飲食は麻薬? | 人生プロジェクトのマネジメント日誌

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人生を一大プロジェクトと見立て、自己完成に向けて邁進する日誌

 

最近よく思うことですが・・・

 

飲食した後の胃の中は、

もう大変・・・ではないか?

 

・・・と、いうこと・・・を・・

 

想像してしまうのです。

 

 

一時の飲食の種類が多ければ、

 

・ご飯

・野菜

・汁物

・肉類

・油分

・魚類

・加工品

 

そして、

・食後デザート

 

これ、胃の中でグチャグチャ。

 

覗いてみたら、

流し台の「三角コーナー」の様相

じゃあないでしょうか?

 

一日中、この類を受け入れる

胃にしてみれば、

 

これは、大変な作業であって、

 

”拷問に近いんじゃあないか?”

 

と、思うのです。

 

”体は本当にそれだけの量を

必要としているのだろうか?”

 

と思うとき、

 

今のアタシは否定的で、

 

まず先に、

バランス(調和)ということを

考えて飲食をするようになって

きました。

 

物を大切にすることも重要だけれど、

 

体を大切にする、思いやることは

もっと重要で、

 

自分の意識の思うままに(我欲)、

それを支えている現場である臓器

を忘れて、

 

まるで、

現場無視の経営のごとき振る舞い

で、

 

健康を保てる分けがない!

 

と、納得しているのです。

 

そこで、

”感謝とか、足るを知る”

これはバランス(調和)の要だと。

 

思うに、

自立するというその土台に、

 

飲食のバランス(調和)があって、

 

しかし、それが

 

現代のような科学(擬似科学)万能

やら、

唯物的な思考・指向

 

が席巻している、

 

経済万能(生産万能)の拝金主義に

より、

 

完全阻害されていて、

 

いつの間にか、

それらに飼いならされて、

 

依存している!

 

という事態にあり、

 

それが世間一般に蔓延して

疑問すら湧いて来ない

 

こんなことになっているのでは

ないでしょうか?

 

 

だいたい、

食べたいものが季節を問わず、

場所を問わず、

 

保存と流通の進展

(決して発展ではありません)

により、

 

後先考える余裕を忘れて

安易に依存してしまうその行為は、

 

なんのことはない、

”麻薬の世界”と類似するものが

あると、

 

アタシは考えるのです。

 

それに嵌って抜け出せず、

 

病気になれば、

”医者にかかればよい!”

 

という洗脳に依存する。

 

どこまで行っても、

依存であって、

 

自分の体を守る、

自立(考える)という世界は

忘却の彼方へ・・・

 

自分を自分で守るという意識

がなければ、

 

いくら、

世の中がどうの、

政治がどうの、

家族がどうの、

・・・

 

と言っても、

欲望から発する不満に過ぎず、

 

しまいに、

アンバランスによって人生を

終えてしまう・・・

 

といことを、

 

アタシは、

飲食と胃の関係から敷衍した

のです。