cvq243のブログ

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           (さつきばれ みくまりいしが のこすそら)

 

 

     石割りの松です    

 

 

                 

 

   山門の柱は細川勝元公、創建時、宝徳2年(1450年)の部材です。

 

 

           軒を支える獅子    

 

 

            鏡容池    

 

   六月頃の楽しみでしたが、早くも一面の睡蓮です。

 

 

       龍安寺垣   

 

 

         富岡鉄斎筆「知足」    

 

 

        「雲関」    

 

   碧眼録第八則、雲門和尚の「関」です。

 

   経緯は碧眼録第八則にありますが

 

   関と言い放った雲門和尚の腹の内が分かれば

 

   悟りを得ている人という事になります。

 

   大徳寺の宗峰妙超、妙心寺の関山慧玄がよく知られています。

 

         (無論、私が説明できる事ではありません)

 

 

                   

 

 

           方丈の雲龍図         

 

 

            張即之の「方丈」  

 

 

          石庭の中心「鯨石」     

 

 

       龍安寺石庭     

 

 

             

 

   左の唐破風の入り口から入った人が、初めに目にするのが

 

   この角度からの眺めです。

 

   奥の方へ細く小さく見える工夫で、

 

   庭が広く見えます。

 

   この作庭の技法は、安土桃山時代に西洋文明が入って来てからで、

 

   小堀遠州が得意としました。

 

   ですので龍安寺石庭は、江戸初期のものと考えられます。。

 

   石庭の場所は元、桜の木があって

 

   豊臣秀吉が花見に来てます。

 

   

                   

                       

   方丈の正面の扉の下に獅子がいます。

 

 

         親子障子     

 

   方丈の扉の内側の障子は2枚の障子が

 

   同時に外せる親子障子です。

 

 

        方丈北側     

 

 

      水戸光圀公の寄進による「知足の蹲」    

 

   御三家水戸藩は、大日本史の編纂という事業を

 

   江戸時代を通じて藩をあげて取り組みました。

 

   細川勝元ゆかりの龍安寺さんから、

 

   応仁の乱当時の資料を借り受け、その御礼に

 

   茶室「蔵六庵」の露路の蹲を寄進されました。

 

   日本史に詳しい水戸藩士は、

 

   幕末には勤皇精神旺盛な藩士が行動します。

 

   そう、井伊大老が襲われた桜田門外の変ですネ。

 

 

     唐破風の方丈入り口     

 

 

    石庭の外側は高い土塀です。    

 

 

   鏡容池と衣笠山   

 

 

                 

 

 

          水分石       

 

 

 

                 

                          シラン