見た目アップアドバイザー、なるみです。
 
 
 
 
過去ブログ読んでみてくださいウインク
 
 
 
 
 
 
 
 
先月から始めたアルバイト。
 
 
 
 
 
 
1ヶ月が過ぎましたが
何とか逃げずに通っております。
 
 
 
 
 
 
で、気づいたコトがある。
 
 
 
 
 
過去私は、
兼業を試みたコトが2度ほどあるのだが
(自宅サロン以外で)
そのどちらも、すぐイヤになって
あっという間に辞めているのです。
 
 
 
 
 
今また、兼業をしているのは
おそらく、これは私の中で
やり遂げるべきミッション、
なんだと思うのです。
 
 
 
 
 
 
そして、自分の視点が
その頃より大きく変わっている。
 
 
 
 
 
 
「自分がどうしたいか」ではなく
「どうしたらこの場で役に立てるか」
を考えるようになっている。
 
 
 
 
 
 
以前は全く違っていて
「自分がしんどい」とか
「自分が上手くこなせていない」
にフォーカスしすぎていて
勝手にイヤになって、逃げていた。
 
 
 
 
 
今も、
そんな気持ちが顔を出すコトはあるし
落ち込むときもあるけれど
すぐに結果を求めなくなった。
 
 
 
 
 
出来ない時期を経て
必ずできるようになる、と
長期的にみられるようになった。
 
 
 
 
 
これは間違いなく、勉強のおかげ。
 
 
 
 
 
ゼロどころかマイナスからのスタートを
やり遂げたという、成果があるから。
 
 
 
 
 
 
諦めなければ、必ずできるようになる。
 
 
 
 
 
そこにたどり着くまでの道のりは
みな同じだとしたら
そういうものだ、と
少しココロが軽くなる。
 
 
 
 
 
ずっと「根気がない」と思っていたが
案外そうではない、という
フィードバックなのかも。
 
 
 
 
 
泥臭くていい、
ここを越えた先をみたい。
 
 
 
 
 
小さな石を積み上げるように
コツコツやっていこうと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
見た目アップアドバイザー、なるみです。
 
 
 
 
過去ブログ読んでみてくださいウインク
 
 
 
 
 
 
 
最近、料理が楽しい。
 
 
 
 
 
以前から
作るコト、食べるコトは大好きでしたが
「料理をしている時間」を楽しくいられるのは
自分の何かが変わったからだと思う。
 
 
 
 
 
でね、料理を好きな理由を考えてみたんです。
 
 
 
 
 
まずいちばんに浮かんだのが
結果が早いから。
 
 
 
 
 
数十分の作業で、美味しいまずいが
すぐに判明する。
 
 
 
 
 
次に、無限の可能性があるから。
 
 
 
 
 
味付け、調理法で
同じ食材でも、まったく違うモノになる。
 
 
 
 
 
そして、人を笑顔にするから。
 
 
 
 
 
自分の行為で
誰かが満たされて幸せになってくれる。
 
 
 
 
 
「美味しい!」
その一言で、作った側も満たされる。
 
 
 
 
 
そこに至る手間を、
惜しいなどどは微塵も思わないのです。
 
 
 
 
 
美味しく作るためなら
むしろ遠回り、つまり
小さな手間をかけたい。
例えば面取りとか、出汁を取るとか。
 
 
 
 
 
 
 
料理をしない人が言う、
「面倒くさい」というセリフ。
 
 
 
 
 
私は、
「面倒くさい」は
シアワセから遠ざかるコトバだと思っている。
 
 
 
 
 
どんな小さなコトでも
そこに至る手間をきちんとかけると
完成形の精度が増すし
満足度もまったく変わると思う。
 
 
 
 
 
これを、もっと壮大なコトに置き換えると
今日いちにちを手間をかけて過ごすと
人生が、
とてつもなく満たされたモノになる。
 
 
 
 
 
今の世の中、
なんでもコスパタイパで
簡単にやり過ごせてしまうけれど
あえて不便を選ぶ、手間をかけるコトで
新しい気づきが得られるのではないか。
 
 
 
 
 
時は金なり、と言いますが
意義ある時間は、惜しまず費やすコトが
「金」なのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
見た目アップアドバイザー、なるみです。
 
 
 
 
過去ブログ読んでみてくださいウインク
 
 
 
 
 
 
 
 
「なぜ○○なのですか?」
 
 
 
 
 
この言葉を多用すると、
面倒な人だと思われそうで
いつからか私は
解らないコトがあっても
適当に流して(我流で解釈して)
理解するようになっていた。
 
 
 
 
 
ですが、最近気づいた。
 
 
 
 
 
人の成長は
いかに「小さなコトに気づけるか」
にかかっているコトを。
 
 
 
 
 
そのためには「考える」という行為が
必要不可欠。
 
 
 
 
 
そしてそれは
「なぜ」という、疑問からくるのだと
思うのです。
 
 
 
 
 
なぜこれはこう書かれているのか、とか
なぜあの人はこう言っているのか、とか。
 
 
 
 
 
すべての物事の「なぜ?」
つまり「根拠」を知るコト。
 
 
 
 
 
それはとても
しちめんどくさい行為に思えるのですが
私が憧れる世界の人々は
そこをいちばん大切にしている。
 
 
 
 
 
今の世の中、情報があふれかえっていて
考えなくても
生きていけるようになっている。
 
 
 
 
 
ですがそれは
「生きているけど死んでいる」と、私は思う。
 
 
 
 
 
堅苦しくいろ、というのではなくて
自分の周りで起きている事象に
真面目に丁寧に向き合うコト。
 
 
 
 
 
目の前の世界は自分がつくっていて
自分が放ったものが、
もれなく返ってきているだけ。
 
 
 
 
 
優しくいれば優しさが
憎んでいれば憎しみが
温かくいれば温かさが
冷たくいれば冷たさが。
 
 
 
 
 
ただそれだけのコトですが、
それらは
真面目に丁寧にいないと、気づけない。
 
 
 
 
 
 
そしてそれは、
日々の生活を丁寧に過ごすコトから始めると
連動して、少しずつ感覚が育っていく気がする。
これは完全に私の経験談ですがニヤニヤ
 
 
 
 
 
 
ものすごく小さな例でいうと
モノを丁寧に(音を立てないように)持つ・置く、
動作をゆっくりにするなど。
 
 
 
 
 
 
あとは人から何かを求められたり
助けを請われたら、応える、受け入れる。
 
 
 
 
 
出来なくても、いったんは受け止める。
 
 
 
 
 
そんなささやかな丁寧さ、真摯さが
周り廻って、自分を成長させると思う。
 
 
 
 
 
 
 
「考えるコト」には、終わりがない。
 
 
 
 
 
ですが、「考えないコト」は
人を破滅させると思う。
 
 
 
 
 
今の自分に何ができるかな?
○○の意味はこうなのかな?など
考えるクセを付けていると
想像力が鍛えられ
広いモノの見方ができるようになってくる。
 
 
 
 
 
御年50ですが、まだまだ成長過程です。