見た目アップアドバイザー、なるみです。
過去ブログ読んでみてください

「なぜ○○なのですか?」
この言葉を多用すると、
面倒な人だと思われそうで
いつからか私は
解らないコトがあっても
適当に流して(我流で解釈して)
理解するようになっていた。
ですが、最近気づいた。
人の成長は
いかに「小さなコトに気づけるか」
にかかっているコトを。
そのためには「考える」という行為が
必要不可欠。
そしてそれは
「なぜ」という、疑問からくるのだと
思うのです。
なぜこれはこう書かれているのか、とか
なぜあの人はこう言っているのか、とか。
すべての物事の「なぜ?」
つまり「根拠」を知るコト。
それはとても
しちめんどくさい行為に思えるのですが
私が憧れる世界の人々は
そこをいちばん大切にしている。
今の世の中、情報があふれかえっていて
考えなくても
生きていけるようになっている。
ですがそれは
「生きているけど死んでいる」と、私は思う。
堅苦しくいろ、というのではなくて
自分の周りで起きている事象に
真面目に丁寧に向き合うコト。
目の前の世界は自分がつくっていて
自分が放ったものが、
もれなく返ってきているだけ。
優しくいれば優しさが
憎んでいれば憎しみが
温かくいれば温かさが
冷たくいれば冷たさが。
ただそれだけのコトですが、
それらは
真面目に丁寧にいないと、気づけない。
そしてそれは、
日々の生活を丁寧に過ごすコトから始めると
連動して、少しずつ感覚が育っていく気がする。
これは完全に私の経験談ですが

ものすごく小さな例でいうと
モノを丁寧に(音を立てないように)持つ・置く、
動作をゆっくりにするなど。
あとは人から何かを求められたり
助けを請われたら、応える、受け入れる。
出来なくても、いったんは受け止める。
そんなささやかな丁寧さ、真摯さが
周り廻って、自分を成長させると思う。
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「考えるコト」には、終わりがない。
ですが、「考えないコト」は
人を破滅させると思う。
今の自分に何ができるかな?
○○の意味はこうなのかな?など
考えるクセを付けていると
想像力が鍛えられ
広いモノの見方ができるようになってくる。
御年50ですが、まだまだ成長過程です。