花に
咲かなければならない 義務はない。 

ただ咲いて散り 実を付け種を蒔く。 
キレイな花、醜い花というのはない。
どの花も、ただそこに咲いてる… 
  

花を評価しない。
人を評価しない。

肯定も否定もない。





          ただ あるがままに



  
    たくましい雑草ですね👍
   

札幌の桜はまだです。


早く花見がしたいです🌸

 
おやすみなさい🙏
 




小学5年頃から

うまく話す事ができない吃音で

話すことさえ苦痛でした。


大人になってからも

重要な場面で話さないといけない。

千名の前で話さないといけない。

お偉方の前で話さないといけない。


が、緊張してしまい

話すということ自体を意識してしまう。     

    

すると、つっかかって

言葉が出てこないで話せなくなる。


そして、穴があったら入りたいくらいの

自分に対しての恥ずかしさ、悔しさが残る。


この感覚は 本人にしかわからない

 

  

 

しかし、


いつかカット講師になりたいと決意して

有名になりたくて

コンテストも18年も、で続けて

17回のチャンピンを獲り続けた。






スタッフも89回という優勝をした

結果も残せたが


最初は

8人のカットセミナーでも緊張していた。






それが10回、500回、1000回と

続くと、だんだん慣れてきて

 


 



 


千名の前でも、緊張さえしなくなる。




正確に言えば、話し下手と自分で認めた

 



だから

上手に話さなければいけないという概念を解放し

ただ、話す、説明する。 


という気持ちに切り換える。

 

 

 


それは、講師として僕の体験談を

一生懸命に熱意を込めて話して

皆さんに良くなってもらおうと言う責任だ。


その責任で、伝えなきゃ!という

気持ちが一層強くなる。


 


それだけで素晴らしいスピーチになる‼️


 

何でもないことだが






熱意を込めて話す


これこそが1番大切なことです。

  


それに気づいてからは

年に100回を超えるセミナーも

何年も続いてた。

 


独り言です…札幌じゅん先生


  

 


 

NYで、憧れと現実の中で苦しみ

成長された南田稔氏の言葉を紹介します👇

 


苦しければ苦しい時ほど

ほんの小さな光に気づけるものです。


しかし、あの時よく見えた宝石が

自分の思っているような

きれいな宝石ではありませんでした。


それらは、これから迎える

試練の数々でした。


どういうことかと言うと

この試練をひとつひとつ乗り越えることで


試練が宝石に変わっていく


というものでした。

 

常に試され、乗り越えていくたび

少しづつご褒美をもらえるというような感覚です。


     

👆素晴らしい記事に出会いました🙏


熱意を込めて…札幌じゅん先生

 


 






あなたが生活のために
何をしているかはどうでもいいことです。 

私はあなたが何に憧れ
どんな夢に挑戦するのかを知りたいのです。
 

あなたが何歳かということも
関係の無いことです。

あなたが愛や夢や冒険のために
どれだけ自分を賭けることが出来るかを
知りたいのです。
 

あなたが、どの星座の生まれかということも
どうでもいいことです。 

あなたが本当に深い悲しみを知っているか
人生の裏切りにさらされたことがあるか
それによって傷つくのが怖いばかりに
心を閉ざしてしまっていないかを
知りたいのです。
 

あなたが自分のものであれ、人のものであれ
傷みを無視したり、簡単に片付けたりせずに
それを自分のものとして
受け止めているかどうかを知りたいのです。
 
 

又、喜びの時には
それが私のものであれ、あなたのものであれ
心から喜び、夢中になって踊り
恍惚感に全身をゆだねることが
出来るかを知りたいのです。
 
 

気をつけろとか、現実的になれとか、
たいしたことではないさ、などとは云わずに。
 

私は、あなたの話すことが
本当かどうかには関心がありません。

私は、あなたが自分自身に正直であるためには
他人を失望させることさえ
あえてすることが出来るかどうかを
知りたいのです。
 
 

たとえ、裏切りだと責められても
自分自身の魂を裏切るよりは
その非難に耐える方を
選ぶことができるかどうか。
 

たとえ、不実だといわれても
そんなと時に、あなたがどうするかによって
あなたという人が信頼に値するかどうかを
知りたいのです。
 
 




