今日のちょいよし
真剣にその仕事をやって、どうしても自分が向かない、こんなことで人生を過ごすのはもったいないと思ったときは、思い切ってパッとやめなさい
ブログ連続1140日目、今日のちょいよし本
釈迦と十人の弟子たち/河出書房新社
Amazon紹介・目次・拝読のきっかけ・効果など
釈迦と十人の弟子たち①を参照ください
もったいない
みなさんは「もったいないお化け」ってご存知ですか?
公共広告機構(AC)が昔CMを流していましたね
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そういえば、家にも絵本があったなと思って探してみると・・・
「あれっ違う・・・くずかごおばけだ」
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くずかごおばけ (せなけいこ・おばけえほん)/童心社
記憶ってほんと不確かなものですね
もったいない
みなさんは物を大切にされていますか?
自分の物ならそうでしょう
でも、会社の備品とか公共の物は?
一転して大切に扱わない人が多いんですよね
どうして、公共の物ってあのように乱雑に扱われるのでしょうか
・使った物を元に戻さない
・雑に扱うから壊れてしまう
・手入れをしないからボロボロ(箱がボロボロなど)
・セットものなのに片方を無くしてしまう
・ホコリがたまっているのに誰も払おうと(拭こうと)しない
こういうのを「始末が悪い」「後始末ができない」って言います
「ケツが拭けない」とも・・・
あっ、お下品でしたね
こういった従業員が多い会社(組織)って、例外なく職場環境が悪いです
環境とは、環境そのもののことも言いますし、人間関係のことも言います
設備は古くても清潔で人間関係の良い職場はありますし、反対に、設備が新しくても人間関係がギクシャクして不穏な職場もあります
後者では、噂話が飛び交っていたり、人の陰口を言い合ってったり、告げ口し合っていたり、人格を否定するようなことを言ったり・・・
ひと言で言うと〝他責〟なんです
こういう人にとっては、自分の境遇が良くないのは環境やまわりの人が悪いからなんですよね・・・
このような会社は、例外なく業績が芳しくありません
職員に覇気がないんですもの・・・
目が死んでる、声にハリがない、口角が下がっている、姿勢が悪い、歩幅が狭い、下を見ながら歩いている、などなど・・・
このような組織には〝諌言〟する人が必要だと思うんですが、そんなことするとその会社での出世(人生)が終わってしまう場合もあります・・・
怖い世の中です
阿難陀(あなんだ)のリサイクル
話が、〝もったいない〟からズレてしまいました
以下に紹介する阿難陀(あなんだ)の話に、とても心を洗われます
古き貧しき時代の日本も、こんな感じだったのではないかな~って思います
▽▽▽
十大弟子の一人阿難陀が、ウーデナ王の侍女たちに説法した折、それに感動した次女たちが阿難陀に500枚の衣を布施しました
ウーデナ王は、それを平然と受け取った阿難陀の真意を確かめよと彼を訪ねて尋ねます
「阿難陀尊者よ、かくのごとき多くの法衣を難にお使いになるのか」
「大王よ、衣が古くなり、いたんだものを着ている比丘たちに分かち与えるのです」
「では、その古い法衣は?」
「大王よ、それは上履きとして用いるのです」
「では、その古い上履きは?」
「大王よ、それはよく洗ってベッドカバーにします」
「では、その古いベッドカバーは?」
「大王よ、地上の敷具に用います」
「では、その古い地上の敷具は?」
「大王よ、足ふき布に作り直して用います」
「では、その古い足ふき布は?」
「大王よ、雑巾として使います」
「では、その古い雑巾は?」
「大王よ、これをよく叩いて、泥に混ぜて、地床を塗るのに使います」
これを聞いたウデーナ王は、お釈迦様たちがものを最後まで大切に使い切ることに感動して、さらに500枚の衣を布施したのだそうです
お釈迦様と阿難陀(あなんだ)たちはウーデナ王から500枚の衣を追加で布施されましたが、現代の企業で言えばリピーターがこれに当たるのではないでしょうか
その企業の製品を買い続けてくれたり、口コミで広げてくれたりする人です
会社の人格のことを〝社格〟と言います
本来の社格とは違う意味で使っていますが、人格でも社格でも、立派な〝格〟には人がついてきます
従業員然り、お客様然りです
今日のちょいよし
真剣にその仕事をやって、どうしても自分が向かない、こんなことで人生を過ごすのはもったいないと思ったときは、思い切ってパッとやめなさい
みやちゃんが大好きな経営者の堀場雅夫氏の言葉
※「もったいない」がキーワードの名言をググってみました(名言ナビ)
「イヤならやめろ!」という堀場氏の本を読んで感銘を受けたことを思い出します
もう10年くらい前かな・・・と思って発売日を調べてみたら「2000年10月」でした(読んだのは2002年か2003年です)
〝おもしろおかしく〟がモットーの堀場氏、仕事は楽しくあるべきと思うみやちゃんの原点はココだったんだと改めて確認できました
阿難陀が導いて(思い出させて)くれたのかも