はその積み重ねでしか創れない。
未来は過去を積み上げた成果であり、その日を大切に生きた者しか幸福な未来を創れない。
だからこそ、過去や未来を考えず、今その瞬間を生きる。

とあるライターが書いた書籍を読んでいると、

素人とプロでは書く文章の熱量や新鮮さが違う

だからプロの書いた文章には差が出るんだ。

 

そんな意味のことが書かれてあった。

 

 

この考え方、

一理あるかも知れなが、現実はどうなんだろう?

と思った。

 

 

デザイナーとしても理想的には同様の思いはあるが.....

果たして、それが伝わっているのかは別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パソコンを触ることができればデザイナー」

と言われるほど、世間にパソコンが普及し、

使いやすいデザインソフトも充実する中、

誰もがデザイナーと吹聴する時代である。

 

 

デザイナーとして、

プロとアマの違いは一体何だろうか?

技術力・考える力・学歴・経歴・経験の差.......

 

 

 

 

世間には、専門のデザインスクールなど

デザインを学べる場所は多く存在しているが、

実際に、仕事としてのデザインは別物だと感じる。

 

正直、基礎的な考え方などが不十分でも、

デザインする経験を増やしていくことで

それなりに見栄えだけはよく作れるようになるため、

歴然とした差や違いを感じることは難しい。

 

物事、経験を積むことで上達するのは常であり、

それは疑いようのない事実である。

 

 

 

例えば、会社内で少しパソコンを操作でき、

デザインソフトを使ってチラシを作れる人が、

集客用のチラシを作って客集めに成功する。

 

専門的に見れば荒削りでピンぼけしていても

「集客」という目的を十分達成できている以上

そのデザイン自体は成功していると言えるが

プロのデザイナーと呼べるのだろうか?

 

実際にプロと決めるは誰なのか。

その誰かの評価を受ければプロなのか。

 

 

 

 

お笑いのショーレースを見ていると、

審査するのは同業の大御所やその道の専門家で、

彼らの評価が高く得られれば優勝できる。

 

しかし、お笑い芸人は実際に誰を笑わせたいのか?

誰に評価されることが大切なのだろうか?

審査員?それとも、お客さん?

 

 

たとえその道のプロに高い評価が得られても

客が気に入らないと感じれば本末転倒であり、

何も舞台で披露しなくても、楽屋で人を集めて

好きに評価していればいい、ということになる。

 

おそらく、ほとんどの舞台役者や芸人は

会場に集ってくれた大勢の観客の反応を得るために

日々辛い稽古などをしているに違いない。

 

 

 

 

同様に、

言葉やデザインも消費者の気持ちを動かさなければ

単なるマスターベーションの自己満足に終わり、

目標達成など程遠いと言える。

 

自分が携わる仕事の多くは消費者へ向けた表現で、

そこには必ず何かしらの最終的な目的が存在し、

その目標を達成するために試行錯誤している。

 

 

広告物、特に対消費者へ向けた表現の場というのは

決して自分の思いや考えをぶつける場ではないので、

最終的な目的を見据えて達成させることを考える。

 

そして、一部にしか伝わらない表現などは使用せず、

多くの人に伝える、ではなく伝わることが

大切だと考えている。

 

だから、

一般の人には伝わりづらい高尚な内容や技法など

いくら内々で凄いと評価されたとしても、

それが人に伝わっていなければ意味がないと言える。

 

 

 

 

 

 

冒頭の、書籍中にあった「熱量や新鮮さが違う」、

そぅ感じるのが消費者であれば素晴らしいが、

実際に仲間内だけで納得するのであれば

単なる「あるある」にすぎないことになる。

 

物事の考え方や捉え方などは人それぞれであり、

画一的にまとめ上げることなどできないが、

プロやアマを決めるのは大御所や大先輩ではなく、

それを見た消費者が出した答えそのものだ。