「憂(うれい)」

むかしの人の詩にありました。
 


君看(み)よ、双眼の色
語らざれば、憂い無きに似たり。

 
憂い・・・が無いのではありません
悲しみ・・が無いのではありません

語らない、だけなんです。
 

語れないほど、深い憂いだからです
語れないほど、重い悲しみだからです
 

人にいくら説明したって
まったくわかってもらえないから
語ることをやめて
じっと、こらえてるんです。

文字にも、ことばにも
到底表わせない
深い憂い・・・・・を
重い悲しみ・・・・を


心の奥深く、ずっしり沈めて
じっと黙っているから
眼(まなこ)が澄んでくるのです



澄んだ眼の底にある
深い憂いのわかる人間になろう

重い悲しみの見える眼を持とう

君看よ、双眼の色

語らざれば、憂い無きに似たり
語らざれば、憂い無きに似たり



 

相田 みつを「じぶんの花を」より


人の抱える「憂い」は
どうしようもできないものかもしれませんが
具体的に解決する、しないではなく
人と人との温かい関係の中で
瞳の「憂い」の色が
ずいぶん変わるのではないか、と思います。

 
 
 
こんな言葉もあります。

ロックは悩みを解決しない。
悩みを抱えたまま踊らせる。

(ギタリスト・ピートタウンゼント)

 
悩みは解決しないのだけれど
踊ることにより気持ちが軽くなる。
 
 
誰だって悩みはあるが
軽くなり、明日も頑張ろうと
思えることが大切だと思います。
 
 



浜田省吾さんは
ライブの中でもこういった
平和、感謝などをファンのみんなと一緒に
黙祷をされています。


歌で人を幸せにできるって良いですね🙏



お盆は、ご先祖さまの供養です。

今年はお盆も仕事なので
お墓参りはできませんが
時期をずらして感謝の気持ちで
行ってきたいと思います。

 
感謝を込めて…じゅん先生