キミがひとりで泣かない世界キミが笑顔で目覚める朝をかならずわたしがつくるから。
わたしにしては珍しくブログがお久しぶりにならなかった🙄笑本日は昨日解禁した20執念イベント『Veinte-G』についてお話したいなと思います。まずは詳細から。⋅───⊱༺ 𓇬 ༻⊰───⋅暗黒帝國活動20執念SABBAT『Veinte-G』@waiwaihall神保町OPEN18:00/START18:15CHARGE ¥3,000+1D(¥600)-ACT-彩未凛/池村好美/まきょこ/差異等たかひ子(カフェあめだまプロジェクト)/KATSUMOTO/伊東ナチュラリスト千尋/練乳王子/尾沢タカヤ/心繋げるトゥインクル/そん/暗黒帝國⋅───⊱༺ 𓇬 ༻⊰───⋅タイトルロゴもみてほしいな。今回は初めて自分で創ってみました。伝えきれない程細かく細かく色んなところにこだわりが散りばめられてるの。このお話は、また機会があれば、ね。周年イベントってあんまりやったことないんだけどまあ次にやるとしたら節目のタイミングだよな〜って思っていたらなんと今年で20年目でした。ひえぇ。前回やらせていただいたのはたしか10年目の時。うそぉ、そんなにたった?て数えてみたけど、たってたわ。怖いね時の流れってね。。笑ちょうどこの時期にイベントしないかと声かけていただいた事もあり、今回開催に踏み切ったわけですが。まずはタイトルの『Veinte-G』についてお話しさせてください。Twitterでもほんのり触れましたがこれはスペイン語で20を表す『Veinte』と『仲間』や『相棒』を意味するスラング『G』を掛け合わせた造語です。読み方は『ヴィンテージ』。Gは『ギャング』の略称の『G』だそうですが『心に強靭さを持って行動する人』という意味もあるのです。最初から特別歌がうまかったわけでもないただ歌が好きだっただけのひとりぼっちが20年も活動を続けてきたらしい。そんなわたしはきっと世間的には『オールドタイプ』。それでも、人の特徴は『よく言えば』の方でいいって乙宮灰音ちゃんも言ってたから←(紳士同盟クロスの主人公ちゃん。大好き)擦り切れて傷付いて愛を上塗りして私なりに器用なりにやめないで続けてきた。そんな古くなりゆくわたしでもそのなかに価値を見出してよく言えば『ヴィンテージ』そう思ったっていいよね?ゲストアーティスト様は10組。みんなひとりひとりそれぞれがわたしにとってはいてくれるだけで百人力。1人以上のパワーを秘めているんだよ、って意味も込めて、20周年に、10組を、僭越ながら選ばせていただきました。『私の心を支えてくれる仲間達』そんな想いを持ってこの方々にお声をかけさせてもらった。この人たちにいてもらえたら他でもなくわたしの心が安心するんです。ありがたいことにほんとうにみなさまが二つ返事で即OKのお返事をくださり感無量です。感謝しかない。本当にありがとうございます。。無からのスタートだった。全部捨てるつもりで実家を飛び出して音楽以外の全てを蔑ろにしてきた。それで掴んだものもあった。掴めなかったものも失ったものもあった。前だけ見ていたはずのわたしがだんだん無くしたものの数だけを数えてうしろばかり気にして生きていた。そうしたら『安心しろ、隣にいるから』ってそんな風に、仲間達が、そばで、支えてくれていたことに気がついた。なんだ、わたし、なくしたものもたくさんあるけど、こんなにたくさんの宝物にも出逢えていたんだ。いちどでもわたしがステージに救われたことがあるそんな人達です。ぜひぜひその熱気と、魂を感じにきてください。執念で辿り着いた、20年目。前回の10年目の時と同じように、タイトルを『20執念』とさせていただきました。20年かあ。長いなあ。長い執念だなあ笑そんなにやってんのにまだどうにもなってねーのかよ!って言い出す人もきっといるよね〜〜笑それは自分が1番よくわかって向き合ってきている問題なのでご意見に感謝だけして、そっ閉じさせていただいちゃうね😌病気、入院、手術、休止…得たものも失ったものも沢山ある。そんな風にさまざまだった20年だったけれど、歌い続けてきたことに対して後悔したことは一度もありません。当日もきっと、素晴らしい日になるって思ってる。今までお会いできていない帝國民にもぜひ、逢えるのを楽しみに待っています。暗黒帝國は、音源よりライブがいい。そんな風に言っていただける女です。生を感じに来てください。魂を受け取りに来てください。わたしの全てがここにあります。帝國の扉を開けて君達を待っています。2/21、素晴らしい景色に出逢えんことを。暗黒帝國アンコクノアンナ一世
新年明けましておめでとう御座いました🎍⊹ ࣪˖食べまくり飲みまくりの正月が終わり実家から寝ぐらに舞い戻ってきた魔女です。豪華な三日間でした🐍🌸毎年母の言葉に引きずられるように渋々実家へ帰っていた私ですが、今年はちょっと大切な用事で帰省。母との確執についてはよくよく書いていたのであまり言いませんが歳を重ねて母も多少丸くなってきたのもあり勇気を持って歩み寄る決心をしたのが、昨年。幼少期の寂しさやトラウマが消えることは生きているうちにはないと思うし全てを許せたわけではない。それでも、あの時の母の気持ちを考えるとああする他なかったのかもしれない、みたいに『理解』っていう歩み寄りができるくらいにはわたしも大人になれたのかな、と。『時が解決する』って言葉あんまり好きではないけど適切な距離感で時を重ねた結果が今なのかな、とは思う。近付きすぎると相手の嫌な部分も見えてしまって関係が崩れたりギクシャクしたり…恋愛においてはそんな話が多いと思うけどこれは対人関係全てに言えることだよなと。最初から相手に対して過度な幻想や理想を抱いているわけではないけど近付きすぎた人間関係って気をつけないと甘えも乗っかるし何か言ってやりたくなる、なんてことも多くなるんだと思う。(そんなことないって人はスルー案件ですこれ)もやついたりつらくなったりそんなのでたくさん失敗してきたいままでだったので2025年の目標のひとつとして【他人と適切な距離感で付き合う】を掲げて行きたいなと思うそんな年始です。相手にどう思われてるか気にしながら自分を取り繕って付き合うくらいなら最初から適度に素の自分をさらけ出して嫌なら相手から一線張って自衛してもらうそのくらいでもいいのかな、と。もちろん失礼のない程度に、だけどね。いかに相手の『のーさんきゅー』に気がつけるかとか、あ、ここからは踏み込まれたくないんだな。って判断とか、難しいよね人間関係って。正解なんかないからね。だからこそ自分の思う、人との付き合い方の正解が見つかったなら、信じて貫いて良いんじゃないかなってようやく思えるようになったここ最近です。わたしももう今年で35になる。こうなると母もある程度言わなくなるしわたしもいちいちつっかかったりもしない。そうやってお互いが踏み込みすぎず相手の人生と人間性を尊重し合えるようになった結果、蟠りや確執もうすれたのかなって。「伝えたい」と思った事は伝えたほうがいいけれど、「言ってやりたい」と思う事は言わない方が良かったりするものね。わたしと母ってずっとお互いに対して後者だった気がする。そんなのに改めて気がつけてからはもう母含め、他人に何かを言われたとしてもそうですか〜って受け流すようにした。納得できたことだけ自分の糧にしたらいいのよ。全てを聞く必要はない。たとえばこの人、何か勘違いしてるな?って思ったとしても、『あ〜多分言ってももう無駄だな』と思ったら『ま、仕方ねーや!ほっとこ!』ってできるだけのいい意味での『開き直り』は大事だし考えすぎるマイナス思考が得た最大の『正解』でした。人間の数だけ正義はあるから言ってやりたい!正義をしらしめてやりたい!って自分が絶対だと思ってる相手には何を伝えたって無駄だもの。自分から常に一定の距離感保って生きていくしかないのよね。どんなに正しい事を言っていたとしても伝え方ひとつで相手に正しく届かない。届かなかった時「なんでわからないの?!」じゃなくて伝え方はどうだったかな相手に合う伝え方をしていたかなって、一度振り返って考え直すのってだいじだ。