町内会の神輿を神社の拝殿前へ持ってきて神主さんにお祓いをしてもらう事を宮入り(みやいり)と云います。一方、神社の神輿庫に置いてある本社神輿を神社の鳥居や門の外へ出す事を宮出し(みやだし)と云います。

 神社の氏子は大人だけではありません。子供だってもちろん氏子なんです。だから子供神輿もちゃんと宮入りさせて神主さんにお祓いをしてもらうと云う伝統的な習慣を身に付けさせて欲しいです。でも町内会の役員さんは大変で、晴れたら子供の熱中症の心配をしなくちゃならんし、雨が降ったら風邪を引かせないようにしないと、モンスターペアレントから苦情が出かねない(^ω^)

 神社ってのは水没しないようにだいたいがその地域の高台に作られているのですが、地形によっては宮入りしにくい神社ってのがありますね。その典型が藪さんローカルの簸川神社。御殿坂上の高台の町会は裏口の坂から宮入りできるけど、御殿坂下の町会が宮入りするのは困難です。

 湯島北町会の子供たちが着ている半纏の背中には「切通し」と書いてありますが、春日通りが切通しになってなだらかになってなかったら、とても神輿を湯島天神へ宮入りさせる事はできません。

 神様へのご挨拶は基本的に、二礼、二拍手、一礼です。脱帽が基本ですが、祭の鉢巻は冠と考えて取らない場合が多いようです。

 撮影データ・・・平成29(2017)年5月27日(土)お昼 湯島天神

 藪さんは子供神輿が好きだ。何故なら神輿を担ぐ意味を知らずに、夏休みのラジオ体操と同じでお菓子を貰うために純粋に担いでいるからだ。

 もちろん大人だって神輿とは何なのかをほとんど知らずに担いでいる。多くは神輿を担ぐのは威勢のよさを見せるためだなんてとんでもない誤解をしている。肩にできた神輿ダコを自慢しているえなかもんもいる。

 神輿とは神様の乗り物なんです。ですからほとんどの町会では、神輿を担ぎ出す前に神主を呼んで神輿に神様の魂を入れる御霊(みたま)入れの儀式をします。神輿は神様の乗り物なのに担ぎ棒の上に人間が乗ったりしている。お前は神様なのか? しかも神様の御霊が入った神輿本体に、フンドシのケツを向けたりしている。

 神田祭と云ったら江戸の伝統的な祭りなんだと思います。でも今年の神田祭をインターネットテレビで見る限り、旧神田市場の神輿の担ぎ棒の上に三人が乗っていた。あれはダメでしょう。

 時代劇ドラマの暴れん坊将軍のエンディング映像では、貧乏旗本の三男坊と称する新さんが神輿の担ぎ棒の上に乗っている。あれはダメだろとテレ朝に電話しようと思った藪さんは考えた。

 鳶のめ組の居候と云う設定の徳田新之助は八代将軍吉宗なんですね。江戸の祭りってのはそもそも、江戸を新興都市として発展させるべく無税にした事に対する将軍家への感謝の気持ちから、大手門前で神輿を担いで将軍様を喜ばせるって事から始まったとされています。だから本当は将軍様の新さんだけは神輿の担ぎ棒の上に乗ってもいいんだろうと思います。

 撮影データ・・・平成29(2017)年5月27日(土)お昼 湯島天神

 「けもの道」と云うのは、一般的には野生動物が野山を歩いた時に、下草を踏み付けてできる道の事で、人間が計画的に作った道路ではなくて、野生動物が必要性に迫られ野山を安全に通行できる通路としてけものが通る自然に出来た道と云う事になるのだろう。

 だから本来は野生動物がほとんど生息しない都会には、けものが通るけもの道はない。しかしながら、野生動物ではないけれども、放し飼いになっている猫は、塀の上を通ったり細い道を通ったりと、だいたい通行する道は決まっていて、どこでも通る訳ではないと思います。興味のある方は観察してみて下さい(^ω^)

 一方、比喩的にではありますが、都会の道路でも非常に狭くて曲がりくねっていたりする道の事を「けもの道」と云ったりしますね。藪さんローカルは白山通りとか春日通りのような、メインストリートを除くと道路の拡幅工事や区画整理が行われていないので、裏道へ入ると道幅が狭い為にほとんどが一方通行であり、しかも坂道になっていたり、崖になっていて行き止まりの袋小路と云う狭い道がたくさんあります。

 文京区の超ローカルな地形の話で恐縮ですが、以下のクリップの最後で、藪さんが白山通りを右折した道路から、小石川植物園脇の御殿坂間は、白山通り側(東方向)へ出る道路はすべて白山台地の崖で行き止まりになっていて、白山通りには出られませんので注意して下さい。