私はあなたが
本当の美がわかるかを知りたいのです。  

それが見た目に美しく見えない時でも
毎日そこから本当に美しいものを
人生に汲み上げる事ができるかどうかを。
 
 

私は、たとえあなたが失敗しても
それを受け止めて
共に生きることが出来るかどうか

それでも湖の縁に立ち
銀色に輝く満月に向かって
イエスと叫ぶことが出来るかどうかを
知りたいのです。
 
 

あなたがどこに住んでいるか
どれだけお金があるかは
どうでもいいことです。  

 
 
それよりも
あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ
どんなに疲れ果てていても

また朝が来れば起き上がり
子供達を食べさせるために
しなければならないことを
するかどうかを知りたいのです。
 
 

あなたが誰を知っているか
あなたが、どうしてここにきたかは
関係ありません。  
 
私と共に、決してひるまずに
炎の只中に立つことが出来るかどうかを
知りたいのです。
 
 

あなたがどこで、何を、誰と勉強したかは
どうでもいいことです。  
 
私が知りたいのは、皆が見捨てて
たったひとりになった時
あなたの内側から
あなたを支えるものは何か
ということです。
 
 

私はあなたが自分自身としっかり向き合い
その何もない時間の中にいる自分を
心から愛しているのかどうかを
知りたいと思っているのです。

 
深い言葉の数々ですね😊

#オライヤマウンテンドリーマー
#ネイティブアメリカン #長老 #名言
北海道のテレビ HBC
夕方の番組 今日ドキッ

こんな感じで紹介される





レジェンドと言われるのは嬉しいこと。





次回は変身コーナーだ。


ディレクターの藤澤さん
ありがとうございます^_^


感謝を込めて…札幌じゅん先生






5人の賢人が紹介された本が
Amazon 2部門で1位になりました。


  賢人の木は魔法使いの森に生えている




ベストセラーという称号を頂きました。

👏👏👏👏👏👏👏  👈大拍手のつもり💦

 
著書のように 魔法使い という
タイトルがついていますが

ラーメンが好きで(嫌いな人は少ないよね)

元祖 味噌ラーメン といえば 
全国でも有名な 札幌 味の三平 




いつも帽子を被っているので
オヤジさんに 魔法使い🧙‍♀️だと呼ばれ
今日も杖に乗って来たのかい?と言われてます。
(関係ないですが…💦)


イギリスは特に スピリチャルな
その系が多いですよね。


ハリーポッターでも魔法使いなどが登場し
ワンド(魔法をかけるときの杖)など出てきます
 
 


その昔 賢人といえば
森の中で話し合いなどをしたそうです。

なぜかというと
森の中の大きな木の下で話し合いをすると
知恵がどんどん湧いてくるそうです。


それは
大きな木というのは
隠れた地中に、大きな広がった根が生えて
まさしく その広がった根が
地球の他のモノとのネットワークとして
色んなことを吸収しているそうです。
 
 
 