それでも「これでよかった」と思えたならそれで良いんだと思う。自分を無駄に落ち込ませない為にも「振り返り」って大切だね。他人と、自分の失敗から、そんな多くを学べた昨年まででした。わたしの高校時代の友人の言葉で『経験にならない経験なんてない』というのがあってとても大切にしているんだけど、いい事、悪い事、どんなに「早く過ぎ去れ」と思う辛い事だとしても、そこからきちんと学びを見出せればどれもこれも自分の大切な今後の力になる。これが、35年生きてきてようやくわたしが正しく『気づき』として落とし込めた真理でした。きっとここからもっとよくなる。わたしの人生。そう確信してる。音楽面での目標としては昨年バンドをする機会や他人と声を合わせるような仕事など『生』を多く経験して強く思った【他人に合わせようとしすぎない】を掲げて一年やってみたいと思う。人間関係でも言えちゃうね笑相手に合わせようとしすぎるあまり全体が崩れたり、結果合わなかったり、そんなことが多かった。もっと自分に、自分の技術に、過信ではなく、自信を持って歌っていきたいな。わりと気持ちの面で幸先のいい2025年。今年も様々なことでみなさまに迷惑をかけたり心配かけたり驚かせたりしてしまう事もあると思う。けれど、信念に一本太く強い芯が通った今のわたしは、きっと今までで1番強い、魔女である。信じていていいよ。自分の思う『正解』でいいんだ。たくさん悩んで落ち込んでもいいから最後に自分なりの『正解』にたどりつけたのなら、その答えを導き出せた自分も自分の人生も全て信じて、愛して、そしてゆるしてあげてね。2025年も暗黒帝國をどうぞ宜しくお願いします暗黒帝國アンコクノアンナ一世
ブログを書くたびに久しぶりって言ってる気がするね。ブログからはお久しぶりです。暗黒帝國です。今日はちょっとみんなと長めにおしゃべりしたいなと思ってブログにしてみる事にしました。長くなってしまうと思うのでそのつもりで…みんなは暗黒帝國のどんなところが好きで推してくれてるのかな?歌声?音楽?歌詞?パフォーマンス?どんな想いでステージに立つかはアーティストによりそれぞれだけどわたし個人の話で言うと特に大切にしているのは「歌詞」です。感情的だったりマイナスだったりヘイトのこもった歌詞が多いから嫌悪感を抱く人もいるよね。多くの人に届ける意識が低いって言われる事もある。けどたとえばデスメタルなんてだいたいがそんな曲よ笑(語弊)キライもうぜぇ許せないも人なんだから抱き得る感情で。抱いたからって自分自身がダメになるわけでも穢れるわけでもない。押さえつけられたぶんぎゅうぎゅうになってひとりでダメになるくらいならわたしが代わりに叫ぶから一緒に声出そう。拳突き出してパンチしよう。声出した分、パンチした分、明日からまた立ち向かっていこう。そんな想いで書いています。正直な話、あの日、信念が生まれたわたしに歌しかなかった、ってだけで、そんなひとりぼっちたちを救えるなら究極、歌じゃなくたっていいんだ。わたしこの話は何度もしてるんだけど、とても感銘を受けた映画があって。それがディズニーの「インサイド・ヘッド」喜びだったり、怒りだったり、悲しみだったり、頭の中の「感情」がそれぞれのキャラクターになって主人公の幸せのために奮闘するみたいな話なんだけど。あるとき大切なものを無くしちゃった子がいて喜びは「ねえみてこれ!たのしいよ!おもしろいよ!ほらほら元気出して!」って励ますんだけどその子のショックは晴れなくて。そうしたら悲しみが「大切なものもうもどってこないんだね。かなしいね。大切だったのにね。」ってそっととなりに寄り添ったんだ。そうしたらその子も「そうなんだ、こんなこともできたんだよ」ってぽつぽつ話し始めて。そうしてやがて「もう大丈夫、ありがとう」って立ち上がった。わたしにとってはこれすごく衝撃で。ずっと自分は前者だった。つらいことがあったひとをぜんぶつつめるくらいめいっぱいのハッピーで癒したいって。書く歌詞もそんなのが多かった。もちろんいろんな人がいるからそういうのが立ち直るきっかけになる人もいると思うんだけど、わたしはきっと無理にテンションあげるよりそっと寄り添って話を聞いて欲しいんだってそんな事にも気がつけた。そして、いろんな人がいる、って言うのにきちんと気が付けた映画だった。同時にわたしがやりたいのは後者だ、とも思えた。励ますより寄り添いたい。きみだけじゃない。きみだけじゃないんだよ。そうやって生まれたヘイトまみれの音楽たち。たくさんの赤裸々を込めた。わたしが裸にならないとみんなもためらうでしょ。わたしのは特殊だから全ての人に肯定されるともされたいとも思ってないけどどんな痛みもわたしの力になってくれているから。みんなが拳あげて声出してくれた分だけわたしもいつも一緒に救われてるんだよ、ありがとう。わたしは暗黒帝國のアンコクノアンナ一世様。さよならのときまでは、そういさせてね。
はいっ。さいきんツイート内容がごはんか部屋か猫かしかなくてごめんね。。音楽をしていないとどんなことを呟いていいのかわかんなくてこまる。すこしまえは何か言うたび反応していちいちエアリプするようなひとにまいってなにもいえなくなったりしてたしそのときももはや何を呟いていいのかわかんなくなっちゃってたりした。音楽をやってない自分ってどんなんだったんだっけなって活動を大幅に縮小して半分休止みたいな感じになってからあらためて考えてみたりした。1ヶ月もまるまるライブしないのっていつぶりだろう?ほんとうにありがたいことにいままでたくさんたくさんイベントに呼んでもらえたりしてお断りして来たものもたくさんあるけどこんな状態になってもまだ「あなたがいいんだ」って声をかけてもらえること本当に、ほんとーーーにありがたいことだな、って、あらためて日々実感している。わたしね、前々からよくお伝えはしているけど発達障害を持っています。障害を言い訳にはしたくないけどワーキングメモリってやつが人より大きく少ないのね。それもあって何かを覚えたり、早い話が歌詞を覚えるのが死ぬほど苦手です。一度、譜面台を立ててライブしたときにいろんなことを陰口されてからとくに歌うのがこわくなってしまった。自分の曲ばかりをうたうのはもちろん自分の美学にそって、とどんなに好きな曲でもどんーーーなに練習を重ねてもどうしても歌詞が覚えられないから。体が覚えるくらいやればいいとか努力が足りないとか思うよね。私も、そう思う。人より倍以上努力しないとできないことが多いんだからとにかく死に物狂いでやれよって。やってんだよ、とは、言いたくないけど、本当に、なぜなのか本当に、もう嫌になるくらい、物覚えが、悪い、んです。むかしっから。何度聞いても覚えられない。何度聞いても理解できない。だから、呆れられて、だから、諦められて。そんなのの繰り返しの人生。もう、嫌になってしまった。それでも届けたいことがあるからどんなに息ができなくてもどんなにこわくってもステージに立っていたんだけれど。最近はもうなにもかもわからなくなることも多いです。なにかのせいにだれかのせいにして逃げているだけだってそんなのに耐えられないならはなからむいてないってまた何か言われてしまうかな。けどもうわからないんだ。努力の仕方。自分に愛想がつきてしまったんだ。いまのわたしでは、きっともう無理です。だって、だってさ、どんなに大きな声で歌ったって、聴いてもらえなきゃ意味がない。どんなに試行錯誤を重ねてもどんなに自分を磨いてももう何年同じ場所で足踏みしてるの?すきなら応援してるなら会いに来てよ。聴きに来てよ。自分が好きで始めた事なのに続けてる事なのにまとめ始めてしまったらダメなのはわかってるんだよ。けど、、おねがいだよ、歌って欲しい、っていうなら、きてくれなきゃ、続けられないんだ。ごめんね。こんなことしか言えなくて。親にさえ「この子は昔からできない事が多すぎる」て言われるようなわたしがゆいいつがんばれたのはこんなに続けてこれたのは歌だけなんだ。やめたらもうなんにもなくなっちゃう。