ヘアカットの醍醐味って


立体構築の深さ  

精神性の確立  

自我の訓練 



そんなところにあるんだなと思う。



その繰り返しで


自分を成長させていただく。

お客様に喜んでもらえる。

スタッフに教える喜び。

 

技術だけじゃない、大切なことでした🙏


ありがとうございます。


札幌じゅん先生

 



ちょっと美容の話しをちょっと…
 

これからヘアカットの練習をする時

ベーシックなものより
今の流行りのスタイルから学んだ方が
効率は良いだろう。

そして多くのお客様をこなしていきながら
色んなことを学ぶことになり

いずれ 後輩に教える時に
流行が変わってしまえば
本来の教え方に戻り
また一からカット理論から学び直す。

今のスタイルから学ぶ。
そして
ベーシック理論から教える。


(ヴィダルサスーンとバウハウスより)

 


考え方は人それぞれだ。
 
 
ただ日本全国、世界各国の
美容師との交流や行事触れ合いの中で
世界共通のヘアカットの
ベーシック理論を知っていると
意見交換も楽に理解し合える。


そのベーシックカットは
もちろん今のヘアカットの基礎を築いた
ヴィダルサスーン


50年代後半から60年代にかけて
カットの基礎を築き
世界のヘアスタイルの流行を生み出した。





ドラマチックなジオメトリック

1964年 ファイブポイント






片目を失った顧客のために考案された。

1966年 アシンメトリックジオメトリック





東洋の神秘さを誇る
1977年 ボックスボブ




ヘアカットで髪が自由に動き出す

ドラマチックなヘアカラーも素敵。


1989年 スィープ





時は90年代に入り

ファッションがカジュアルになった頃


ヘアカットの世界でもファッションの動きに合わせ

初めてフリーハンドでカットし

世界を驚愕させた

1992年 スターク


(ラガーコレクションより)




 
もちろんヘアカットでだけを見ているのではない。

モデルへの似合わせ、写真の撮り方など
自分の好きなものを集めてみた。

 

ヘアカットを学ぶ時、世界を見る。
ファッションを学ぶ。
 
ロンドンで学ぶ。
ニューヨークで見てパリで遊ぶ。

そして日本流の表現の幅を見つけ出すこと。
 
 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


CUTCUTJUNでは
現在14名が在籍しています


CUTCUTJUN
札幌市中央区PARCO横
パレードビル4階 
 
熱意を込めて…札幌じゅん先生
 



明けましておめでとうございます。

 


 


雪の多い札幌ですが

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?




コロナ禍のこの2年間は

多くの方、大変でしたね。


今年は元気に張り切っていきましょう。

  

 


お正月といえば、お雑煮ですね😊

僕の小さな頃は

正月しかお餅は食べれませんでした。


僕のお雑煮は、いうならば 「もち丼」




お餅を4個も入れました💦

 

お餅が好きなんですよね。

  

年始は 4日(火)から営業します。

今年もよろしくお願いします🙏

 

札幌じゅん先生




父は酒乱でした。
毎日お酒を飲み暴力を振るい
母は、殴られて毎日あざだらけでした






父が三勤交代で、いない夜だけは
母は誰に聞かすでもなく

 
酒を飲んで、ひとりで寂しそうに
なぜかいつもこの歌を唄ってました…







テレビ番組で 昭和の歌姫?的な番組で
第一位が美空ひばりさんでした。
  
 

その中で、この歌が流れた瞬間
なぜか涙が止まりませんでした。



 


両親も亡くなった今、思い出すのは



父の酒乱
父の暴力
家はいつも、父が投げた、から瓶
破れた障子、散らかった部屋
殴られても何ひとつ逆らわない母
いつもお金の金策で走り回っていた母

怯える僕と姉。


だから
父を、恨んでいました。

 
しかし母はとうとう最後まで
父の死まで寄り添っていました。

何百回 離婚すると言い続けてたのに
父の最後(68歳)まで看取りました。
 
 



当時は、弱い母が嫌いでした。


でも、人として母は
強かったのではないかと思ったのは

父の葬儀で母は涙ひとつ見せずに
葬儀をやり遂げ強く見えた時でした。
 


 
何かを言われて、言い返す。
文句を言う。愚痴を言う。

母は、何ひとつ口も出さずに
耐えていたのかもしれません。

 
 
それが良いのかわかりませんが



子供の僕にとっては
弱く見えた母が
惨めに思えて、イヤでした。  


しかし父も亡くなり
母も亡くなった時

母の死化粧でメイクをしてもらってる姿に

また、あれだけ暴力を振われ
まだ想いがあって
天国の父のところへ行くために
お化粧をして会いに行くのだなと
少し、嫉妬しました。



 
どんな事があろうと
愛していたのだ。と確信しました。

女心の奥深さに、胸が熱くなりました。




果たして母は、幸せだったのでしょうか?

