標準体重への道一日一万歩歩いても痩せない? | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

20代の後半、30代目前まで、私はいくら食べても太りませんでした。

子どものころから小食のうえに偏食で、だから身体もそれほど大きくならなかったのですが、高校から大学にかけて急に何でも食べるようになり、当時は運動していたこともあって、おなかがすいたら満腹になるまで食べ続けるという状態に変化していました。

会社員になって運動不足にはなりましたが、傍で見ている人が気持ち悪くなるほどのジャンクフードを、大量に食べる日もありました。

私と同じようにあまり食べないお子さんを心配するお母さんから相談されて、「大丈夫ですよ、私も昔超小食で好き嫌いも激しかったけれど、大人になるまでには何でも好きなだけ食べる食い意地だけ張った人間に変身していました」なんて慰めていたのもこのころです。

しかし、自分の内心では「こんなはずはない、いつかは太るはずだ」と戦々恐々としておりました。

家族で運動しないものはおしなべて太ったていたので、私は痩せている体質ではないし、そういう遺伝子も持っていないと確信していたからです。

そしてそれまでの生活を同じように続けていたら、肥満はあっという間にやってきました。

僅か数か月の間にそれまでは全くそんなことは無かったのに、体重が5キロ、10キロ、15キロ・・・と増えていったのです。

それはズボンの胴回りにもっともよくあらわれました。

つい先日まではけていたズボンが、急に入らなくなったのです。

上着はもともと大き目のサイズを着用していたので大丈夫でしたが、胴回り、つまり浮き輪状に急に肉が付いたという感覚です。

それだけではありません。

体重が増加するとともに、急に体が重くなって、動きが鈍くなった自分を感じました。

それに、今まで一度も言われたことが無かった「太ったね」を何度もいわれているうちに、それがさらにストレスとなり、ついに「デブ」と言われるまでになってしまいました。

子どものころから、「もっと食べて太らないと」といわれてきたもやしっ子としては、念願成就なのかもしれませんが、実際には痩せすぎも太りすぎも、身体だけでなく精神的に良くないということを身を以て知りました。

それに、肥満って欲望のままに食べすぎ、自己管理がなっていないというイメージがつくせいか、いじめられやすいのです。

自分としては痩せていた時も欲望のままに食べていたから、管理云々は関係ないと思っていたのですが、よく考えたら自分も痩せていた頃に、太った人に対してそういうレッテルを貼っていたのでした。

もちろん、手をこまねいていたわけではありません。

とにかくみてくれがどうのこうのではなく、これから年齢を重ねてゆくにつれて、生活習慣病になったら大変だと思い、自分なりに努力はしようと考えました。

そこで、走る、泳ぐ、食事制限、やせ薬など、ありとあらゆるものを試してみました。

でも、結果は出ないし続きません。

そうこうしているうちに、痩せすぎと言われていた頃の1.5倍近い体重になり、さすがにこれはまずいと思い、昔とった杵柄でランニングしてみたのですが、苦しいうえに、無理に続けていたら膝を痛めてしまいました。

むかしのような体重のつもりで走ったら、脚が悲鳴をあげたというのが正直なところです。

ならば浮力のある水泳はどうかと思ったのですが、温水プールのある施設に通うのはお金がかかるし、しかも仕事の行き帰り、或いはそのためにだけプール通いするのは、時間もかかります。
それに行ったからといって、ジムのプールは水中歩行している人たちでごった返しているので、マスターズを目指すクラブにでも入らない限り、かつてのようなインターバルトレーニングはできません。

そして食べるほうは、運動すればするほど食欲も増加して、ますます太り、ついにもともとの体重の2倍近くになってしまいました。

そこにいたって、はじめてもう激しい運動はやめようと観念し、歩くことからやり直そうと思いました。

このころ聴いたフレーズが、「成人病予防のために、1日に1万歩」という標語です。

1万歩というのは、距離にして6~7キロですから、最寄り駅の往復では足りず、隣の駅まであるいてちょうど達成くらいの距離でした。

そこで、最初は家の近所を散歩するというよりは、時間があったので、電車に乗るところ、車で移動するところを歩くことからはじめたのですが、どんどん距離が伸びてゆき、横浜の自宅から都心まで片道を歩いたりもしていました。

