旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

洒水の滝を見学した後、国道246号線の樋口橋(35.358205, 139.069153)まで戻り、川村関所前から御殿場を目指します。

眼鏡のように並んだ二つの短いトンネルのうち、向かって右の旧道安戸隧道(35.358174, 139.067575)を抜けます。

見上げると、痩せ尾根のように盛られたトンネル上の盛り土のはるか上空に、高圧線が横切っています。

どうもこのトンネルには人為的なものを感じて地形図をみると、尾根の地中に導水管のようなものが走っていて、左手の酒匂川に向って下る斜面に圧力管路があるようです。

つまり、トンネルの上には天井川が流れているわけです。

これが東京電力の山北発電所(35.356341, 139.068589)です。

地図をよく見ると、上流の丹沢湖三保ダムから取水された水がトンネルと一部の沢を水道橋で抜けて、この先の谷峨駅近く、酒匂川の左岸で落差を利用した発電が為され(東京電力嵐発電所)、そこで川の水を足してさらに水のトンネルと橋を設け、もう一度落として発電してから元の川に放流するという形になっています。

このように長い水路を設けて、その落差を利用する形式を水路式といいます。

有名なのは京都盆地の東側を流れる琵琶湖疎水がそれです。

ここの施設について、谷峨の取水口と、山北発電所の標高落差は39.87m。

大正3年の利用開始ですから、御殿場線開通から25年後の完工です。

最大使用水量は20.9㎥/sということですから、学校に設けられた一般的な25mプールなら、30秒とかからずに満たしてしまう流水量です。

こんな大量の水が絶えず流れていたら、施設の維持も大変だろうと思いきや、いつも水が流れているわけではないそうです。

たとえば台風などで増水した場合、水量が多すぎて圧がかかり、発電施設や導水路に過剰な負荷がかかって壊れる恐れがあるため、取水口で水門を閉じて水を止めます。

なるほど、絶えず発電をしているわけではないのです。

なお、上の高圧線は山北発電所で発生した電力を送電しています。

さて、トンネルを抜けて山の斜面にへばりつく小さな集落を抜けると、国道246号線の新道は川を渡ってたり、山を隧道で抜けたりしながら、ほぼ河原の上を橋とトンネルで西へ向かいます。

それに対して、こちらの旧道は酒匂川左岸の断崖を削ってなんとか設けられたような道路で、道路開通後もここが崩落の危険のある隘路だったことは、自転車で走ればすぐに理解できます。

御殿場線はというと、旧道左側の山中をトンネルで抜けているようで、ときおり沢筋に線路が露出しますが、トンネルは2つ並んでおり、かつて御殿場線が東海道線としてオール複線だった名残を確認できます。

なお、東名高速道路ですが、この御殿場線のさらに上の山の中をトンネルで貫いています。

このトンネルを都夫良野(つぶらの)トンネル(35.368992, 139.053020)といい、全長1689m(旧下り線、現下り線の左ルート)と、東名高速道路しか無かった時代には、日本坂トンネルに続く高速道路で2番目に長いトンネルでした。

東京方面から走ってゆくと、長いトンネルを抜けた途端に正面に富士山が姿を現すので、無機質になりがちな高速道路の中でも、印象深いトンネルです。

都夫良野という珍しい名前はトンネルの上にある集落の地名ですが、後醍醐天皇が軟調崩壊の際に東国に流され、ここへきて都のあった吉野によく似ているから、「都夫れ(それ)良野(よしの)」と呟いたところからこの名前がついたという伝説があります。

しかし、後醍醐天皇が関東へ流罪になった(流されたのは隠岐)記録はありませんから、東国や奥州へ派遣した子どもたちではないかと思います。

また、「ツプランガ」(「高い地帯に位置している」という意味のマオリ語)という縄文系のポリネシア系言語からきているという説をネットで見かけましたが、そこまで古いと検証のしようがありません。

樋口橋交差点から1.1㎞ほど西へ進むと、左側の廃線になった鉄道トンネル上にあるのが、線守稲荷(35.360440, 139.058975)です。

旧道からはいったん川の方へ駒の子集落まで下り、そこから登り返してゆく形になります。

旧道から尾根伝いに下る道を探したのですが、夏ということで藪が生い茂り、発見はできませんでした。

山下駅手前のトンネルに子どもたちが壁画を描いておりましたが、線守稲荷とはこんな話です。

むかし、駒の子集落を見渡す山の上にキツネが住んでおり、村人と共存していました。

ところが、この集落と山を貫く鉄道が開通すると、キツネは住処を追われてしまいました。

あるときから、列車をひいた蒸気機関車がこのトンネルを通過すると、大きな岩や牛が線路を塞いでいたり、停止を促す赤いカンテラが揺れていたりするのを度々みるようになりました。

機関車を停止させて線路を確認しても、見えていた岩や牛は忽然と消えており何もありません。

乗務員たちは震えあがってあのトンネルは呪われていると噂するようになりました。

そんなある時、ひとりの勇敢な機関士が列車を停めずに線路上に寝そべっている牛に機関車を突っ込ませたところ、衝撃を感じたために列車を停止させて点検すると、そこにはかつてここに住んでいたキツネの死骸が横たわっていました。

