(どうどうの でんしゃやさゆうに うめはいす)
今は普段から御所に入れるので、参観機会が増えました。
二条城もそうですが、塀が高いです。
塀に近づけばセンサーが感知してブザーが鳴ります。
皇宮警察のパトカーが来ますので、要注意⚠️
手荷物検査も、以前ほど厳重ではありません。
過激な左翼もいなくなったという事でしょうか。
御車寄(おくるまよせ)は、高位の貴族が参内の際に使用しました。
諸大夫の間・清涼殿・小御所などと廊下で繋がっています。
諸大夫の間(しょだいぶのま)は、公家や将軍家の使者の控えの間です。
奥の方が身分が高い人が使用し、「虎の間」「鶴の間」「桜の間」です。
「虎の間」「鶴の間」の畳は小紋高麗縁(九条紋)、
「桜の間」は紅絹縁(もみべり)で身分差があります。
紅絹縁は紫縁が変容したもので、五位以上の殿上人が使用します。
「桜の間」は沓脱石から入室しますが、
「虎の間」「鶴の間」は、御車寄から廊下を利用します。
新御車寄(しんみくるまよせ)は、大正天皇の即位の礼の際に
紫宸殿に入る為に新設された入り口です。
利用される方によって、みくるまよせと呼び分けるのですネ。
月華門は、紫宸殿南庭西側にあり
東の日華門と相対しています。
建礼門は、天皇陛下・国賓が来られた時のみ、開きます。
高御座(たかみくら)・御帳台(みちょうだい)は即位の礼の調度品です。
現在のものは、大正天皇即位の礼の時に製作され、
昭和天皇・平成天皇・今上陛下が使用されました。
大正天皇即位の礼で造営され建物で、
三種の神器の一つ「御鏡」を皇居から移し奉安されました。
紫宸殿と小御所、御学問所をつなぐ廊下を潜り
清涼殿へ向かいます。
天皇の日常のお住まいで、政事、祭事などが行われていましたが、
天正18年(1590年)からは御常御殿が日常の場に変わります。
中央の畳の置かれている所が「昼御座」(ひのおまし)です。
未だ寒いのに、溝にあめんぼうがいました。
海岸を表現する洲浜に、舟着への飛石が置かれています。
徳川将軍に対する処置を定めた「小御所会議」が有名ですネ。
明治天皇の御前で、徳川慶喜の内大臣辞職、徳川領の納地についての
会議で、徳川擁護の山内容堂、松平春嶽らが、岩倉具視、大久保利通らに
押し切られます。
しかし、王政復古の大号令もと、長州、薩摩が本格的な主導権を握るのは、
1年後の慶喜を朝敵とした、鳥羽伏見の戦いからになります。
和歌の会などに利用されますが、慶応3年(1867年)
明治天皇が親王、諸臣を引見されて、
王政復古の大号令が発せられました。
個人的に経巻の意匠と考えている、明かり障子です?
京都御苑は名水が多いですが、御台所跡にも井戸が2箇所ありました。