京都御所 早春 | cvq243のブログ

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           (どうどうの でんしゃやさゆうに うめはいす)

 

 

   

         清所門        

 

   今は普段から御所に入れるので、参観機会が増えました。

 

 

           宜秋門(ぎしゅうもん)    

 

   二条城もそうですが、塀が高いです。

 

   塀に近づけばセンサーが感知してブザーが鳴ります。

 

   皇宮警察のパトカーが来ますので、要注意⚠️

 

 

                 

 

   手荷物検査も、以前ほど厳重ではありません。   

 

   過激な左翼もいなくなったという事でしょうか。

 

 

   御台所跡からが最後の出口です    

 

 

         宜秋門   

 

 

                    

 

 

                 

 

   御車寄(おくるまよせ)は、高位の貴族が参内の際に使用しました。

 

   諸大夫の間・清涼殿・小御所などと廊下で繋がっています。

 

 

                 

 

   諸大夫の間(しょだいぶのま)は、公家や将軍家の使者の控えの間です。

 

   奥の方が身分が高い人が使用し、「虎の間」「鶴の間」「桜の間」です。

 

   「虎の間」「鶴の間」の畳は小紋高麗縁(九条紋)、

 

   「桜の間」は紅絹縁(もみべり)で身分差があります。

 

   紅絹縁は紫縁が変容したもので、五位以上の殿上人が使用します。

 

   「桜の間」は沓脱石から入室しますが、

 

   「虎の間」「鶴の間」は、御車寄から廊下を利用します。

 

 

                 

 

   新御車寄(しんみくるまよせ)は、大正天皇の即位の礼の際に

 

   紫宸殿に入る為に新設された入り口です。

 

   利用される方によって、みくるまよせと呼び分けるのですネ。

 

 

                 

 

   月華門は、紫宸殿南庭西側にあり

 

   東の日華門と相対しています。

 

 

    承明門(じょうめいもん)からの紫宸殿   

 

 

               

 

   建礼門は、天皇陛下・国賓が来られた時のみ、開きます。

 

 

          承明門・紫宸殿       

 

 

        紫宸殿     

 

 

     高御座のパネルが展示されています    

 

   高御座(たかみくら)・御帳台(みちょうだい)は即位の礼の調度品です。

 

   現在のものは、大正天皇即位の礼の時に製作され、

 

   昭和天皇・平成天皇・今上陛下が使用されました。

 

 

    日華門    

 

 

   春興殿    

 

   大正天皇即位の礼で造営され建物で、

 

   三種の神器の一つ「御鏡」を皇居から移し奉安されました。

      

                 

                  

 

 

                   

 

   紫宸殿と小御所、御学問所をつなぐ廊下を潜り

 

   清涼殿へ向かいます。

 

 

          清涼殿        

 

   天皇の日常のお住まいで、政事、祭事などが行われていましたが、

 

   天正18年(1590年)からは御常御殿が日常の場に変わります。

 

 

                

 

   中央の畳の置かれている所が「昼御座」(ひのおまし)です。

 

 

    漢竹(かわたけ)    

 

 

                   

 

   未だ寒いのに、溝にあめんぼうがいました。

 

 

       松明垣に屋根が施してあります     

 

 

      小御所・御学問所      

 

 

     御池庭(1週間前)   

 

 

           御池庭     

 

   海岸を表現する洲浜に、舟着への飛石が置かれています。

 

 

        御池庭に架かる「欅橋」    

 

 

    小御所     

 

   徳川将軍に対する処置を定めた「小御所会議」が有名ですネ。

 

   明治天皇の御前で、徳川慶喜の内大臣辞職、徳川領の納地についての

 

   会議で、徳川擁護の山内容堂、松平春嶽らが、岩倉具視、大久保利通らに

 

   押し切られます。

 

   しかし、王政復古の大号令もと、長州、薩摩が本格的な主導権を握るのは、

 

   1年後の慶喜を朝敵とした、鳥羽伏見の戦いからになります。

 

 

              蹴鞠の庭    

 

 

   御学問所     

 

   和歌の会などに利用されますが、慶応3年(1867年)

 

   明治天皇が親王、諸臣を引見されて、

 

   王政復古の大号令が発せられました。

 

 

                 

 

   個人的に経巻の意匠と考えている、明かり障子です?   

 

 

   御内庭         

 

 

            

 

 

     御常御殿     

 

 

      

 

   

    皇后宮常御殿      

 

 

    御三間(おみま)      

 

 

  右手の方が上段になってますね      

 

 

    半蔀戸の高さが違いますね      

 

 

                 

 

 

     御台所跡     

 

 

            

 

  京都御苑は名水が多いですが、御台所跡にも井戸が2箇所ありました。

 

 

 

                       紅梅