愛について語りたい季節 | 北斗の拳好きすぎるブログ

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たまに他のアニメも語っちゃいます。



念願のリュウケン、ヒョウ様、ハンを入手し書きたい事は山ほどあるのだが、あまりにもの忙しさに疲れたので、マイブームである愛について語ろうと思う。

(最近よく62歳のおじさんと愛について語り合ってる。)



愛とは何か、人によってこたえは様々だが、私にとっては「ぬくもり」である。

これは北斗好きなら説明しないでもわかることなのだが、あえて説明させて欲しい。


家族、恋人、友達、ペット…色んな形があるが、「人(動物)を愛すること」は私たち人間の美しさのひとつである。

しかし、全ての人が平等に愛する喜びに満ち溢れた生涯を送れるわけではない。

愛ゆえに悲しむことも、愛ゆえに苦しむこともある。

それを物凄くわかりやすく表現してくれたのが聖帝サウザーだ。


正直、オウガイを失うまでの過程はもはやどうでもいいだろう。

サウザーにとって南斗鳳凰拳を伝承する儀式、己の宿命などの過酷さは後付けで、「愛するものを失った哀しみ」だけが彼を変えた。

それほど、愛とは人を狂わせてしまうものなのだ。


人は弱く、脆い。


だからこそ愛を背負い生きる事に、耐えられなくなる時がある。


だがそれを「愛の怖さ」と捉え、拒絶したところで、人は結局愛を求める。


なぜなら、誰かを愛すること、誰かに愛されること、愛した過去、愛された過去は、本来は苦しむためにあるものではないからだ。


これがケンシロウの言う、「ぬくもり」である。


誰かを愛する時、愛された時、必ずその瞬間にはぬくもりがある。

例え失ったとしても、その時確かに感じたぬくもりは消えてなくならない。

なのにそのぬくもりを失ったことばかりにフォーカスし、ぬくもりに執着するから愛を見失い、愛にさまよってしまうのだ。



確かにサウザーの言うように、愛ゆえに人はかなしみ、苦しむ。

カイオウのように、愛ゆえの痛みに耐えきれず、心を悪に染め、歪めざるを得ないこともあるだろう。

しかし、一体誰が愛する者を苦しませるために愛するだろうか?


オウガイはサウザーを苦しめるために愛を与えたのではない。

愛の否定は、ただただ沢山の愛で育てただけのオウガイを否定することにもなる。


だからこそケンシロウは、愛ゆえの悲しみや苦しみも全て背負えるのだろう。

そして愛のために闘えるのだろう。


勿論、ケンシロウにだって脆さはある。

最愛のユリアを失ってからしばらく、生きる気力をなくしたこともあった。

だがそんなケンシロウを再び奮い立たせたのは、ショウザの死と黒王の想い…愛だ。


どれだけ打ち砕かれようとも、自分との戦いに勝つことを諦めない。

そうやって人は強くなっていくのかもしれない。



別の漫画の話になるが、ミカサ(進撃の巨人)が物語序盤の方でエレンを失った時、

「死んでしまったらもう、あなたのことを思い出すことさえできない」

と、諦めずに戦う場面がある。


まさに愛である。


愛する人を失っただけでも耐え難い苦痛だというのに、この先愛する人のいない世界で生きていかなければいけない理由なんてあるのだろうか。

そんな、虚しい日々を生きることを諦めかけた時、ミカサはエレンを思い出し、自分まで死んでしまったらエレンが生きた証がなくなってしまうと、何としてでも生きると決めたのだ。





愛する人を失うという辛さ、愛する人との別れの悲しみには、心をえぐるような痛みがある。

だがしっかりとその苦しみを感じることで必ず癒されていくものだ。

辛さ、悲しみ、痛み、苦しみから目を背けるからいつまでも癒えない。

そして、愛を取り戻せない。


そこを逃げずに受け止めることが出来れば、向き合うことさえ出来れば、愛を否定する必要などない。


愛すること、愛されることに怯えずに、愛を与え続けられるかどうかは、結局自分を信じれるかどうかではないだろうか。


それは決して言い聞かせなどではなく、「私は大丈夫」と心から思えるかどうか。


つまりは、自分を愛せているかどうかに繋がるのではないだろうか。


私はずっと、娘や愛猫を失ったら絶対に生きていけないと思っていた。

実際本当に生きていけないかもしれない。

それくらい私にとって、私の人生にとって大切な存在だということだ。


だが、本当に忘れてしまいたいのかというとそうではなく、出来るならずっと覚えていたい。

心がえぐられるように痛くても、苦しくても、体や心で感じたぬくもりは生きてる限りなくならない。

だから私はケンシロウのように愛を背負い、愛のために闘い続けたいと思うのだ。


闘い続ける限り救いはある。

だから私は大丈夫だと思える、根拠のない自信や強さが、人生を良くするのだろう。


いつだって愛をとりもどせ。