東京などで活躍されてる方と一緒に
美容師として
賢人のひとりとして紹介されて光栄です。

インタビューでの内容が
そのまま本になりました。

イギリス在住の小宮ベーカー純子さんに
2時間以上もインタビューされました。

僕のヘアカットのお客様でもあります。
いつもイギリス半年、日本半年の生活

今回はコロナにぶつかり
イギリスへ帰れないそうです😆




テーマはひとつに絞られました。

「じゅん先生が18年もかかって
 ヴィダルサスーンのチャンピオンを獲った
 瞬間の事を聞かせてください」

それだけで一冊の本になるなんて🤣

 
そして出来上がったのが
サスーンコンテストで優勝したときの作品
アシンメトリーカットから
こんなタイトルがつきました👇







もっともっと人生の話題や
カットコンテスト17回も優勝し
スタッフなどは89回も優勝させてあげたこと

僕が吃音で
消えてしまいたいほど
情けなくて恥ずかしかったことを
克服したことなどたくさん話題があるのに💦

 
話した事を録音してもらいたいです
文字起こしも大変だったかと思います。

サンジェルマン出版からの著書
本当に感謝しかありません🙏

 
一位を獲得するまでの経緯の
大変さが描かれています🤣

JUJUこと小宮ベーカー純子さんの記事

詳しくはこちらで👇


感謝を込めて…札幌じゅん先生 






テレビ、いよいよ明日水曜は、テレビですよ。
 



HBC 「今日ドキ」 16時からだよ👍😊

グッチーさんの番組ですね。




 
2011年の東北震災の時までは
STV さとうのりゆきさんのトークde北海道
変身番組 「美熟女図鑑」

HTB イチオシ 変身コーナー
HBC 今日ドキッ など

3つの番組の
変身コーナーを担当していましたが

震災のため、テレビからバラエティ番組が
消えましたね。

それ以来なので僕自身楽しみです。
 

今回のテーマは
ご自宅でできる若返るブロー仕上げ。
おうち時間を有効に使い、似合う、若返るための
ブローテクニックをご紹介。




そしてメイクアップアーティストのよねた りな先生
マスク越しでも若く綺麗に見えるメイクテクニック👏
 


モデルさんは、南 彩血さまと谷口 美和子さま。
お二人とも、ミセスジャパンなどのイベントで
アシストをしてらっしゃる頑張り屋さん👏



ご協力ありがとうございます🙏
 
 
 
HBCテレビ藤澤 洋介ディレクターに感謝です。



北海道 11チャンネル。
 
次回は大好評だった大変身コーナーも
やるかもしれませんのでお楽しみに。
 
お楽しみに…札幌じゅん先生


3歳と6歳のお子様をヘアカット。

ついでに髪も染めましょう‼️と僕から提案。




出来上がったら
こんなにも👇



ほんの少し染めただけで
こんな満面の笑顔で喜んでくれた。



嬉しいですね😊

1秒タオル大好評中




感謝を込めて…札幌じゅん先生


「焼き場に立つ少年」




1945年8月6日、広島
9日は長崎に、悪魔の原爆が落とされた日

8月15日は、終戦の日です。
ご先祖さまに手を合わせたいと思います🙏


『アメリカはきのこ雲を見て
    戦争は終ったと思っていた。

でもそれは、この70年に渡る
生き残った日本人にとっての
苦しみの始まりだったのだ』




核弾頭により死んだ弟を背負って
焼き場に立つ少年。

無念な兄、これから一人で
生きていかなければならない少年は
何を思うのだろう。

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


佐世保から長崎に入った私は
小高い丘の上から下を眺めていました。

すると
白いマスクをかけた男達が目に入りました。

男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで
作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に
次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が
歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて
幼子を背中に背負っています。

弟や妹をおんぶしたまま
広っぱで遊んでいる子供の姿は
当時の日本でよく目にする光景でした。

しかし、この少年の様子は
はっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという
強い意志が感じられました。

しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で
目を凝らして立ち尽くしています。

背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか
首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに
5分か10分立っていたでしょうか。

白いマスクの男達がおもむろに近づき
ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。



この時
私は、背中の幼子が既に死んでいる事に
初めて気付いたのです。

男達は、幼子の手と足を持つと
ゆっくりと葬るように
焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける
ジューという音がしました。

それから、まばゆい程の炎が
さっと舞い立ちました。

真っ赤な夕日のような炎は
直立不動の少年のまだあどけない頬を
赤く照らしました。
 
 

その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に
血がにじんでいるのに気が付いたのは。
 

少年が、あまりきつく噛み締めている為
唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に
赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると
少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま
焼き場を去っていきました。

(インタビュー・上田勢子)
[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]

 
 

 

一枚の原爆の写真が
注目を集めています。

皇后陛下が、去年亡くなったひとりのカメラマンと
その写真について述べられたのです。

宮内庁ホームページより
『焼き場に立つ少年』と題し

死んだ弟を背負い
しっかりと直立姿勢をとって立つ幼い少年。
その姿が、今も目に残っています。

撮影したのは
アメリカ海兵隊第5師団に属していた
ジョー・オダネル軍曹。
去年の夏、85才でこの世を去りました。

1945年、8月9日、一発の原子爆弾が
長崎を焼き尽くし、7万4千人が死亡しました。





占領軍として長崎に入ったオダネルの任務は
原爆の破壊力を記録することでした。
この時オダネルは、軍の命令に背き
密かに、30枚の写真を撮影していました。
しかし、写真はその後、長い間公表されることなく
封印されてきました。


