師走に友だちと高尾山に登る | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

夏が長くなるに紅葉もどんどん遅くなり、いまではクリスマスが過ぎてもまだ葉が落ちない、お正月休みの間にたまった落ち葉を何とかせねばなんて考えるようになってしまいました。
友だちはこういう状況を「自然が悲鳴をあげている」と表現していましたが、その叫びにどれほど耳を傾ける人がいるのかと思います。
昔は11月の間に落ち葉をかき集めておいて、12月に入ったらそれで堆肥をつくったり、落ち葉炊きをして、なかで焼き芋をしました。
暮れが近くなると、当時は田んぼや畑が家の近所にも広がっていましたから、晩秋の夕方など自転車で走ると、谷間いっぱいに野焼きの煙が充満していて、走りながら涙が止まらない、そして家に帰って服を脱いだら、身体が燻製のようなにおいを放っていたなんてことがよくありました。
でも、決して不快ではなく、季節を感じる風物詩でもありました。
何年か前に、千葉県の印西市の方をブロンプトンで走っていたら、煙に巻かれるという経験をして、懐かしく感じました。

去年の12月、そろそろというか、漸く紅葉がきれいになってきたということで、友だちと高尾山に登ってきました。
この友だちとは最近車での移動が中心なので、たまにはハイキングして身体を動かしたいという意図もあったのです。

同じく秋のカテゴリーに入るとはいえ、9月初旬と12月初旬では、やはりかなり違います。

9月には紅葉の「こ」の字も感じられませんでしたが、12月のこの日は、高尾山を下から見上げても紅葉の真っ盛りというのがわかります。

というか、本来であれば12月はすべて葉が落ちて、山は冬の装いのはずです。

やはりどこかがおかしいのでしょう。

高尾山口駅そばの駐車場に午前6時半ごろに車をいれて、お手洗いを済ませてからまだ始発にはかなり時間のあるケーブルカーの山麓駅前で登山路を選びます。

自分ひとりの時には自分の好みの道をゆくのですが、やはり、はじめて2人で山に登る時は、一番安全なルートをたどるべきでしょう。

ということで、9月初めに登ったのと同じ1号路を辿りはじめました。
歩き始めて間もなく、友だちは子どもの頃、お正月に毎年この道を家族とともに登っていたのを思い出し、懐かしいと感想を漏らしていました。

私の方は、3か月前に辿った時との違いを感じておりました。

あのときとは違い、陽はかなり低い位置にあって、谷間をゆく道は薄暗いままです。

おそくても、やはり確実に季節は巡っているのです。


正面から犬を連れて降りてくる人がいるのは、夏の終わりの頃と変わりません。
きっとあの方たちは通年で朝に山に登ってお参りすることで、毎日の運動をしているのでしょう。

そうやって改めてほかに歩いているひとをみると、けっこう高齢な方もいらっしゃいましたが、太っている人はおりませんでした。

私は友だちが犬ばかりではなく、鳥や植物にまで優しく声がけをしているのをみて、自分は久しくこういうことに鈍感になっていたことを思い出しました。

そして、身体だけでなく、自分の脳ミソにもよけいな脂肪がたくさんついてしまっているような気がしてきました。

私は3カ月前に登ったばかりだし、最初は楽勝だと思ったら、友だちの方が徐々に歩みは速くなってゆくのでした。

あれれ、日常的に運動しているのは私の方なのになぜ?と疑問がわきます。

しかし、よく考えれば体重で10キロ以上差があるわけで、私は相手より10キロ以上の荷物を背負うというハンデがあるようなものです。

これ、ブロンプトンを背負って山道を歩いたとき、切実に感じたことでもあります。

同様のことは、スキーでも水泳でも感じました。

体重が昔のままのつもりで滑ると、停止位置がずっと下だったり、競泳をやっていたからと頭から飛び込んだら、入水角度が昔のままで、危うく底に頭を突き刺すところすれすれだったとか。