そんなふうにしがみついてる時点でもう、そろそろなのかもしれないね。もうひとつ、おつたえさせてね。もうだいぶまえから声を出す時に違和感がありました。最初は小さなひずみみたいなかんじ。喉風邪かな、って、ちょっと声が出しにくいな、枯れてるな、って、そんなかんじでした。けどステージでさえ一時的に声が出なくなったりうわずったりひどいときには声を出しているつもりでも全く発生ができていなくてぱくぱくしているみたいな口パクみたいになることも。昔に大きな喉の病気で一年活動をお休みして入院、手術をしてるから、ちょっとこわくなって病院へ行ったところ、発声障害、と診断されました。器質性、心因性、どちらもある、とのことで、こう喋りたい、歌いたい、に反して喉が違う動きをしてきたり、ストレスがかかると声が出なくなるのもこれが原因だったのか、と。なんでこんなにむかしからわたしのからだは、こころは、面倒ごとばかり生み出すのか。もういいかげんにしてくれと怒る気にもなれない。やりたいことはまだまだある。歌いたい事、伝えたい事、まだ、、けど、ぜんぶぜんぶ、じゃなくて、いままで以上に選んでいかなきゃいけないときなのかも。そんな状況です。自分には本当にうんざりするけれど、味方でいてあげたいのも、事実。頑張ってえらいってほめてもあげたい。だからすこし、自分勝手にも生きさせてほしいの。ごめんね。今日は楽しい話じゃなくて。だから、っていうのはほんとうにずるいけれど、けど、ききにきてください。会いにきてください。わたしにはもう、これしかないから。
はいっ。生誕のお話今回はこの日初披露の新曲『リテラシーパレード』についてお話ししていきます🎪🎡歌詞はこちら↓暗黒帝國となっては初のバチバチにオラオラした歌詞の曲になりました。作編曲してくださったのはフルアルバムMessiahやシングル暗黒帝國なんかも手がけてくれたまっつんさん。私としては珍しく最初にまずタイトルが決まっててサーカスの雰囲気で暗黒感と不気味な楽しさを出して欲しいみたいな難しい事言ったのに、こーんな最高の武器に仕上げてきてくれました。でも最初に聴いた時は難しすぎて声出して笑っちゃった。笑結構ギリギリでお願いして即作って出してもらったけど作詞がとにかく難産でかなり難航して、、けどセリフや加工部分はライブの時には入れといてもらいたい…!って気合いで書き上げてレコーディングまで済ませました🙌🏻✨メロがくるくる変わるので呪文みたいにあんまり直接わからないみたいな歌詞にしたかったんだけど、そんな感じになったかな…?私は人の言動とかにめちゃくちゃ左右されてしまうタイプでけどアーティストなんて不特定多数の人に一方的に認知されるのが普通で。その全ての人が私に良い印象を抱くとは限らない。だから『貴方の為に』ってみたいなのも真摯に受け止めろってわからないなら良いんだけどねチラッチラッみたいな感じで言われる事もあるけど演者は、演者である前に、1人の人間で。厳しい愛でなら叩いていいわけじゃない。壊れていく音を聞きながら『愛を受け入れろ!』って叩き続けるのってどんな気持ちなんだ…?まあ結局うまく自衛していくしかないんだろけどね。私はもうそゆ人達は耳が勝手にミュート昨日オンにしたりそっとさよならしてるけどそれでもトラウマでフラッシュバックする時はある。人の心に消えない傷をつくって責任取れるのかな…?壊れちゃった人や壊れる寸前で縮こまっている人達見てるとつらいよ。だからそんな苦しい時に頭の中で鳴らして痛みから一時でも逃げられる曲を作ったんだよ。リテラシーもなにもないおかしな人たちがネットで次々勝手な話をリプでパレードみたいにつなげていくみたいな、そんなおかしなサーカスの歌。滑稽だね。おかしいね。一緒に手を取って踊っちゃってさ、狙撃も追撃もかわしちゃおうよ。ってね。世界を変えられるとは思ってない。甘さだと言われてもだって音楽は『娯楽』だもの。せめて君の心を瞬間だけでもつつませて。長くなっちゃったね。これに付随する気持ちのお話はまた改めてさせてね。そんなわけで、生誕のお話、新曲編でした〜〜!
はいっ。生誕のお話今回は衣装編!今回の新衣装発表に伴いアー写も新しくなりました!丸っと1年ぶりに発表した新衣装。どやった?今回は自分で製作しました。軍人のようなフォルムは残しつつヘアアクセの王冠で帝國の王感を。ちなみにTwitterでも書いたけどこのヘアアクセの王冠昨年のバースデーワンマンでバンドメンバーがくれたケーキにのっかってた子なんです。このケーキいつ思い出しても素敵で嬉しかったな。次に衣装作る時は絶対この子を使いたいって思ってた。色んな衣装を着るか自分の衣装を着るかって結構迷いどころ?なのかな?わたしは昔結構悩んだ。けどわたしはあれこれ着ないで定番化させることを選んだタイプ。なのでこれからも新衣装のわたしをよろしくね🙌🏻さておつぎは新曲の話ね。
生誕のお話今回はフード&ドリンクのお話。今回は通常の物販の他にオリジナルフードとオリカクと出してたのですがこちらも好評で嬉しかった!作った料理の写真をよくツイートしてたんだけどありがたいことによくカフェイベントやってほしい!って言って頂いたりもしてて。カフェイベントは…ちょっとにがてかも…って思ってたから、、今回節目の自分主催だし試しに少量だけ出してみようかしらなんてやってみたらまさかの完売…!いっぱい作って行ったのにありがとう😭オリカクは暗黒感のある2種類でフードはフェスっぽくさっと食べられるように小さな容器に詰め詰めして🎪豆腐ハンバーグ🎪あじたまご🎪ブロッコリーガーリックと、おにぎりが🎪ピーマンツナ醤油🎪小エビ炒り卵あげだまの2種類。おいしかったかなあ?前にTwitterでも書いたけどわたしは自分の頭を整理したりストレス発散のために料理をしてるふしがあるので、美味しい、って食べてもらえたりすると心も身体もスーッとします( *´꒳`*)機会とお声があればまたフード出したりしてみたいなあ。。さてさてつぎは衣装のお話などさせてね。
生誕主催のお話、おつぎはプレゼント編〜!今回はそれに付随して気持ちやなんかのお話もちょこっとしていきたく。プレゼントくれた人もお酒ご馳走してくれた人もおめでとうくれた人も本当にありがとうございましたっ!お花やおいしいもの、ライブで使える実用的なものなど私のことを思って選んでくれたその時間と気持ちが本当に嬉しい。どうもありがとう。毎年言ってるけどわたしにとってはライブにきてもらうこと音楽を聴いてもらうことが1番の、この上ないプレゼント。頂けることはうれしいけれど、無理はしないでね。こう言う活動していると好きでいて甘やかしてくれる人も多い分勘違いしてしまう場合もあるんだろうけど演者がお客様に求められるのは『活動を応援して欲しい』に付随する事だけだと思っていて。これ買って〜みたいなのは違うな、と。個人的にはね。お客様はパパではないもの。ほしい物リスト公開とかね〜罪な文化ですよ。なんて可愛くないことばっかで頭ガチガチじゃだめだよね。スタンスもプライドも人それぞれだもの。なーんて。話がそれちゃったけどもつぎはフードとかのお話しさせてねっ。
6/9(日)✟暗黒生誕祭✟-Empire Circus Festival-無事に終わりましたー!ご来場いただいた帝國民諸君並びにご来賓の皆様誠にありがとうございました…!生誕の話は長くなるので何個かの記事に分けて投稿するね。今回は出演者様のお話をば。まずあたふたしてたらステージ装飾をみんながやってくれました。←ほんとにみんな…ありがとうね…そんな出演者の皆様には今回私の楽曲を歌って貰ったのですがこんな豪華な事ってないね。楽曲への解釈や造り込み練習してきてくれたんだろうなあってなんだかもうずっとリハからずーっと感極まって涙、でした。みんなの気持ちがとても嬉しかった。うちの子を任されてくれてありがとうございました…!みんながいたから頑張れたよ。挑めたよ。生誕のお話、次回はプレゼント編っ。