 日曜日なんか、小石川植物園へ来た人が帰る時に、袋小路に入り込んでしまって途方に暮れている人がたくさんいます。もと来た道を引き返すのがベストで、他の道を通って帰ろうなんて云うのは大間違いです(^ω^)

 撮影データ・・・平成26(2014)年4月29日(火祝)午前七時過ぎ 根津神社~白山通り

 湯島天神には入り口が四ヶ所あります。南側の表鳥居と西側の春日通り側の唐門(からもん)。その他に、東側の男坂と女坂と言われる階段のある入り口。北側の春日通りの湯島切り通しにあるのが夫婦(めおと)坂と言われる階段です。

 湯島天神は神田明神同様に本郷台地に造られてますので、天神下に至るには長い階段になります。

 撮影データ…令和7年5月25日(日)

 木に勝手に自分独自の名前を付けて、ブログ等でそれを使ったとしても著作権違反にはならないと思います。

 と言う事で私は8年ほど前に勝手に、湯島天神の夫婦坂に生えている50センチほどの白梅の木を「藪さん梅」として、湯島天神へ行くたびにその成長を見守ってきました。

 その間軽い脳梗塞と思われる症状で倒れて入院したりして、要支援2と言う介護認定を受けて週に二日デイサービスに通う身の上となりました。ですからかつてのようには祭りの取材に出掛けられないのが残念です。

 でもフレイル状態老人にならないために、リハビリの一環としてできるだけ皆様のご迷惑にならないように、祭りの取材に出掛けています。

 ちなみに私が時々「藪さん」と言っているのは、私がかつてヤフーブログとFC2ブログで20年近く使っていたHN(ハンドルネーム)です。ちなみにその出典は・・・落語の「幾代餅」に登場する藪医者の「薮井竹庵」です。

 撮影データ・・・令和9(2025)年5月24日(土)10:11 湯島天神

 五月に行われる東京の初夏のお祭りと云えば・・・文京区の湯島天神祭。千代田区の神田祭。台東区の三社祭でしょう。

 私が好きなのは湯島天神のお祭り。何故なら他のお祭りと比べると圧倒的に空いているから。観光客に見せる事を意図しているお祭りもあるでしょうが、お祭りってのは基本的に氏子町会がやる地元の人が楽しむものだと思います。

 もちろん神田祭や三社祭だって氏子町会が楽しむのだけれど、観光客が多いからどうしても混雑してしまう。その点湯島天神の祭りは地元七町会の祭りなんです。私は湯島天神の氏子中ではないけれど、ワークアウトのウォーキングで行ける距離にあるし、狭い境内は回遊式になっているのでコンパクトに境内を一周できます。

 団塊の世代の私の時代には子供が多かったから、お祭りと云えば子供が楽しむものでした。湯島天神のお祭りには随分子供が来ています。神田祭や三社祭には親と一緒じゃない子供はほとんど来ていません。と云う事は地元の祭りとは云いがたい。もっとも、現代は保護者の付き添い無しに子供が外出してはいけないことになってますが。

 撮影データ・・・平成29(2017)年5月27日(土)お昼 湯島天神

 

 すいません。四神剣(四神旗)とは、青龍(東の龍=青)・朱雀(南の雀=赤)・白虎(西の虎=白)・玄武(北の亀=黒)の事で、縁起のいい神獣と云う意味があるようです。

 

 映像が早過ぎるのはできるだけ短い時間にまとめたいという素人動画なので、ご覧になりにくい点は勘弁してください^^

 天神様として知られる菅原道真公は、承和12(845)年8月1日に生誕し、延喜3(903)年2月25日に没したと歴史書に記されています。

 その事から、菅原道真公を御祭神にする湯島天神などの各天神社や天満宮では、令和9(2027)年5月に千百二十五年式年大祭を斎行するようです。

 撮影データ・・・令和7(2025)年5月24日(土)


 私の地元の小石川周辺の東京の五月の神社系の主な夏祭りは、台東区の下谷神社と千代田区の神田神社に始まり、台東区の浅草神社(三社)に続いて文京区の湯島天神と毎週お祭りが続きます。

 農水産物の収穫を神様に感謝する秋祭りってんなら意味が判るんですが、東京の五月に何を神様に感謝するのでしょうか?