それを考えることはないと思ったのは
母は、母の人生を生きたからです‼️


それでいいのです🥲
 
 
今夜のテレビ番組で
忘れていた記憶が蘇りました。
 

なぜだろう? と考えた時
今朝、お水を上げて祈ることを
忘れていたので
母が怒ってたのかも💦




僕は母に怒られた記憶がない。



ただ


愛された記憶しかない。

ありがたいという感謝の気持ちしかない






ひとりの時に母がくちづさんでいた





ひとり酒場で 飲む酒は
別れ涙の 味がする

飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ

酒よこころが あるならば
胸の悩みを 消してくれ

酔えば悲しく なる酒を
飲んで泣くのも 恋のため

 
 

一人ぼっちが 好きだよと
言った心の 裏で泣く

好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける

 
 
僕としては

泣いて怨んで

より


泣いて偲んで

という歌詞に変えてあげたい。





母に愛と感謝を込めて…じゅん先生




「憂(うれい)」

むかしの人の詩にありました。
 


君看(み)よ、双眼の色
語らざれば、憂い無きに似たり。

 
憂い・・・が無いのではありません
悲しみ・・が無いのではありません

語らない、だけなんです。
 

語れないほど、深い憂いだからです
語れないほど、重い悲しみだからです
 

人にいくら説明したって
まったくわかってもらえないから
語ることをやめて
じっと、こらえてるんです。

文字にも、ことばにも
到底表わせない
深い憂い・・・・・を
重い悲しみ・・・・を


心の奥深く、ずっしり沈めて
じっと黙っているから
眼(まなこ)が澄んでくるのです



澄んだ眼の底にある
深い憂いのわかる人間になろう

重い悲しみの見える眼を持とう

君看よ、双眼の色

語らざれば、憂い無きに似たり
語らざれば、憂い無きに似たり



 

相田 みつを「じぶんの花を」より


人の抱える「憂い」は
どうしようもできないものかもしれませんが
具体的に解決する、しないではなく
人と人との温かい関係の中で
瞳の「憂い」の色が
ずいぶん変わるのではないか、と思います。

 
 
 
こんな言葉もあります。

ロックは悩みを解決しない。
悩みを抱えたまま踊らせる。

(ギタリスト・ピートタウンゼント)

 
悩みは解決しないのだけれど
踊ることにより気持ちが軽くなる。
 
 
誰だって悩みはあるが
軽くなり、明日も頑張ろうと
思えることが大切だと思います。
 
 



浜田省吾さんは
ライブの中でもこういった
平和、感謝などをファンのみんなと一緒に
黙祷をされています。


歌で人を幸せにできるって良いですね🙏



お盆は、ご先祖さまの供養です。

今年はお盆も仕事なので
お墓参りはできませんが
時期をずらして感謝の気持ちで
行ってきたいと思います。

 
感謝を込めて…じゅん先生
 


実家があった室蘭で
1981年10月15日 
カットカットじゅん は誕生しました。
 
そのオープンの時に書いた広告の中に

時代が変わっても
ヘアスタイルの基本は
カットだと信じています。


そう書いていました。

その想いは40年経っても変わりません。

 
CUTCUTJUN

  





札幌じゅん先生
 

 





6月26日の誕生日は、両親に感謝する日

父、母がいて、姉と僕が産まれた。

今日までその時々の出会いがあり
多くを学ばせていただいた。

今までは、自分の思い描いて夢に向かって
生きてきたと思っていた。

しかし、全ては導かれて生きてきたのだと思う。

両親と姉に感謝。
そして、出会ってくれた皆さんに感謝します。

6月26日 川根順史はこの世に産まれてきました

若かりし日の僕から美容師になって45年。
写真を見ると、本当に歳を重ねました。





これからも、川根順史を生きて
ありがとうと感謝の思いで過ごします。

ありがとうございます🙏

願わくばいつまでも
ヨウジヤマモトの服を着て
セルジュ・ゲンスブールのように生きたい。
 
00時にメッセージを頂いた。
ありがとうございます🙏
 
感謝を込めて…札幌じゅん先生