『私の夢は沢山の子どもたちに勉強や未来のことを教えてあげる学校の先生になることです』卒業文集を読んでいたらなんとなしに開いたページのすみにそれをみつけた。優しくて可愛らしい夢。だれだったかな、と名前を見た瞬間、全身の毛が逆立つ感覚がした。昔の出来事がフラッシュバックする。触られたら菌が移る、って『冗談』からはじまり、無視、ものをかくす、机や靴箱にゴミや虫を詰められたり、下校中、ずっとすぐ後ろでくすくすと悪口を言われたり、毎日机の中に『しね』って書いた紙が入ってたり。それはとある1人からはじまったすべてで。そしてその文集は、そんな彼女、『A子』のものだった。呼吸が浅くなりながら、ああ、彼女は、学校の先生になりたかったんだ。なれたんだろうか。なれていなかったらいいのに。そう思ってしまった自分にも、自己嫌悪。こんな言葉をよく聞く。『過去の出来事に囚われていないで』その言葉はもっともだ。過去にいつまでも囚われて膝を抱えてしゃがみこんでいたら『今』を見ることもできない。いつまでたっても『明日』へ辿り着けない。そんな事はもちろん、わかってるんだ。こっちだって忘れられるものなら忘れたい。なかったことにしたい。それができればこんな歳まで苦労をしていないんだ。なぜやられた側だけがこんな大人になってまで過去に受けた言葉や傷をフラッシュバックさせて悪魔にうなされたりしなければならない?彼女にとっては世間にとっては『そんな事』でも私にとってはいつまでも癒えない、大きな大きな傷跡だ。いまはSNSの時代だから言葉なんて相手を知らなくても簡単に飛ばせる。きっといちいち素直に真面目に受け取って傷つく方がダルいんだろうね。けれど、発する前に今一度、その言葉に潜む『トゲ』の脅威や向けられた本人の気持ちに気づく事はどうしてもできなかっただろうか?たとえば、その人のためを思って発した言葉『そんなつもりじゃなかった』言葉不特定多数に向けたように見せる『空リプ』強い正義を持つのは大切だけれどそれぞれがそれぞれの正義や世界を持って生きているから。押し付けるのはただのパワハラ。ぶつけ合うのはただの戦争。どうしても言葉数多い方に共感の傾く世の中だけれど私は腐ってもシンガーだから『言葉』を戦争に使いたくなんかない。私は、今の職場に入って『これを学ぶ事ができただけでよかった』と思える言葉があって。『どんなつもりで発したかではなく 相手がどう受け取ったかだ』世界中の全員にこういう気持ちで生きろよ!と言うわけではなくて、わたしじしんが、だれかの傷になるような言葉を発して生きたくないからとても大切にしている言葉。きっとA子も私が今この瞬間まで、そんな昔の出来事をフラッシュバックさせて苦しんでるなんて、思っちゃいない。けど、これを読んでくれたキミだけは、あしたからでいい、すこしでいい、『言葉を発する前に相手の立場になる』を、思い出してみてはくれないだろうか?『いじめ』ってどこからが『いじめ』なんだろうって、よく考える。私は、受けた相手が『いやだ』と感じたら、だと思っている。難しい時代。厄介な時代だね。そんなこと言ってたら何にも言えねーよ、という方もいるね。けどこれが『他人と生きていく』という事だと私は、思う。明日もキミが優しい世界で生きていける事をねがっています。
ご機嫌よう。暗黒帝國です。今回も先日行われたワンマンのお話をさせていただければと思います。今日はバンドについて、そしてライブハウスについて。。『フルバンドでワンマンをやりたい』これは、もう長年ずーっとの夢でした。過去に一度チャンスはあったけれど全ての楽曲(新曲除く)をバンドにサポートしていただいたのはこれがはじめてで。色々とチャレンジをしようとしては毎度ダメで、の繰り返しでした。そんななか出逢ったのが、彼ら『SHiNizMy777!!!』のメンバー。彼等との出逢いは、昨年末に行われた『プリティーシリーズ』のオンリーバンドイベントでした。そこで一緒にステージに上がらせていただいたのが彼等で、ライブまでを共に過ごすなかでこの人たちなら…って、次第に思うようになりました。ライブがおわってみんなにワンマンで、私の楽曲をバンドで演奏してくれないかとお話ししたとき、みんな快く引き受けてくれて、めちゃくちゃ泣いたのを覚えてる、、笑過ごした時間はまだ一年くらいだけど、みんなのこと、わたしは本当に大好きなんです。夢を叶えてくれた、恩人たちだから。ライブ中は、一瞬だったな、、あと少しで終わっちゃう、あと少ししかみんなとの時間がない、、そんなこと考えてたら、後半でまんまと涙溢れてしまったけども。きっと、もうこのメンバーでステージに立つ機会ってもしかしたらないのかもしれない。けどわたしにとってはとてもとても大切で、かけがえのない時間でした。音楽と、大好きなコンテンツが、こんなに素敵な仲間たちに出逢わせてくれた。私はラッキーだった、すごく。とてもしあわせです。知らん間にバースデーソングまで練習して、ケーキまで準備してくれちゃってさ。みんな、ありがと。あいしてるよ。そんなみんなと立てたのは本当に、本当に長年の野望であった新宿Wild Side Tokyoさん。通常、ワイサイ。あこがれのライブハウスでした。いつかここでワンマンを、って野望を抱き続けて、2023.6/9、ついに、その日を迎えることができました。ステージの上から見る満員のフロア、とてもとても、いい景色だったな。。できるかな、いややっぱり無理かも、むつかしいかも、、いやでも、、そんな葛藤をしながら、意を決してスタッフのゆーやさんに連絡を飛ばしたら、やっちゃいましょ!って言ってくれて、きっとこの底抜けに前向きなお返事がなければ、あの日は訪れなかったかもしれない。私がお会いしてきたなかでも、群を抜いてハッピーで、いい人。。いつお会いしてもめちゃくちゃ肯定的な意見をくれたり褒めてくれたり、、そんなゆーやさんがいたからこそ、やったれ!いける!って決断ができたんだと思います。日々、本当に、感謝の連続。。そうやって大好きが集まって、大切に導かれて、ようやく迎えたこの日をしっかり糧にして、これからも暗黒な世界を築いていくからね。
2023.6/9*Anco* 7th Single Release& Birthday Band One-man SABBAT『暗黒帝國』無事に終了しました。ご来場いただいた皆様、遠くから応援電波飛ばしてくれた皆様、本当に本当にありがとうございました…!とても長い期間をかけて準備をしてきたイベント。念願のライブハウスで念願のバンドワンマンで念願のグッズ制作…すべて、私のわがままで実現が許されたそんなイベントでした。オープンから換気タイム、クローズの瞬間に至るまで、全てこだわり抜いた最高のワンマンにできたんじゃないか、って、満足感、達成感でいっぱいです。みんな、たのしめたかな?たのしかったかな?ちゃんとみんなの居場所、つくれたかな?愛をたくさんもらいました。私からもたくさん投げかけたつもりです。受け取ってもらえていたらいいな。そしてこのイベントで発表しましたが私*Anco*は2023.6/9をもって『暗黒帝國(アンコクノアンナ一世)』に改名いたしました。この名前にした理由はいくつかあるんだけど、まず、こんなコンセプトとゴシックな雰囲気なのに名前だけがそぐわない気がする、って、思ったから。それから、みんなが日常を、そして人生を投げ捨ててしまいたくなった時に逃げてこられる、居場所となれるような場所を創りたい、っておもったから。それからもうひとつ。私の本名は『あんな』なのだけれど先日も少しブログで触れた通り、その昔、世界で最後に魔女狩りによる処刑で命を落とした女性の名前が『アンナ』で。運命を感じてしまった。だから、いまさらだけれど、本名も愛してほしい、って、思ったの。もともと『*Anco*』って名前はこの本名をもじってちいさいころつけられたあだ名でした。意地悪だった上級生の男の子たちが会うたび『あんこ』ってからかってきた。私はずっとそれがいやで言われてはめそめそ泣いたりしてたな。。ソロのアーティスト活動を始めるにあたって名前を考えるってなったとき、ふと、思った。この名前で、私がみんなに愛されたら、私の勝ちじゃないか?って…別に勝ち負けとかじゃないんだろうけど、私にとっては、とてもとてもたいせつなことでした。