 批判を覚悟で私の独断で申し上げると、東京の人は祭好きで何もなくても仕事そっちのけで祭をやるんだと思います。

 それらの祭を取材に行く私もお祭り野郎に違いない。

 撮影データ・・・令和7(2025)年5月19日(月)午後

 赤ん坊は寝るのが仕事。もちろん大人だって寝てエネルギーを溜めないと動けない。ウルトラマンもそう云う設定になっている(^ω^)

 ナポレオンは三時間しか寝なかったらしい。もっと寝てればいい仕事が出来たに違いない。藪さんは歳を取ってきたからか、あんまり熟睡しなくなったし、連続してはせいぜい三時間くらいしか寝なくなった。

 だからと云って一日に三時間しか寝ないんじゃなくて、三時間ずつ何回も寝て一日の半分は寝てます(^ω^)

 本当は一日中寝ていたいのだが、それじゃ死んでいるのと同じになっちゃうので、時々は生きている証明に起きる。寝てるのも結構疲れるからね。

 ツバメのヒナは早く大きくなって巣立てるように、ダイエットなどせずにお母さんが持って来たエサをガンガン食べます。エサを食べる時以外は寝てる。ほとんど寝ぼけている状態だから、お母さんがエサを持ってきてもトンチンカンな方向に首を伸ばして口を開けたりします。

 その点、お母さんは一日に百回近くヒナにエサを運びますので疲労困憊。午後7時頃から午前4時頃まで9時間以上熟睡します。オスのヘルパーさんはお母さんのガードをしているだけで、巣立ち前のほんの一時期エサを運んだりしますが、それ以外はほとんど何もしていない。

 もちろんそんな事はなくて、ヘルパーさんの一番重要な仕事は、カラスからお母さんと産卵床のヒナをガードする事なんです。ヘルパーさんは一羽ではなく、藪さんローカルの四ヶ所の産卵床をガードする四羽以上のヘルパーさん軍団がいます。

 カラスが産卵床に近付いたらヘルパーさんは猛スピードでカラスの回りを飛び回ります。そんなもんじゃカラスは逃げないけれども、やがて二羽、三羽とカラスの回りを飛びまわるツバメが増えてくる。それがオスのヘルパーさん軍団なんです。

 「ツバメはツガイで子育てをしている」・・・なんてそんなロマンチックなものじゃないんです。よく観察すれば判りますが、天敵のカラスとヘルパーさん軍団のバトルは常に行われているんです。ツガイだけじゃ天敵のカラスに対抗できないって事まで観察できたら、ツバメ博士です(^∇^)

 撮影データ・・・平成29(2017)年5月25日(木)午前四時前 都内某所T

 四月の初め頃、南の島から日本に帰って来たツバメは、東京地方ならば多摩川の広い河川敷の葦原に一旦羽根を休めます。

 そこでずっと休んでたんじゃ、単なる里帰りって事になってしまい、渡り鳥研究者の頭を悩ませます。ツバメは日本へ子育ての為に数千キロ飛んでくるんです。

 長旅の疲れが取れたら産卵場所の物色です。ロマンチックな事を云うならば、去年巣立ったヒナが今年同じ産卵床に帰って来て子育てをする。もちろんそれはロマンでありポエムなんですが、そんな事はありません(^ω^)

 しかしながらツバメは毎年同じ場所へ産卵床を作り子育てをするんです。藪さんの観察では毎年同じ場所で、ファーストラン(一期目の子育て行動)のツバメが子育てし、ヒナが巣立ったあと一週間くらいしてセカンドラン(二期目の子育て行動)のツバメがやって来て、同じ場所に土を運び産卵床を作ります。

 何で違うツバメなのに同じ場所で子育てをするんだろうか? 不思議です。

 もちろん藪さんはそれを考えてみた。たとえば人間だって、入りやすい低料金の赤提灯だとか、ボッタクラレそうな怖い飲み屋ってありますよね。例えが下司ですいません(^ω^)

 ツバメが子育てをする場所ってのは、都会では受け入れる住民の考え方が最大のネックなのですが、ツバメにもそれが伝わって、藪さんローカルは子育てがしやすい場所だからこそ毎年確実に二回の子育てが行われ、30数羽のツバメのヒナが巣立って行く訳です。

 藪さんが何故、ハトやスズメではなくツバメの観察をするのかを疑問に思われるかも知れません。ツバメは決して人間に媚びない野鳥だからです。一ヵ月半ほどの子育て期間中にあったかく対応してあげれば、その情報が他のツバメに伝わって、毎年同じ場所でツバメが子育てをするって事になるんだと思います。

 柳町小学校前の大きな棚を作った産卵床。毎年二回の子育てを自然の産卵床でやっていた場所でした。ツバメの子育てはフンが汚いからと批判的な人もいるんです。人間の手の届く場所にあんな目立つ棚を作ったら・・・藪さんの心配が的中して、去年産卵床のヒナが殺されました。

 あそこはボッタクリバーだって情報がツバメの社会に伝わるんでしょうな。今年はあの場所のそばでは一羽のツバメも見てません。

 撮影データ・・・平成29(2017)年5月23日(火)午前五時過ぎ 都内某所T