現代における美術品の価値、そして美術館の価値、そういった問題を凝視する過程で、
資本経済がもたらす様々な影響、そしてそれが与える人々の感覚の変遷が面白かった。

多分に教育的観点が強いので、税金も投入されるのだが、その本質を理解しての行為ではないようだ。
役人が芸術を理解していなければ酷い。

最近、アートと金についての本を読んだ。有名なギャラリストの方が書いた本で、中々面白く読めた。
日本は世界で一番、美術館に足を運ぶ国民のくせに、アート(特に現代アート)の健全なマーケットができずにいる。ギャラリストはそれを作ることが使命だ、とおっしゃっている。

バブル期にアートの投資で痛い目を見ている日本だからなのか?
それだけではない。
そもそも美術館の始まりも、欧米とは違い、箱ありきではじまり、コレクションの重要性を根付かせずにスタートさせてしまった経緯があり、それも大きく関係している。

様々な行為が試された20世紀美術を経て、21世紀は何を残せるのか。
私はデジタル的な要素も大いに活用してよいと思っている。
それがまた、別の問題をも引き起こすだろうが、物議を醸し、模索することも大切だ。
そうして、第2のダダイズムが起こり、再生が始まる。
マーケットの介入も大きく関与し、作り出される生産アートもこれまで以上に増えるであろう。

しかし、意味不明なものでも、安易であってはならない。
そこに深い意味が、意思がなければきっとつまらない。

納得できる作品を、私も創りたいと思っている。

*読んだ本は『現代アートビジネス』アスキー新書 小山登美夫著
映画とよばれる娯楽は、様々な紆余曲折を経て現在も生き延びている数少ないメディアではないだろうか。

その存在意義、機能は時代により変遷しているが、そもそもの始まりが大衆娯楽なのだから、いかに芸術だと言っても単なる解釈、認識の違いにすぎない。
多様性がなくなったたら、そのものに魅力がなくなってしまうだろう。

そんな映画をこよなく愛す、とは到底言えない私が、表現の面白さということで、自分でも作ってしまっているわけだ。
そう、昨今のコンピュータの進歩は驚異的で、1年は過去のウン十年にも匹敵すし、市場が追いつかないくらいであろう。商品化するまでは、やはりそれなりの時間がかかるから。

そんな恩恵の中で、数十万で映画を撮る機材はそろえられる。
もちろん、その他技術が必要なのは言うまでもない。
そのところ、私は幸運にもとある小さな映像制作会社に勤めることができ、アナログ機器からコンピュータまで実践において習得することができた。
といっても、職種的に凝ったものを作るものではなかったので、短時間でいかにいいものを作るか、というのが前提であったけど。
念のため言っておきますが、AVではございません(笑)
舞台撮影中心の、リアルタイム重視の職でした。
テレビで言えば生放送。

さ、そんなこんなで映画を作ってしまいました。
今のところ2作あります。
どれも知人らを狩り出して、協力していただきました。


案は色々ありますが、さすがに映画は一人では相当偏ったものになってしまうし、
表現の幅が狭くなってしまうので、幾人かは出演、スタッフと欲しいものです。
今はちょっと手が付けられない状況ですが、いずれまた・・・


そう、映画ね、
こよなく愛するではないけども、
それなりには観ていますよ。
何度も繰り返して観るタイプでないだけです。
そんな中でも何回か観た映画がある。

羊たちの沈黙
天井桟敷の人々
タクシードライバー
ゴッドファーザー

2046
さらばわが愛・覇王別姫
ファーゴ
トリコロール三部作
スカーフェイス
ルートヴィヒ神々の黄昏
時計仕掛けのオレンジ
シンドラーのリスト
アメリカン・グラフィティ
生きる

心中天網島
近松物語
西鶴一代女
吉原炎上
・・・
など多分もう少しあるかと思う。


映画の嗜好、というより嗜好自体がそれぞれなんでしょうど、
何故それが好きなのか、という分析はしておくといいかもしれない。
それは自分の発見方法の一つでもあるから。
プログレッシブ・ロック

このジャンルは、今、どのような意味を持つのだろうか。
前衛的、と呼ばれた彼らが残した業績は大きい。
それは最新機器を使い、あるいは超絶テクニックを駆使し、あるいはメッセージ性を重視し、
あるいはまったく新しい音楽の表現を見出すことが必要条件であった。

テクノロジーの進化により、テクノに端を発する打ち込みの世界は多くのシーンを作り上げた。
それはポップス、ロックにも多大な影響を与え、こぞってそのサウンドに取り込み始めた。

CDの登場でみかけの音質は大分向上した。

プログレが実験的音楽であったころの輝きは、今はない。
むしろテクノにその地位を譲っているともいえる。
しかし、プログレ好き、はそれだけでは納得しない。

やはり人間の手による演奏が欲しいのだ。
もはや“プログレ”ではなく、変わり者の異能集団が作り上げる奇跡の普遍的楽曲を求めている。


さて、そんな中でプログレッシブ・メタルとして揺ぎ無い地位を持つドリームシアターの
くそくらえなベスト盤が出た。タイトルもそうもじっている。
正直、空虚だ。
プログレにベストは無い。
アルバム全体が一つの作品だからだ。
デジタルコピー全盛の時代、ベスト盤の意味もかなり薄くなってきたが、
この空虚さが、それなりに好きでもある。
それはプルミーアンダーのリミックスにあるのではない。
コンスタントにアルバムを出し、ツアーを行ってきた、バンドへの
ささやかなボーナスであると思う。
彼らの芯が揺るがない。
死に瀕したメタル界には貴重な創作集団だ。

私は彼らを応援したい。
一昨日の17日、東京国立近代美術館で開催中の
『生誕100年 東山魁夷展』を観に行った。
この美術館は以前、カルティエ・ブレッソン展を観にいったことがある。
このときはあまり時間がなかったので、常設展を観ずに帰ってしまったが。
今回、観ることができた。
というか、今回も前回も雨。その割には平日にもかかわらず、多くの人が来館していた。


東山魁夷は?
いや、とても素晴らしかったよ。
配色のセンス、構図は私の感性と合うものと思う。
ちょっと残念だったのは、アクリル板の反射が激しかったこと。
無いものは非常にしっくり、心を撃った。
照明が意外と明るく、反射がきつかったように思う。
カタログはもちろん購入。


そう、常設展。
ここのコレクションは素晴らしい。
洋邦問わず名画が保存されている。
ちょうど、20世紀美術について本を読んでいたときで、
藤田嗣治や佐伯祐三、白髪一雄の代表作を観ることができる。
クレーやカンディンスキーもある。

コレクションの充実した美術館はいい。