名前って、親からもらう最初の愛情、って言うじゃないですか。私は片親で看護師の母に育てられたけれど、あんまり環境は良くなかった。当時他のワンマンで歌った6月のヒマワリと言う楽曲で少し描いているけれど、いろんなこと、少し、問題のある家庭でした。親から感じられた愛情って今思えば、名前くらいで。だからこそ、そんな名前をからかわれるのはすごく、いやだったんだ。。でもそんなふうにつけられたあだ名が、今じゃこんなにたくさんの人に呼びやすいね、かわいいね、って愛される名前になった。うれしかったよ。あんこちゃん、あんこさん、あんちゃん、って、みんなが呼んでくれるたびに、いろんなものが昇華されて、救われていくような気がしてました。本当に、ありがとう。なので、名前自体は変わりましたが、『あんこさん』て呼び続けられる名前になってると思うので今後も気軽に、あんこ、って呼んでもらえたら嬉しいな。勿論、『アンナ様』『國王様』『暗黒様』などなど(なぜ様付け)、お好きに呼んでいただければと思うのでぜひ呼びやすい名前、見つけてね。そして、これに伴い◆ファンの名称→帝國民◆ファンマーク→🥀🖤こちらも変更になります。*Anco*時代の楽曲は変わらず歌っていきますが、今までとは少しパフォーマンスの雰囲気は変わるかと。全身全霊な全力投球スタイルは崩さずに、けれど、もっともっと、より創り込んだステージを届けられるように精進していきます。衣装も、念願のオリジナルのものができました。作成してくれたのは、朔さん。今回のイベントロゴ…と見せかけて、今後の私のロゴであるこちらも描いてくれました。カッコいいでしょ?たくさんわがままをいってしまったけどこんな、理想よりもっと素敵なアンコクノアンナ一世としての戦闘服をしあげてくれました。ありがとう。。暗黒帝國としては、まだ生まれたて。みんなといっしょに色々と創りあげていけたらとおもっていますので、どうぞ宜しくね。そして当日にした発表はあとふたつありました。①楽曲一部サブスク配信決定②楽曲一部カラオケ導入決定①サブスク配信についてはおそらくひとまずは一曲の予定ですがより多くの、まだ見ぬキミたちにも、私の世界を届けたいから。作曲者であるまっつんさんからご提案いただき、決心をしました。②カラオケ導入については二曲の予定です。なんの曲が入るか?いつから入るか?などは、分かり次第すぐにTwitterにておしらせしますので、もう少しお待ちくださいませ。けど、そんなに遠くない未来のお話になる予定です…☺️たくさんみんなにお知らせができてうれしいな。ひとつひとつのライブの精度を、今まで以上に上げていきたい、創り込んで届けていきたいので、やっぱりライブの頻度はそんなに多くないかもしれないけれど。その分会えるタイミングを大切により気を引き締めて挑んでいきたいのでぜひ、会いに来てね。暗黒帝國は、いつでもキミの居場所だよ。これだけ生きているといい人にも嫌な人にも、たくさん出会う。ずっと仲のいい人もいれば、離れた人もいる。いろんなところで根も歯もないイヤな噂を流されたり変なこと言われたり、貶めようとしてくる人たちはいるけどそれでも今回、このワンマンを通して、ほんとはみんなに、『ひとりじゃない』って、『いつもありがとう』って、伝えるはずだったのに、本当に本当にたくさんのここまで出会ってきたお客様、友人、尊敬する先輩方、そして仲間たち、みーーーんなから、『ひとりじゃない』って、そんな大きな愛と想いを私の方が受け取ってしまいました。味方だよ、大丈夫だよ、大好きだよ、生まれてきてくれてありがとう、って、みんなが言ってくれるから、ヒト嫌いなこんなわたしが、ちっぽけなイジメなんか気にしないでみんなを信じて、もっと遠くの未来を見据えようって、思うことができました。いちばんひとりがこわかったのも、いちばん居場所が欲しかったのも、わたしじしんでした。いつだってまわりに大切な仲間たちに、救われて、助けられて、支えられて生きているな。だからこそわたしはこの帝國をここで終わらせるわけにはいきません。これからもみんなの力が必要不可欠。ついてきてね。まだまだ共に闘って欲しいよ。たのむね。長くなっちゃうので、今回はここまでね。◆バンドのお話◆ライブハウスのお話◆出演者のお話◆新譜のお話などなどは、また後日…みんな、あいしてるよ。追伸:ブログタイトル変わりました🥀🖤
あんこさんです。最近別の要因で通院詰めの毎日でしたがそちらのお話は、また後日。。きょうは昨日からの突然の発熱で急遽お仕事お休みいただいてさまざまな病院へ行っておりました。風邪?なんて思ってたけど今回もそうではなかったみたい。これは誰しもに起こり得るような事で、私以外にも同じような症状で長年悩んでいる人がいるかもしれない。なので、今日はそのお話をちょっとさせていただければと。。私は昔から風邪でもないのに突然高熱が出るタイプでした。翌日がストレスの原因になるような事がある日は夕方頃から徐々に微熱が出始めて夜には吐き気と動悸が止まらない、朝玄関に向かうと眩暈で立っていられなくなって熱を測ると高熱…なんて事が本当に度々あった。病院へ行く頃には熱はすでに下がっていて異常はないです、なんて言われて帰る事もしばしば。解熱剤をもらっても効かないししんどさはしっかりある。じゃあこれってなんなんだよーーって悩む日々でした。今日病院に行ってその長年の疑問の原因がやっと判明しました。『ストレス性高体温症(心因性発熱)』速い話が『大人版知恵熱』というやつらしい。ふだんから平熱高めなんだと思ってたけどそれもちがって、慢性的にストレスによる微熱があって、極度のストレス状態が続くとバーンと高熱が出るタイプらしい。むかしからストレスというものにはめっぽう弱くけど自分ではそれを自覚したくなくて無理にめちゃくちゃに頑張りすぎて結果ばたんきゅーとしてしまうってのがスタンダードでした。。ようやく最近『ストレスに弱い自分』をちゃんと認め始めていたので(遅い)自分の現在の環境や熱が出るまでの流れだったりもきちんとお話ししたところ、あっけらポンと判明。ストレスで熱が上がるなんて思っても見なかったので目から鱗、ってかんじでした。。嫌だなーと思うと熱が上がって行かなくてイイことになると熱が下がる。『サボり癖』『ズル休み』『甘え』『嘘つき』なんて言われる事もあって昔から本当にめちゃくちゃ悩んでた。けど、きちんとした病名もあった。心因性、って理解されない部分は多いけれど、ちゃんと診断してもらった事で、少しホッとする事ができた。対処法は月並みなもので『ストレスの原因になるものから離れる』というのがベストだけれど、そんなに簡単じゃないよね。って、とても理解のある先生で、なんだか溜まりに溜まったものが爆発してしまってぼたぼた涙出てしまった。。私は本当に、本当に昔から、ストレスの原因となるようなものや人を捨てきれない部分があって、何か言われたりされたりしてもへらへらしちゃったり許しちゃったり自分を蔑ろにしがちな人生でした。自分を蔑ろにすることが結果周りに迷惑をかけている状況をこんな事にでもならないと実感できなかったわたしは本当にばかやろーだなあと今日しみじみと実感してしまった。。もし、今きみが同じような症状や状況で悩んでいるのだとしたら、自分を『ダメなやつだ』と卑下せず一度病院で、相談してみて欲しいな。きみのそれはれっきとした『病気』で、きみが悪いわけではない。きみは、ダメなんかじゃないんだよ。まあけど、病名がわかったところで長年の付き合いで培った性格や考え方はなかなかかわらないもので。きっとこれからもこんな不器用な自分自身に絶望したり、嫌になったらしながら生きて行くんだろな。と思うけど、一歩前進、とは、思ってもイイよね。自分自身を知る事で対処法を見つけ出していつか、自分自身を愛することにも繋がったら、いいな。きみも、ね。
