老いることは不幸ですか?
年を取るとことは色々と
衰えること・・・
50代、60代、70代、80代・・・
で、
老いては子に従え
ということで、
時を経るごとに死への準備が
日々進んでいく・・・・
そして、
病院は大半の人々の死にゆく場所。
亡くなれば
病院の裏側から見送られて
葬儀の道へ。
なんてことを、
仕事柄(IT)、病院にかかわると、
自然に幾度となく見てしまって、
”な~るほど、実感するな~”
というアタシなんです。
家庭も若くて、
一線活躍(?)の人生は、
生活に追われ、
・社会の軋轢もあり、
・責任もあり(組織、家庭・・・)
死も遠い将来のことで、
年を取るなど、まだまだ先のこと
と関係ない漠然たる将来だけれど、
老後の年金、住まいへの備えは
きっちりと生活の柱になっていて、
何のことはない、
経済(貨幣・消費)生活の城壁内
に囲われているという実態で、
城壁に依存して、
”心配してもしょうがない、
そのうち何とかなるだろう”
という漠然、曖昧で、
結局は、
これまでも、そしてこれからも
生活に追われる人が大半という
事実は変わりなく、
だからと言って、
生活に直接かかわる
時事(政治、経済、教育・・・)には
関心を持つ術もなく、必要も見いだせず、
”それは、それ・・・お上が国が・・・”
ってことを、
不満ポーズで愚痴っているだけで、
”そのうち何とかなるだろう”
これが日本全国、平和ボケってこと
なんでしょうか?
いずれ死んでいくのだから、
何だってい~か?
難しいこと考えてもね~。
というわけには
アタシの場合はいかなくて、
子供の頃から、
輪廻転生ということを自ずと信じていて、
この世は修行場で、
その場を見据えて、
自分の価値観を主体的に遂行して
生きて成長していくことがアタシの人生と、
確信して否定することができなくて、
(別の見方からすると単細胞)
結局、
一所懸命今を主体(自立)的に生きる
今が人生!!!!!
ということで、格別に年齢でどうのこうの
ということは、
この世の経済的状況の制約事実を
肯定しながらも
関係ない!
と思って生きているのです。
それを容易にするには、
この世では、商売が一番いい!
とアタシは学生時代に結論づけていて、
それには、
商売やっている人々の生き生きした
人生に幸運にもいろいろと遭遇できた
ことに強く影響されてきていて、
しかも、
創業者という人々に多く接して、
その生き方を盗み取って、
”アタシもこうなりたいな~”
という夢が湧いてきて、
で、今は現実はと言えば、
”こりゃ、足元にも及ばねーや!”
という現状だけれど、
この世のことは来世に繋げるぞ!
という強い意志があって、
老齢化という人の定めには、
さして悲観を感じていないのです。
ああ、それと
親はいつでも子供の教師たれ!
という自覚が強烈で、
見事に死んでいく
そういう姿が親の子に対する最高の教育だ!
じゃなければ、親になった価値はない。
と確信しているのです。
しっかりした教育を子供に施すという
のが家庭の基本的な役割であり、
この構造が構築されては破壊されてきた
のが人間社会の歴史ではないか?
と思っていて、
そういう意味では、
アタシたち人間社会はあっち、こっちの
迷路を歩んでいるのかな?
しかし、
それが徐々なる進歩なんじゃあないか?
とも思っているんです。
永遠かどうかは分からないけれど、
魂の輪廻転生の過程にアタシたちの
今の現状があり、
それは、物理的な衣をまとった
仮想空間なのか?
という、
映画じゃあないけれど、
アタシはコアな現実として
認識しているのです。