写真が隠されていたトランク。
オダネルは晩年、ここから突然写真を取り出し
公表を始めます。
なぜ封印していた写真を公表したのか?
その思いを告白したテープが
今年、遺品の中から見つかりました。
オダネルの30枚の写真が、今、わたしたちに
戦争の意味を問いかけています。


オダネルのテープより

『アメリカはきのこ雲を見て
戦争は終ったと思っていた。
でもそれは、この50年に渡る生き残った日本人に
とっての苦しみの始まりだったのだ』


アメリカ・ネバダ州での収録

長崎の写真を残したジョー・オダネル。
その息子の、タイグ・オダネル(38)さんです。

ホテルで働き
写真とは無縁の生活を送っていたタイグさん。
去年父が亡くなり、遺品として
写真を引き継ぐことになりました。

1990年、オダネルは
長崎の写真を引き延ばして
アメリカの各地で写真展を試みました。

しかし、原爆の写真を受け入れる施設は
ほとんどありませんでした。

本に掲載してもらおうと全米の出版社を回りましたが、回った35社
すべてに断られました。

終戦から50年目の1995年
スミソニアン航空宇宙博物館で
ようやく決まった写真の展示も
地元の退役軍人の激しい反対で
中止に追い込まれました。

家には嫌がらせの手紙が来るようになり
地元の新聞には、オダネルを批判する投書も
目立つようになりました。

幸せだった家族は、トランクを開けてから
一気に崩壊、妻エレンさんは、夫の行動を理解できず
離婚しました。

原爆投下が戦争を終らせ
犠牲者を減らした。



母国アメリカの正義を前に
オダネルは孤立を深めていきました。

 
 

1945年、あの原爆はやはり間違っていた。
それは100年経っても間違いであり続ける。
絶対に間違っている。絶対に。
 

歴史はくり返すと言うが
くり返してはいけない歴史もあるはずだ」
 
 
 

封印していた写真と再び向き合ったオダネル。
70才を過ぎてから日本でも写真を公開し
体験を語る活動を始めました。

オダネルは、谷口稜嘩さんと
十年に渡って交流し、共に日本で
原爆の過ちを訴えて回りました。

オダネルが最も気にかけていたのは
焼き場に立つ少年でした。
谷口さんのように再会できないか。
日本でその行方を探していたと言います。
 

ラマーズ氏:
オダネルは、この写真の少年に
とても思い入れがあった。
あの時、少年の肩を抱き
なにか励ましの言葉をかけたかったと
いつも話していた。
しかし、できなかったと…

日本で写真展を開きながら
オダネルは、少年の行方を探し続けました。

誰か知っている人はいないか、家族は生きていないか
と、全国各地を訪ねて回りました。
 
 

日本とアメリカを行き来する生活する中で
オダネルの病状は悪化していきます。
背骨の痛みは深刻になり
皮膚ガンは全身に転移していました。

そして去年の夏、ジョー・オダネルは
85才で息を引き取りました。

その日は奇しくも
長崎に原爆が落ちたのと同じ8月9日でした。

  
 

テープより
「アメリカ人が好むと好まざるとに関わらず
8月6日と9日は毎年やってくる。
嫌がらせの手紙や投稿が、どんどん集まってくる。

『お前は裏切り者だ』
『アメリカが嫌なら日本に行け』と。

『オダネルを批判する人たちに言いたい。
まず図書館に行け。私がしたように。

原爆とは何だったのか、何をしたのか
図書館に行って、歴史を勉強してから批判しろ。

図書館に行け。
あなた方は教えを受けるだろう』
 
 
 

写真に、批判の声が集まり始めます。

『広島と長崎への原爆投下は必要だった』
『謝る必要なんてない』

しかし、父の時代には見られなかった声も
寄せられています。

『長崎の少年を見ました。
悲しみに耐えている姿に、胸が締めつけられました。
原爆の写真で
こんなに心を動かされたことはありませんでした』

テープより
「たとえ小さな石であっても
池に投げ入れたら、波紋は広がっていく。

それは少しずつ広がり
いつか陸に届くはずだ。

アメリカという陸にも、届く日が来る。
誰かが続いてくれれば
波紋はさらに広がっていく。

そしていつか
誰もが平和を実感できる日が来ると
信じている」

http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9

報道写真家 ジョー・オダネル撮影
「焼き場に立つ少年」
(1945年長崎の爆心地にて)