『魔女になりたい』そう思ったきっかけはなんだっただろうか。思えば私の人生には『魔女』がつきものだったように思う。お遊戯会で『魔女』を選んではともだちに『へん』と笑われた。お姫様の方がいいのに、って。妖精の方が素敵なのに、って。じゃあなぜ、私は、いつから『魔女』が好きだったのか。幼い頃最初に私の心が『魔女』を認識したのは保育園で読んでもらったとある『絵本』だったと思う。不思議な世界に飛ばされた少女。悪い、魔女、の上に落ちる、家。魔女が死んで、みんなが喜ぶ。しあわせな、しあわせな物語。「どうして魔女が死んだのに みんな嬉しいの?」「魔女は悪い人だからだよ」「魔女は何したの?」「きっと悪いことをしたんだよ」「魔女が何をしたのか誰も知らないの?」「どうかな? でもどの絵本でも魔女は悪い人でしょ?」先生の回答はやんわりとしたものだった。けど、たしかにそうだ。絵本に出てくる魔女はいつも当たり前のようにひとりぼっちで迫害され、恐れられてた。『悪い魔女』みんなが口々にそう言うけれど、魔女がなぜ恐れられているのかなぜ嫌われているのかはわからなくって。「魔女にも理由があったのかも。 わけも聞かずに殺されちゃうのは可哀想」「そうだね。でも、魔女が死んだから、 みんないつまでも幸せに暮らせたんだよ」優しい声。暖かい手。いつも笑顔の先生が私は大好きだった。そんな先生の口から紡がれる、言葉。小さな、違和感。そして、私があの言葉を知ったのも、あの時、そんな先生の口から、だった。「必要悪、って言葉が、 世の中にはあるんだよ」その時はその言葉の意味はわからなかった。時が経ち、その言葉の意味を知った時、心をガーンとハンマーで殴られるような衝撃を感じたのを覚えてる。--------------------ひつよう‐あくヒツヨウアク【必要悪】〘名〙 よくないことではあるが、社会や世の中にとって必要で、なくすわけにいかないものやこと。--------------------物語においての『魔女』とは、その物語にとって、その歴史にとって、『なくてはならない悪』の総称だったのだ。『みんな』の幸せのためには『悪い魔女』は必要で、倒されるべき存在で、魔女が何をしたのかなんて重要ではなかったのだ。そして、そんな言葉を、大好きな、信頼していた大人の先生が当然のように口にしていたことが、子供の私には大きなショックだった。大人になると、そんな風にしか人を見られなくなるのか。私は嫌だ。私は気づきたい。魔女が魔女となった理由を知りたい。彼女たちがなぜ『悪い魔女』と呼ばれるのか。………そもそも、『魔女』とは、なんなのか?そこから私は、長い長い年月をかけて、『魔女』を調べ続けた。調べていくうちに『魔女』とは空想の存在ではないことを知った。けれどそれは私が絵本やアニメなどで見聞きしていた魔女とは、少し、違って。いつの時代においても『魔女』とされてきたのはその歴史の中での『異物』のような人達。『変わり者』で、『邪魔者』。彼女たちが消えることで消すことで保たれる『平穏』。それこそ、『必要悪』だったのだ。悔しかった。魔女と呼ばれた彼女達が何故迫害されて来たのか、何故酷いやり方で殺されて来たのか、調べれば調べるほど、ただただ簡単で、私には難しくて。終わった歴史の話。けれど確かに起こった話。そんな終わった話に、私はどうしてこうも固執するのか。どうして知れば知るほど、涙が溢れて止まらなくなるのか。そうして調べ続けるうちに、二つの事実を、知った。世界で最初にセイラム魔女裁判により有罪宣告を受けた魔女の処刑が行われたのが、1692年6月10日。ヨーロッパ最後の魔女、として1782年6月13日、自白を強要された末に処刑された『魔女』の名前はアンナ・ゲルディ。…こんな偶然があるだろうか?私は、魔女狩りによって処刑された『魔女』の生まれ変わりなのではないか…?そんな風にさえ思ってしまった。生まれて初めてわたしが抱いた夢は『魔女になって、 サンタさんみたいにみんなに プレゼントをくばること』だった。卒園アルバムにも書いた、大切な夢。どうしてそんなおかしな事を書いたの?ともだちには笑われて母親には恥ずかしいと怒られた。けれど、みんなのなかの『魔女』が何も知らないまま『怖い存在』『悪い存在』とされるのが嫌だったから、なんだ。誰も知らないなら私が伝える。誰もならないなら、私が、なる。私が、魔女に、なる。だれも、ひとりになんてしない。ひとりぼっちで泣かせたりしない。キミも、魔女も。キミの目に私はどんなふうに写っていますか?なら、キミにとって『魔女』とはどんな存在ですか?どうかキミの目に映る『魔女』の背中がキミを明日まで導いてくれますように。夜の魔女、*Anco*。
はいっ。2022.6.10、*Anco*さんレベル32に進化しました〜!いえい⁽⁽◟(∗ˊωˋ∗)◞⁾⁾いえい⁽⁽◟(∗ˊωˋ∗)◞⁾⁾もうおめでとうって歳じゃないとかプレゼントはもういいでしょとか言われますが、いくつになっても祝って頂くのは嬉しいものですよ。。というわけでレベル32の目標?などをすこしおはなししようかな。レベル31はね昨日のカウントダウン配信でも少しお話ししたけれど、ちょっと本当に色々ありすぎてどん底な歳でした。本当に前厄?ってくらいら音楽面でもプライベートでもたくさんありました。その筆頭が、病気やったね。緊急手術、入院、後遺症…わたしの人生にとてもおおきな爆弾を落としていきました。一生付き合っていかなければならないもので、いまも杖が手放せません。去年はそれでだいぶ落ち込んだ。。生きるのを放棄する事も本気で考えたし、誰も味方なんていない、全員敵だって思う事もあった。けど、どんなにきつくてもいたくてもステージではかっこいい魔女でいたいから最近はステージでは大暴れ復活!だってさ、わたしって、痛みを力に変える夜の魔女、だもんね。だからいたくてもこわくても、もう立ち止まらないって決めました。それはね、そばで支えてくれるひとたちや応援してくれるリトルパピヨンたちがたいせつでまもりたいから。独りよがりだと言われても自己顕示欲だと言われてももう、いいの。だってわたしがどんな想いで歌っているのかは、私が1番よくわかってるから。わたしがよく見ている占いにね去年のわたしは周りからかなり強い「信頼」を勝ち取ってきている、とあった。今年は「欲しいものを手に入れていくための足場が完全にできあがっている状態」らしい。苦しくてくやしくて痛くてこわかった。出口なんかないって思った。そんなレベル31のあんこがレベル32に進むあんこへの足場を作ってくれていたらしい。そう思うと、やはり人生において経験にならない経験なんてないし、この経験や想いを携えてまだまだみんなに伝えられる事ってあるよな、って、強く思った。居場所をみつけるのがどへたくそな魔女ですが、それでもそんなわたしの力を必要としてくれる人達にも出逢えた。勇気を持って手放した分、大きな光を手に入れる事が叶った。そんな気がします。相変わらずライブはかなり厳選してて涙を飲んでお断りするようなイベントなんかも、けっこうある。くるしいけど、それでも、ながく、*Anco*でいるために。届けたい世界観をさらに追求する為に。細く長く、純度高く。そんな〝ゴシックロックシンガー*Anco*〟のすがたを、どうかどうか、そばで見ていて下さい。そして、きみの孤独を支えさせて下さい。本日、とある場所から何かしらの何かが公開になります(何もわかんねぇ)。明確な目標だったりについてはそちらでご覧になれるかと思うので、こちらではすこし感情的にお話ししました( *´꒳`*)笑とにかくいまは歌うのがどんどん楽しくて、伝えたいことやまもりたいって想いがとめどなく溢れている。32年もかかってしまったけれど、これが「感謝」とか「愛しい」って気持ちなんだなって、柄にもなく感じている。大切にしたいものや世界を守る為に時に勇気を持って手放す事も、必要なのだ。より濃い世界をお届けする為により強くきみの手を握る為にレベル32の*Anco*は、もっともっと強くなる。ときにはすこしわがままも言います。強い言葉で君の手を引くこともあるかも。足場は、整った。ここからは容赦なく。レベル32の*Anco*もどうぞ宜しくお願いします。愛するリトルパピヨン達へありったけの愛を込めて。*Anco*
