呆れるほどに輪廻転生 | 人生プロジェクトのマネジメント日誌

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天国と地獄はあるか?

霊能者とかスピリチュアル系の人々、
あるいは宗教では、

その存在を認めている場合が
多いけれど、


アタシ?

わかりません。


しかし、色々考えてきて、

この地球が地獄ではないか?

というふうにかなり強く思っていて、


ここは、

魂の修養と鍛錬の場ではないか?


仏教の百八つの煩悩などは、
その地獄の強力な磁場とも言えて、

それをどれほど振り払うことが出来る
かによって、

この地球という地獄の軽重が決まる
り、

ここで煩悩に浸りきった場合は、

アタシたちが通常言う”地獄”が
死んだ後に待ち受けていて、

ここは、
無限地獄のこと
ではないかという想像をしてしまう
のです。


思うに、
魂というものが物理的な肉体に
閉じ込められていて、

例えて言えば、

アニメのガンダムのような
モビルスーツが肉体で、

その肉体を魂が脳を媒介として
操作している・・・

その脳は魂の動きを極めて規制
する不自由な器官となっていて、

しかし、この器官
煩悩には親和性が強力に作られて
いて、

そこに、魂(良心)と欲望の葛藤が
生じるように仕組まれている・・・

そんな構造になっているのではないか?

ええ、
確たるものは何もないのですが・・・


この地獄での修養は、
寿命という時間の制限があって、

それはなんとも短いのですが、


では、死んだらどうなるか・・・?

となると、

欲望を取り払い修養した確たる
証があれば、

その魂は肉体という物理的制約の
存在から開放され、

欲望に塗れて罪を犯したと判断され
たなら、

魂としての滅亡の前段階である
無間地獄に吸収されていき、

しかし、このケースは非常に少なく、

多くの魂は、
再び地獄に強制送還されて、

延々と修行を続けなければならない・・・

そう、
輪廻転生です。


そんなことになっていないか?

ということを考えてしまいます。


輪廻転生と言っても、
それは修養の繰り返しなのですから、

回数を重ねることによって
魂には磨きがかかってくるはずで、

いつかは、
その輪廻転生も終了して本来の
自由な魂という存在に帰る。

そんな気がするのです。


アタシは子供のころから、
夢かうつつか知らないけれど、

自分の魂が、誰かに見送られて
今の肉体に宿ったという映像を、

微かに認識していて、

このような類の覚えは、
多くの人々が持ち合わせている
気がするのですが・・・

この物理世界の科学では、
おそらくこの状況を解明することは
不可能であろうと思われます。

たとえ、
物理学などで解明の糸口は見つかった
としても、

それは、
海辺の砂浜の一粒程度にしか過ぎない。

それほど、
アタシたちの存在は物理的な世界が
うかがい知ることはできない・・・

そういうことを認識した上で、
アタシたちは、

畏れ(おそれ)を知る謙虚さが大切で、


それが、欲望と闘っている証でもある

とアタシは思うのです。


それには、
呆れるほどの生まれ変わりが必要になっている

というのが、
今のところのアタシの思いなんですが・・・