(かぜかおる てらにろうしの かげありや)
臨済宗永源寺派、鳳翔山新徳寺です。
江戸時代創建ですが、御所の旧殿が移築されていましたが、
天明の大火で焼失してます。
将軍擁護の目的で上洛した浪士組を
清河八郎が尊王攘夷こそ本来の目的であると
高らかに宣言した場所が、新徳寺です。
袂を分かった芹沢鴨や近藤勇等13名をよそに
200名の浪士組をひきいてえ朝廷へ建白書を提出し
受理されます。
元の御所の旧殿を踏襲して、屋根のラインが
優美なむくり、てりですね。
ここに「屋根葺地蔵」が安置されてますが、
鎌倉時代に嵐で家を壊された老女の為に
地蔵の化身の若い僧が屋根を葺き直してくれたという
伝承が伝わっています。
浪士組は幕命で江戸に帰還させられ、
清河八郎は、倒幕計画を知られて
2ヶ月後刺客に首を討たれました。
近藤の試衛館一派は、前川邸に投宿しました。
芹沢鴨一派は八木邸に寝泊まりしてましたが
乱暴狼藉が過ぎ、近藤勇らの粛正を受けます。
土方歳三らが襲った時の刀傷が柱に残っています。














