わたしの推しマンガ | 北斗の拳好きすぎるブログ

北斗の拳好きすぎるブログ

北斗の拳を心から敬愛するブログ。

たまに他のアニメも語っちゃいます。

 


ブログタイトルがもう既に

ゴリ押ししていますが、

推さずにはいられない

私の大好きな漫画がこちら。





北斗の拳

 

 



1巻だけだと良さが伝わらない可能性もあるんで、

一応5巻までpickしといたんですけど。

5巻の表紙こんなんだったっけ



 

私が北斗の拳を推す理由は...

 

理由がいっぱいありすぎて何から伝えればいいのかわからないまま時は流れて、浮かんでは消えてゆくありふれた言葉だけ。



世界観 


『199X年 世界は核の炎に包まれた

海は枯れ、地は避け

あらゆる生命体が絶滅したかに見えた


だが…人類は死滅していなかった』



という、核戦争によって文明や人々の秩序が失われた世紀末のお話である。


お金なんて「ケツ拭く紙にもなりゃしねえ」し、暴力が支配する無法地帯。

この荒廃した世界というのは絶望的を意味していて、一杯の水のために幼い命が奪われるという、残酷な時代設定となっているのだ。


主人公がケンシロウ 


『北斗の拳』の主人公がケンシロウでなければ、これほどの不屈の名作とはならなかっただろう。

アニメでは極太眉毛が超極太海苔眉毛にされ、やたらと服破り芸もさせられてしまったが、おかげでケンシロウの知名度は爆上がりである。
更には「お前はもう死んで(い)る」という決めゼリフが少年少女の心を鷲掴みにした。当時流行語大賞もとったとかとらなかったとか。

とにかく、ケンシロウというキャラクターの個性の濃さというか癖の強さが、北斗の拳を名作へと導いたのは確かである。


セリフが面白い 


北斗の拳は断末魔が特殊で、「あべし」や「ひでぶ」は有名。ものすごい描写ではあるが、この断末魔によって緩和されているような気がしないでもない。

また、ケンシロウのまあまあなドS発言も私は好きだ。
「くさい息を吐くのはそれぐらいにしておけ」とか、普段からネタ半分本気半分で使いたいものである。


主人公以外のキャラが良すぎる 


シティハンターの海坊主から始まり(別に始まってはいない)ドラゴンボールのベジータ、最近(?)では進撃の巨人のリヴァイなど、主人公と同等、もしくはそれ以上に人気なキャラクターというのはどの漫画にも存在する。

しかし、北斗の拳に関しては存在しすぎるのである。

しかもそれぞれが宿命を背負っていたりするもんだから、とにかく結末が悲しいのだ。
私は、北斗ファンをやらせてもろてかれこれ30年以上となるが、未だに殿堂入りしたキャラは一人だけで、全ての主要キャラに対する愛はほぼ等しい。

こんなに毎回、その時々のメインキャラに心揺さぶられる漫画はないと思う。


人生とか道徳とか学べる 


他にも「第1回ラスボスがやばすぎる」とか、「ヒロインがモテすぎる」とか、「名言多すぎる」とか「雲のジュウザがかっこよすぎる」とかいっぱいあるが、めちゃくちゃ長くなるのでまた別の機会にでもするとして。

アラフォー女がこの漫画を推す最大の理由としては、やはりなんと言っても学びが多いということである。

言うならば、人の心というのは時に世紀末状態となる時がある。酷く荒み、酷く乾く時もあるだろう。しかし、北斗の拳を読めば必ずと言っていいほど、心に希望が湧くのだ。
それは、主人公ケンシロウ含め強敵(と書いて「とも」と呼ぶ)達の生き様が、人であることの意味、人生というものの意味を教えてくれるからだ。

悪に染まることの虚しさ、愚かさ、悪に染まったことの哀しみを知ることで、本当の強さとは何かを知る。

そして、愛を背負い、愛と共に生きることの意味を知る。

結局は「愛」なのだと。

自分の信念の根底に愛があれば、なにも揺らぐことはない。信念を貫く生き様の美しさは全てを凌駕し、人が最も輝く生き方であることを私は北斗の拳で学んだ。

なので私のヒーローはこれからもケンシロウであり続けるだろうし、私をこれほどまでにハマらせた北斗の拳は、生涯推し続ける漫画となるのだろう。




 因みにだが、私は

『アニメ派』

である