何でもやりすぎに傾く自分の欠点です。

そして長距離の歩行、これが結構過酷で、夏になるとやはり電車に乗るという誘惑に負けてしまいます。

表面温度が60℃を越えるアスファルト上と、クーラーの効いた車内の違いだけでなく、移動時間が短いわけですから、一部区間だけでも電車に乗らないと、熱射病になってしまいます。

どうも1日一万歩というのは、毎朝早起きできる、あるいは毎晩時間のある特別な人たちのためにある言葉ではないかと思うようになりました。

ならば、自分の好きな旅を「歩き」にしてみたらどうだろう。

旧東海道の旅をはじめたきっかけは、そういうことでした。

しかし、まわり道も含めて旧東海道の旅全500㎞超は、やはり過酷でした。

歩きとはいえ、旅が好きでなかったらとても完歩できなかったと思います。

そういう意味で、旅の原点を再考する旅でもありましたが、一方で「痩せる」という目的は、まったく成果はあがりませんでした。

2週間、ないし1カ月おきに、一日20㎞~40㎞を歩くのですが、その移動距離の積み重ねがエクスキューズになってしまい、そのほかの日常ではまったく運動しなかったのです。

たまに長い距離をあるいてお腹がすくものだからたくさん食べて、やがて歩かない日常もそれなりの量を食べ…ということを繰り返していると、痩せるどころか、うまくいって増減なし、下手をすると、毎日少しずつ体重は増加してゆきという結果になり、結局愛知県西部で一日40㎞以上を歩いたことが引き金になって、体重の増加に、脚の中で最も脆弱な足首の関節がついてゆけず、足首を痛めてしまった結果、一時は松葉杖をつくまでになってしまいました。

そこから西へは、一日に歩くペースを落として進んだものの、気力だけで乗り切ったという感覚でした。

そもそも、有酸素運動するには、のんべんだらりと6~7㎞を歩けばよいというわけではないことを、私はつい最近本を読んでいて知りました。

いわゆる一般の名にも意識しないで歩く「歩行」(いわゆるダラダラと歩く)速度は3.6㎞/hくらいの速度で、分速になおすと、1分間に60m、つまり一秒1m程度の速度で。これが「ウォーキング」として歩行のみを意識して運動として行うと、時速4.8㎞、つまり一秒に就き1.3mくらいに伸びる程度で、これでは米国のスポーツ医学会が推奨する運動強度(運動時の負荷やきつさをあらわす数値)には足りないのだそうです。

つまり、よほど速度に注意して歩かないと、求められる運動量は達成されないということです。

そこで、有酸素運動として「歩く」のなら、だいたい時速6~7㎞で歩く必要があるそうなのです。

1時間で6㎞、30分で3㎞なら楽勝と思われるかもしれませんし、8時間歩けば50㎞くらいの距離が移動できると考えたくなりますが、さにあらず。

仮に時速6㎞として、1分間当たり100mで歩くということは、1秒当たり1.7m弱の移動になります。

旧街道歩きの際、100m毎に印のある国道を歩いて実感しましたが、陸上競技の経験もない一般の人が1分で100mを歩こうと思ったら、かなり歩幅を広げても競歩並みのスピードで歩かねばならず、私はそれを1時間ですら続けることができなかったし、歩幅を思い切り広げて無理して歩き続ければ股関節を痛めると思いました。

旧街道の旅では見学をしたり写真も撮ったり、途中で休憩を入れたりということを勘案すると、「時速6㎞×8時間=48㎞の移動」なんて、車の耐久レースじゃあるまいし、絶対に感じました。

よく、医師から健康のためにウォーキングをすすめられて、自分は家事をしているから、その時に汗をかいているから、特別に運動しなくても大丈夫と抗弁している人を見かけますが、家事程度ではよほど急ぎでもしない限り、有酸素運動にもならなければ、上記の推奨される運動強度も達成されません。

しかし、それが分かってからというもの、どうしたら毎日少しずつ身体を動かすことで、効率よく有酸素運動をして、推奨されている運動強度が達成できるかということを考えるようになり、これが小径折りたたみ自転車を購入して、通勤をはじめ、毎日の移動にとりいれる動機のひとつになりました。

そういう意味で、私が旧東海道を踏破したことは、全くの無駄ではなかったと思います。