もう慣れたから驚きませんが、体重の増加に気が付かないというのはけっこう危ないのです。

逆に、ブロンプトンを購入してシャカリキになって走って、体重20キロ一気に落としたときは、昔の身軽さを取り戻したようで、とても気分が良いのでした。

(急激に落としたので、ケガもしましたし、しっかりリバウンドしました。)

そういう状況を振り返ってみると、やはり自分も今よりもう少し体重を落としたいと思います。

太っている現状を受容したうえで、自分からどうにかしたいと思うことがダイエットへの第一歩で、こうしてそれに気付かせてくれる友達の存在はありがたいと思います。
これに対して太っている人を馬鹿にするばかりで、本人の痩せる勇気を削ぐようなことばかりしている人というのは、「その人のため」というお為ごかしをしながら、実は相手には太ったままでいてもらわないと、自分が痩せているというアドヴァンテージが維持できない、つまり相手に対してマウントする口実が減ってしまうので、本心は相手に太ったままでいて欲しいのです。

こういう人がそばにいると、「サーカスの象」の理論ではありませんが、自己肯定感が低いままに押しとどめられてしまいます。

こういう人が身近にいたなら、できるだけ距離をとるようにしたいと思うようになったのは、つい最近のことでした。

そしてそのような連中が、太らないのをいいことに街中で車ばかりに頼って、いっこうに自分の足を使おうとしないでいるのを見ると、あのようにはなるよりはマシかと思うのでした。

谷を詰めて布流滝で折り返して金毘羅台へ続く稜線上にでると、朝陽が差し込むようになり、紅葉の葉にあたってグラデーションを織りなすようになりました。
やはり登山は陽の昇り降りする時間帯が最も美しいと思います。

尾根上に登り切ったあたりで、ケーブルカーに乗ってきた人々とかち合ったら嫌だなと思っていたら、幸いにも山上駅はまだ静かで人はおりませんでした。

よく晴れていて、都心方面も見えたのですが、友だちとの会話に夢中になって、お約束の展望写真を撮るのは忘れてしまいました。
ケーブルカーが動き出す8時ごろに、浄心門につきました。

今回は2人なので、山門やお堂をじっくり観察しながらお参りし、もっとも上にある奥之院や浅間社の裏から、高尾山山頂までゆきました。
富士山はまだ本格的ではないものの、やや薄目の雪化粧という塩梅です。
旧街道を巡っていて思うのですが、富士山は黒富士よりもやはり雪が冠っていた方が、より霊峰という感じがします。
近年は冠雪期も短くなりつつあるようで、それに伴って閉山中に無茶な登山をする人も増えているということで、やはり富士山はのぼるよりも観ている方がいいと感じてしまうのでした。
富士山に登った経験のあるなしではなく、登って、或いは登ろうとして失敗し、何を学んだかが重要だと思うのです。

下山時は登りよりも下りの方がきついのでリフトに乗ったのですが、今回はカメラマンがいたにもかかわらず、なぜか無視され、安堵するのでした。
車に戻って、冬に大垂水峠に行こうとして間違えて小仏峠行きのバスに乗ってしまったときに発見した隠家的蕎麦屋さんにいって、お昼を食べました。
11時半をまわってちょうど混雑する寸前、ギリギリセーフで待たずに食べられました。
やはり朝が早いとなにかとスムースにことが運ぶものです。

それに、運動した後の蕎麦って、痩せようとしている感じが自覚出来て、なかなか良いものです。
そのあと、夕方になって相模湖プレジャーフォレスト(旧相模湖ピクニックランド)に行きました。

なんだか俗っぽいことが急にしたくなって、イルミネーションを見に行ったわけですが、夕方の日が沈む刹那に、山の上に設けられた観覧車乗り場で、裏後光に出くわしました。
イルミネーションよりも、そちらの方がずっと美しく、自然に勝るものはないとつくづく感じた一日でした。
友だちは久しぶりにハイキングをしたせいか、夕方には足を引き摺っていたので、ちょっと心配になりました。

わたしも久々に運動すると張り切り過ぎてどこかおかしくするということをよくやりましたから。

(旧東海道の歩き旅などが典型です)

しかし、翌日は元に戻ったと報告があり、安堵するとともに、何かに守られているような気になりました。