はいっ。よく魔女じゃない時のあんこさんは「ぼんやりしてるね」「ぼーっと生きてちゃダメだよ」「悩みなさそう」なんて言われるんだけど見えてるよりかは色んな事に立ち向かって生きています。「ADHDだから」「心にも体にも持病があるから」何かを許してもらいたいとも理解してほしいとももう思わないけど、どんなに通常運転に見えても色んな事と闘いながら生きてるそんな人もいるって事は理解しなくてもいいから知っていてほしいなとは思うの。体のことで言うと、杖がなきゃ電車にも乗れなくなってヘルプマークをつけなければならない事になって、気づいたことって、ほんとうにたくさんある。体がしんどいときは、優先席のある車両まで行くのもつらいときがある。リュックを前に抱えるのがむつかしいときがある。電車のドアの前から奥まで移動できないときがある。頑張ればもう、杖をつかずに歩く事だってできる。けど、「あったほうが楽」なのは勿論なの。それを「なくても歩けんじゃん笑」と鼻で笑われる事もある。実際、いつまで杖なんかついてんだって笑われたりコソコソ言われてるのを知っているから、職場ではもう杖をつくのはやめた。若そうな人が杖をついていると思うより何倍もジロジロと見られる。電車で普通の座席に座れば「優先席行けよ」と言われる事もあるし優先席に座れば「若いくせに杖なんかついて」と疑われる事もある。満員の優先席の前に立てばあからさまに舌打ちをされる事もある。「おせえよ」って後ろからぶつかられる事もあるし理由もなく体当たりされる事もある。「優しくしてほしい」なんて言うつもりはないけど、心無い人って悲しいけど一定数いるし、「そう言う人もいる」って、せめて知ってもらえたら、きっと今後みんなが街中で出逢うわたしのような人を「もしかしたら、こうなのかも」って思えるきっかけになれるかな、とおもったの。話したことはなかったけれどわたしには「双極性障害」「パニック障害」「適応障害」と言った心の病があります。例えば例を挙げると、突然前触れもなく不安に駆られて動悸が止まらなくなったり、息ができなくなったりします。楽しく話していても突如気分が落ち込んだり、テンションがすごく高かったり逆にすごく低かったり自分にも管理ができない時があって疲れちゃったりします。それでも大好きな人達や趣味や音楽に囲まれてずいぶん落ち着いてきた方であって。不安からくる動悸やめまいなんかは実を言うともうほぼ毎日あるけど、うまく付き合う方法を見つけてどうにか生きてます。可哀想だと思われたくてお伝えしているわけではないって事わからない人も、いるよね。いいよ。人を100%理解する事なんてできないし色んな人がいて然るべきだと思う。ただ、ただね、もし、みんなの大切な人や身近な人が健康そうにみえるけど気分が極端に落ちこんじゃったりつらそうだったりしたら、「甘えだ」って思わないで「もしかしたら…」って寄り添ってあげてほしいです。みんな各々つらいことや苦しい現状なんかもあると思うし「つらい合戦」みたいなのが苦手なのでいつ、どんなふうにお伝えしようかなってずっと思っていたけれど、、自分の伝えたい事お話しするんだから自分のタイミングでいい、のよね。障害や病気が原因でお断りしてきたイベントなんかも今までたくさんある。けれど、そんな中でも繋がれて良きご縁を続けさせて頂けている方々には感謝してもしきれない。。わたしは歌うのが好きです。誰かと一緒に歌うのは、もっと好きです。「誰もひとりにしない」には「人とのつながりを大切に」って言う裏テーマが含まれてます。わたしを知ってくれてありがとう。出逢ってくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。そばにいてくれてありがとう。ふつうのひとよりいくぶんめんどうくさいわたしですが、それでもそばにいてくれるあなたをわたしは生涯大切にすると誓ます。あなたたちの幸せをいつでも願っているよ。痛みを、力に。ね。
もしかしてだけど新曲についてのアレコレをいまだに話したことがなかったんじゃないのか…?と思ったので今日からは大変お待たせしておりました(待っててくれた人いたらいいな)シングル『メメント・モリ』のすでにブログでお話しした『PANDEMIC-感染教室type:A-』以外の2曲についてを2日に分けてお話ししていけたらなと思いますっ⁽⁽◝( ˙ ꒳ ˙ )◜⁾⁾まず初日の今日は、、『HAVEN』について。----------『HAVEN』作編曲:りっつRec,Mix:まっつん作詞:*Anco* その手で、明日を奪え。 「死ニタイ、」と切りつけた言葉にかくされた素顔見せて増えていく傷の数だけきっと俯いてしまっただけ まだ癒えない もう消せない傷跡なら連れてゆけ これはいつか抱いた哀しみのHAVEN滴る毒で 君は生まれ変わるのなにもないと泣いた闇を目眩すような 耳鳴りがまだ止まない 君はただ知らないだけさ まだその胸に潜む強さ 断ち切れない 振り切れない君を少し愛せばいい 涙も傷跡もそれはただ過去さ君は君でいい 明日は奪い返せるなにもないはずはないのさ目眩ますんだ その手を伸ばして、さあ、 これはあの日抱いた哀しみのHAVEN滴る毒で ぼくは生まれ変わるなにもないはずないさ、そうだろ?傷は強さだ その手が夜明けを撃つ その手で、明日を奪え!----------この曲はもうほぼりっつさんにおまかせで、『私らしい曲』をお願いして届いた曲になってます。。曲を聞いた瞬間、サビの歌詞はすぐに浮かんだ。『これはいつか抱いた哀しみのHAVEN』底抜けに明るいんじゃなく闇を纏って輝ける曲にしたいってこのフレーズが浮かんだときにきめた。私の歌が、私の音楽が、みんなにとってどんな存在になっているのかはわからないけど、10数年音楽活動を続けてきてこれが私が行き着いた『答え』だなあとそう思いながら作ったシングルになった。。きっともうぴかぴかに明るい曲はわたしには歌えない。けど、そんな私だからこそ届けられる音楽があるんじゃないかってそう、思うんです。この曲はみんなにどんなふうに届くのかな?どんなふうに届いてるのかな?わたしがいつもひっそりとかかげている作詞のポイント?は、『自分への応援歌』自分のことも奮い立たせることができる曲になったなあと、個人的におもふ。今回も強い武器になったなあ、と言う気持ち。次またいつ歌えるかなあ。。その時は、あいにきてね。
今年ラストの(になる事を願う)通院が終わりました〜まだまだ頑張らねばならないけど長く付き合っていかねばならないものなので、しっかり向き合って生きていこうと思います病気をして、手術をして、諦めて何もしない時間を謳歌してください、って看護師さんに言われるほどゆったりした時間を過ごしたりもして。事故にあって一生付き合っていかなければならないかもしれない怪我もして。心の病気にかかり泣きながら病院に通って。今年はなんだか、医療機関に大変お世話になる年だったなあと思いました、、笑婦人科系疾患を発症してもう若くないんだなあと思ったし事故に遭って注意力の無さを思い知ったし心の病でヘルプマークをもらって自分が思ったよりも強くないこと改めて気づいたし経験にならない経験はないと言うけど、本当にそうだなあと感じた一年だった、、本当に本当に厄年で色んなことがたくさんあって…初めてしっかりお金を払って厄払いをしてもらったんだけど、神に頼むだけじゃなくて自分自身もしっかりした人であらねばと思ったし、前向きな人たちとこれからも生きて行きたいから前向きでありたいなと強く感じた。。人生は短いから、自分を脅かすものに時間を割いている暇はないんだよ。ワトソンくん(誰?)悩んだら周りよりまずとにかく自分の心が1番どうするのが安らかでいられるか?を信じて生きてね。人ってそれぞれだし何が嫌だと思うかも何が我慢できないのかも本当に人によって違うから、自分は嫌じゃなくても他人には嫌だと感じたり、他人は嫌じゃなくても自分には嫌だと感じたり、ほんとうに、たくさんなんだ。だから、もう迷ったら、それが人として間違った道でないならば、じぶんが「こっちだ」とおもう道をゆくのが、きっと『正解』なんだよ。