(のこされた わずかなきしの しものあさ)
嵯峨広沢学区を流れる有栖川です。
住宅街ですが、夏には蛍が見られます。
北嵯峨の観空寺谷から、大覚寺境内を通り、梅津の上野橋で桂川に合流します。
途中に斎の宮神社が有りますので、嵯峨野に幾つもあった、
野々宮の禊ぎの川として利用されたものと思います。
有栖川の土手の南天にも朝霜が降りていました。
この辺りの地名は、嵯峨広沢御所ノ内町と言います。
後白河天皇第三皇子で、平家追討の令旨を出した以仁王(もちひとおう)の第一王子
北陸宮(ほくろくのみや)が住んでいたので御所の内です。
木曾義仲が北陸宮を奉じ、平家打倒の大義名分とし都入りしますが、
義仲敗死後は嵯峨野で静かに暮し野依宮(のよりのみや)と呼ばれていました。
有栖川は真鴨や小鷺がよく遊びに来ています。 (うん? 遊びじゃない? カモ! )