歴史は繰り返すというが
繰り返してはならない歴史もあるのだ。
(カメラマンの言葉)

 

僕の亡き母も、広島出身。
長崎で被爆された親戚もいる。
 
 
繰り返してはいけない。

それが戦争です。


ギックリ腰もだいぶ良くなってきました。
電気風呂もかなり効果的です。
早く回復できますように🙏

 
熱意を込めて…札幌じゅん先生


もうすぐ終戦記念日が訪れようとしています。

日本の広島、長崎に原子爆弾が落とされ
敗戦として歴史にありますが

シンガーソングライターの浜田省吾さんは

核が全世界から無くならない限り
愛の世代など あるはずがない!

と、云ってます。



愛の世代の前に」浜田省吾 1981年発売





レコードジャケットに記されているのは
I was born in 1952
つまり浜田省吾さんが生まれた年ですね。




なぜこのアルバムが今でも好きかというと
もちろん楽曲の良さもありますが

僕が初めて美容室を
1981年に北海道室蘭にオープンした年と
アルバム発売が同じなので良く覚えています。



室蘭にて1981年10月15日
「美容室カットカットじゅん」オープン。

同じ年に発売された浜田省吾さんの
アルバムには
勝手に、僕と同じ歴史を感じています。
 
 

この中で浜田省吾さんは



浜田省吾さんは広島生まれであり
原爆を受けた両親がいるので
核兵器などに非常に興味を持たれています。

僕の母の実家も広島であり
親戚は長崎で原爆を被曝しています。
 
愛の世代 だなんて
良く名づけた言葉だなぁと思います。






ちなみに
浜田省吾さんのソロデビューは1976年。

僕が美容師の国家試験合格も、1976年。

つまりデビューが一緒なのです。
(自慢にもなりませんが💦)

 


2016年の浜田省吾さんの40周年記念のライブは
思い入れが強すぎて
なぜかわかりませんが

感謝の気持ちが一杯で
一曲目から最後まで泣いていました。



終わりには、僕も信じられませんが


ありがとうーー省吾ーーー」と

大きな声で叫んでいる自分までいました😂






なぜかというと…

書くと長くなりそうですが🤣
 
 
40周年の札幌ライブに行くにあたり
一曲目は何を歌うだろうと予想をしていました。

なぜならデビュー曲をどこに持ってくるか?
に、僕は非常に興味を持っていましたから。

 
僕なら
終わってアンコールで

「最後に、僕はこの歌でデビューしました」

と、デビュー曲を最後に持ってくるのではないか?
と、思っていたり
 
 
いやいや、浜田省吾さんの性格から
一曲目から デビュー曲「路地裏の少年」を
やるに違いない。

当日まで、ひとりで悩んでました。
(悩む意味がわかりませんよね💦)


 
 
当日の一曲目、予想通り
1976年のデビュー曲のあの伴奏が入った瞬間

ドドドーーーと、涙が溢れていました🤣

あの頃の思い出が 一瞬で蘇り
周りを気にせずに真っ直ぐに頑張ってた自分と
今の自分が重なって
涙もろくなったと思います。

だから歌っていいですよね。



ライブの一曲目がなんであろうと関係ないですが
そんなところが気になるのですね。 僕は…😅



今では
美容師になって44年になりますが
その頃のことや
当時まだ売れなかった浜田省吾さんのことは
知ってましたので感慨深いものがありました。


 


こんな時間まで寝れずにいました。

いろんなことが今でもありますが
いつも、自分が
悩んでいる時、もろくなりそうな時などは
寝る時に、浜田省吾さんの歌を聞きながら

まだまだ、がんばらなきゃ!と
勇気づけられるのです。

こんな人 多いのではないでしょうか?
もう、長い間の習慣になっているようです。
 
 
久々に長いブログを書いてます。

8月15日は日本人なら
永遠に忘れない日になることでしょう。
 

ご先祖さまに感謝しながら
眠りにつきます🙏


感謝を込めて…札幌じゅん先生






 



6月26日は僕の誕生日。

そして両親と姉に感謝する日です。

もう3人とも天国へいっちゃったけど
見守ってくれてるはず🙏




ありがとうございます😊

札幌じゅん先生