鉄道職員たちは相談して、これからは線路の守り神となってもらうべく、トンネルの上にここに伏見稲荷のお札を勧進して線守稲荷と名付け、毎年4月にお祭りを催しています。

信濃(長野県塩尻市の桔梗が原)や東北(二戸の金田一)の民話にも。この手のキツネが鉄道運行の邪魔をするという話があります。

新しいところでは、スタジオジブリのアニメーション『平成狸合戦ぽんぽこ』も似たようなお話です。

一般的には、自然を破壊して征服しようとする人間の身勝手さへの、自然の側からの抵抗として理解されるわけですが、私にはそこに住んでいた人たちと自然との幸せな関係を引き裂いた文明に対し、人間の持つ良心の呵責とか、うしろめたさがこの手の話を生み出すのではないかと思っています。

日本人は自然の中に神を観ると昔から言われているように、いくら社会のためとはいえ、山にトンネルを通す際に、それまでずっとともに暮らしてきた信仰の対象に風穴を開けられるような痛みは感じたはずで、その気持ちが今も例年にこのお稲荷さんを祀る行事にあらわれているのだと思うのです。

 

ふるさとの山に向って言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

 

啄木のこの詩を持ち出すまでもなく、いま、巨大なシールドマシンがあちこちで長大トンネルを掘っている時代、トンネル工事を行う人やそこに住む人たちに、或いはこうして旅人としてそこを通過する我々に、かつての祖先が信仰してきた山々を畏れ敬い続ける気持ちがあるでしょうか。

便利さと費用対効果ばかりを考えて、自己の損得に関係のないものは一切無視するという合理的な態度に陥っていないか、内省してみます。

線守稲荷から1.77km、新鞠子橋交差点(35.362238, 139.044845)で新道をかすめ、東名高速道路の下り線をくぐってさらに210m進んだ先で、旧道は二股に分かれます(35.364049, 139.044169)。

左が県道76号線で、すぐ先の鞠子橋で酒匂川を渡り右岸をゆくのに対し、右は県道727号線でそのまま酒匂川左岸に沿って進み、先ほど話題になった山北発電所の取水口や、嵐発電所(35.370517, 139.038267)のすぐ脇を通りながら、いったん丹沢湖から流れ出る河内川にそって北上したあと、ここから1.7㎞さきで県道76号線に合流、左折し川西橋(35.374084, 139.032310)を渡って折り返し、右手(西側)の山に酒匂川水系最古(明治43年建設)の東京電力峰発電所(35.372347, 139.030990)をみながら、400m南へ行くと、国道246号線の清水橋交差点(35.370890, 139.031733)に出ます。

実際に自転車で走るには右の県道を進んだ方が、道も細くて裏道らしく、また景色も美しいのですが、今回は御殿場線に沿うという趣旨なので、左の道をゆきます。

なお、右の道をとって600mほど先の左手にある嵐橋(35.367678, 139.040938)という吊橋で酒匂川を渡り、河岸段丘を登れば谷峨駅前に出ることも可能です。

次回説明しますが、谷峨から御殿場線に乗って途中をワープする場合は、こちらのルートがお勧めです。

鞠子橋を渡るあたりから坂道が急になり、一番軽いギアでゆっくりと着実にのぼってゆく感じとなります。

道沿いに食堂を見かけますが、まだ10時になったばかりでお昼には早すぎるので通過します。

その先で道はやや平坦になり、右手下の谷峨駅(35.366070, 139.038403)へ下る坂道を分けながら、谷ケの集落に入ってゆきます。

谷ケ(駅名は谷峨)という地名は面白いですね。

おそらくは南の矢倉岳からきているのでしょう。

谷ケの集落を抜けた先で、東名高速道路の下をくぐります。

右手の山の斜面に見えているトンネルの排気塔が、都夫良野トンネルの出口です。

その先、谷峨駅入口交差点で国道246号線に合流します。

旧道が新道とならんでいるので、240mほど坂を下って清水橋を渡ると、さきほど右のルートをとった場合との合流点である、清水橋交差点(35.370890, 139.031733)に出ます。

坂を下る途中の右手に見えるのが、丹沢湖から流れてくる河内川と御殿場方面から流れてくる鮎沢川の合流点、すなわち出合いです(35.371303, 139.033267)。

2つの流れに挟まれた正面に見える、前述した峰水力発電所が張り付いている山が城山(じょうやま)です。

峰発電所はこの先駿河小山駅裏手にある富士紡の事業所に電力供給するため開設された発電所です。

富士紡といっても馴染みないかもしれませんが、アンダーウエアのB.V.D.のライセンス権を持っている会社といえば親しみを感じるかもしれません。

発電所の裏手、城山の頂上付近には戦国時代に河村新城(35.375965, 139.025030)という山城がありました。

このように川を天然の濠にたとえた要害の地に山城を築く例は、おおきな勢力の境目にあたる場所では珍しくありません。

小田原北条氏が相模と駿河・甲斐両国との国境に設けた砦で、北条氏照と武田信玄が戦った三増峠の戦い(1569年)においては小田原城を包囲する前に武田方に落とされています。

また、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの際にも、滅亡した武田氏の遺臣を抱えていた徳川勢によって再度落城したとありますが、有力な史料はないようです。

次回は谷峨駅より西の清水橋交差点から、駿河小山方面へと向かいます。