人生に正解なんかないからこそ自分なりの正解をさがして見つけて選んで生きていくしかないんだよ。今の私を私の生き方をそして私の音楽をどう感じるかだって本当に、人それぞれ。その人次第。本意ではない見られ方をしたり、逆に、自分には考えもしなかった道を示してもらったりもするんだと思う。このさきも。そのどれを吸収して切り捨てて学んで生きていくかは私次第。きみも、ね。そうなんだよ何を言われたって気にすんなとか片方の言い分だけ信じる人は少ないとかそんなん言われたってね。きついもんはきつい時もそりゃ、あるよね。そーゆーときはね自分に従っていいんだよ。いいんだって。だって、これは、自分が主役の物語なんだから。自分で綴っていくしかないんだから。そうでしょ?迷ったときはね、『理想の自分ならどうするか』を考えるといいんだって。けど無理しちゃだめだよ。理想は高く持たずに堅実にね。わたしも、そーするから笑きっとそうすれば未来は暖かいね。ぴかぴか明るいより、暖かくて優しい未来が、いいね。そうじゃない?何を言われても気にしない生き方はきっと私には無理。けど何かを振り払うには『没頭』がいちばんなんだって。没頭できるすてきなもの私はたくさん知ってるから。きっと、これからも暖かく生きてい行ける。信じればかなう。魔法だってつかえちゃうかも。だってさ、わたしは『夜の魔女』だもん。ね。
黄色くて大きな向日葵が、大好きだった小さいころから、ずっと。まあ、いい笑顔。こんな笑顔になれるくらい、黄色はあなたの色だと言われると嬉しかったし笑顔が向日葵のようだと言われるのは、『向日葵みたいな「あのこ」のように、笑顔が素敵な人になってね』と、母が大好きな本からつけてくれた名前を、肯定されるみたいで誇らしかった。向日葵のセットアップがお気に入りだった。黄色いリュックサックが大好きだった。そんな幼少期を思い出すとき、いつも同時に思い出すひとりの女の子がいる。彼女は、Hちゃん。小学校を三年で転校してどう新しく友達を作ったらいいか分からなかった私に、彼女は最初に話しかけてくれた。うちにゲームしに来る?って誘ってくれた。そうして彼女とは、中学卒業まで『同じグループ』にいた。一緒にいて楽しい半面、好きになれない面も、もちろんあった。二人兄妹でお兄ちゃんは結構年上で、待望の女の子だったから、とてもとても可愛がられ、甘やかされ、何もかも思い通りにならないと何かのせいにしてすぐに泣きだす、私の中の彼女の印象は、そんなだった。そんな彼女が、あるとき、黄色い向日葵の缶バッチを、サブバッグに着けて登校してきた。『かわいい!』私は思わずそれに反応した。すると彼女は、『とらないでね』そう言って笑った。冗談めいた言い方だった。だから私もそこまで気にしていなかった。けどそんなある日、Hちゃんの缶バッチがなくなった。朝のホームルームで教卓の前でうつむくHちゃんとそっとその背中をさする先生。『Hさんのカバンに着けてあった缶バッチが無くなりました。誰がどうしたとか、自分がとったとか、知ってることがある人がいたら手を挙げて教えてください』わたしは唇をかみしめるHちゃんをかわいそうだなあと思ったし、今日は一緒に遊ぼうって誘ってみよう。そう思ってた。そして次の瞬間、そんなHちゃんから出た言葉はあまりにも信じられないものだった。『とったのは、奥田さんなんです』クラス中が一斉に私を振り返る。ざわざわとざわめく教室。私はというと、何が起こったのかわからず、ただ前を向いて、私を指さすHちゃんをみていた。『奥田さん、立ち上がって下さい』先生にそう言われ、はっとした私は立ち上がる。『Hさんはあなたがとったと言ってますほんとうのことを教えてください』今思えばこれははなから私を疑う発言でしかなかった。『とってません。しりません』『けどHさんは貴方がとったと言ってます。そうなんですよね?』『そうです、奥田さんです』『とってません』『奥田さん、嘘をつくのは自分に嘘をつくのと同じですよ』『正直に言ってよ』真っ向から私を疑う姿勢の2人に耐えきれなくなった私は、思わず、声を荒げた。『とってないってば。自分で落としたんじゃないんですか?』『おとしてないもん!大事につけてたもん!』わっと泣き出すHちゃん。先生がHちゃんの背中をさすり、彼女と仲のいいKちゃんかすかさず立ち上がり彼女をなだめると、キッとこちらをものすごい目で睨んだ。『どうしてそんな言い方するの?』『いや、今Kちゃん関係ないじゃん』『関係あるとかないとかじゃなくて、なんでそんな言い方するの?って聞いてるの』『事実じゃないことで疑われていやな思いをしてるのは私なんだけど』『だからってそんな言い方はよくないって言ってるの!』Kちゃんが大きな声で言う。先生が止めに入ってKちゃんは席に着いたけど、Hちゃんは泣きやまず、話も平行線。私はピアノのレッスンを休んで放課後残されることになった。『親に連絡するんですか?』『このままだとね』『私、とってませんけど』『お互いの話を聞かないとだから』お互いの話なんて最初から聞く気すらなかったくせに。そう思ったけど、それは口にしなかった。放課後までの間、わたしはHちゃんと話すことを禁じられた。けどその間もHちゃんは『奥田さんいつもわたしのバッヂうらやましそうに見てた』『奥田さんってこういうところがあって私はいつもそれでも一緒にいてあげたのに』友人たちを捕まえては休み時間ごとに私の話をしていた。あること、ないこと。えーうそ、ひどいねーうわ、さいてー教室の隅で聴こえる『噂』に私は反論すらできないのに。そうしてようやく放課後を迎えるころには、私のこころは疲れ切ってた。職員会議室にお互いの親を呼ばれ、うちの母親は入ってくるなり『このたびは申し訳ございませんでした』そう言って、相手の親に、頭を下げた。『ママ、わたしとってないよ』『ちょっと黙ってて』『けど、』『そんな人になってほしくてその名前を付けたわけじゃないのに』その言葉は、何よりもショックだった。母親は一度も私と目を合わせなかった。ただ頭を下げていた。Hちゃんの親が、『うちの子の勘違いかもしれないので』と言ってくれてこの話は終わったけれど、『じゃあ最後に二人とも握手をして、奥田さんはきちんとごめんなさいを言ってそれで、仲直りして終わりましょう』先生が清々しい顔で、言った。とってない、って、また口を開こうとすると、『言い方がよくなかったのは、わかるよね?それでHさん悲しくなって泣いちゃったんだよ?みんなの前で泣かない様に頑張ってたのに』ね?と、私の手を取る先生の目は、有無を言わさぬ気迫を帯びていた。これ以上余計なことをするな、これで事が丸く収まるのに。そう言いたげに。言い方ひとつで、私の受けた苦痛がなかったことにされるの?皆の前で気丈にふるまえたから何?くやしさで一日下を向いていた私は頑張れてなかったねって事なの?彼女が付いたうそは?勘違いで広まった私の悪い噂は?ねえ、誰か教えてよ。『…嫌な、言い方して、…ごめんなさい』彼女に伸ばした私の手は、大きくふるえてた。そんな私の手をぎゅっと握り、彼女は、言った。『いいよ、これからも仲良くしてね』ぞっとした。微笑む彼女に、私は恐怖すら覚えた。けど、そう。きっとそうなの。彼女との『仲直り』を拒めば、私はこれから先ずっと彼女が広める噂の中で、『ひどいことをする私』として皆の中で生きていかなくちゃならなくなるのだとわかっていたから。それが、事実であるかなんて、周りには、関係ないんだ。だから、『うん、これからもなかよくして、ね』- だから私は、その日一人目の私を殺した。-許し許され人は生きているんだろう。許すのが正義だと、助けられたこともあるんだろうと、軽蔑されたり、悲しい人だ、ひどい人だと、後ろ指さされることもあるだろう。噂に翻弄されて貴方から離れる人もいるかしれない。それでもあなたはあなたを殺してまで、何かを許さなくちゃいけない事なんてないんだとどうか、知っていてね。本当に自分が好きだったのは向日葵の花なんかじゃなくって、向日葵を好きな自分自身だったなんてかなしすぎるもの。