もう40年以上前の話ですが、12月のある晩に、高校生だったわたしはひとり清里駅から清泉寮への坂道をとぼとぼと歩いて登っておりました。
家族の知り合いの大学教授が、清泉寮でクリスマスパーティをやるということで、学校の行事があってひとり遅刻していったために、夜の8時ごろに清泉寮へ着く羽目になったのです。
当時はバブルのはしりの頃とは言え、清里の駅を出て小海線の踏切をわたると人家は途切れ、あとは牧場を左に見て、右には林が続く街灯の感覚が極端に開いて真っ暗な直線の一本道でした。
正面には八ヶ岳の黒々としたシルエットの上に星が輝き、それに見とれていると、所々積もった雪がカチカチに凍った道路に足をとられて転倒しそうになるので、真剣に身体を前のめりにしながら、慎重に登ってゆくと、道路が凍り付くほどなのに身体から汗が噴き出してきました。
そこまでしてなぜ行ったかというと、その先生の大学は受験が必要だったけれど、自分の進路にかかわることを教えていて、その前にも自分の通っている学校の傍に住んでいたこともあって、会ったこともつので、ぜひ参加しておきたかったのです。
遅れて来た私は食事をすすめられ、コテージの暖炉の前で、先生がアカペラで歌う讃美歌「いつくしみ深き」を、暖炉の炎を見つめながら聴き入っておりました。
結局その先生とはそれ以上の縁はなかったけれど、私は自分の好きな分野の職業に就けたから、それでよかったのだと思います。
その時点で、清泉寮といえば小学生だったそれよりも10年以上前に、家族旅行で夏に訪れた際、降り立った駅のホームに濃い霧がたちこめていたんのをよく覚えています。
その頃の清泉寮はまるで修道院のような感じで子どもにはちょっと怖かったのですが、書籍を借りた思い出があることを、前のブログに書いた通りで、自分にとっては本と自分を橋渡ししてくれた場所でもあるのです。
しかし、よい思い出ばかりだけではありません。
あるとき、ここのコテージに泊った時、急に無理をいって宿泊予約したからなのか、まったく掃除が無されていないことがありました。
そのコテージのお風呂は、ゲジゲジの死骸だらけで、連絡したら掃除にきてくれたものの、その日はとても入浴する気になれず、近隣の温泉施設にゆくほかありませんでした。
私はここが教育施設であることも知っていたので、一般のホテルのようなクレームをあげなかったら、同行者にはひどく怒られてしまい、もう二度とここには来ないといわれてしまいました。
結局、その時は縁がなかったのだと思います。
それからずっと、清泉寮に行くことは控えていました。
それが旧甲州街道の旅をはじめたこともあって、コロナで安く泊まれる時期があり、夏のはじめに独りで宿泊したのですが、その時に新館をはじめてみて、あまりの変わりようにびっくりしました。
まるでどこかの高級リゾートホテルのようになっていたからです。
お風呂も温泉がひかれていて、食事場所も山小屋みたいだった元の場所から、大きな窓があって明るいホールになって、バフェットスタイルで食事をしていて、昔の食事からは一新されていました。
去年の11月、ひょんなことから予約が取れて、何年かぶりに昔の友だちと清泉寮を訪れることがありました。
コロナもあって別々に部屋をとり、片方の部屋で旧甲州街道の台が原宿に蔵がある山梨銘醸株式会社さんの七賢の新酒をいただきながら、昔の思い出について語り合いました。
こうして、少しずつでも自分の記憶をたどってみると、自分の人生は悪いことばかりではなかったと思えてくるのでした。
そして、中学から高校生にかけて、えらく純粋だった自分の魂にも触れることができました。
ここのところ、新しい友だちとちょくちょくとお酒を飲むのを再開していた私は、昔の友だちと飲むにあたって最初は酔っぱらう自分をひどく恐れていたのですが、最終的に手元が狂う程度には飲んだものの、酩酊するほどではなく、お陰様で無事に気持ちよく自分の部屋で眠りに就くことができました。
そして、自分はもともとお酒がそれほど嫌いではなかったことも思い出しました。
アルコールの飲めなかった、飲めても敢えて飲まなかった昔を思い出すと、自分とアルコールの距離感がはっきりとしてくるのでした。
これまではアルコール依存のことをよく知っていたから飲酒を極力避けていましたが、もともと私はお酒に依存した経験はありませんし、今回、飲酒が引き金になって自己の病が目を醒ますこともないと確信したので、これからはたしなむ程度には飲んでもいいと思えるようになりました。
翌朝、牧場の朝を散歩したのですが、歌のような、そしてかつてのような霧は立ち込めていませんでした。
その代わりに富士山と雲の上に浮かぶ南アルプス、そして清泉寮の後ろにそびえる八ヶ岳が見事でした。
それはまるで、これまで清泉寮へ人生の節目節目で訪れてきた自分を、山々が改めて歓迎してくれているようでした。
そして、私とこの場所の記憶に、新たな、そして暖かく希望に満ちた思い出の一頁が加わりました。
ここにほど近い手作りの教育関連施設のこともチラッと頭に思い浮かびましたが、そこに加わっている一員である知り合いの、内面の陰湿さに気付いてから、そこで提唱されている理念も含めて全く興味が湧かなくなり、訪れる気も失せたのとは対照的です。
その後、裏にあるポールラッシュ記念館に立ち寄りましたが、こちらの方が昔の清泉寮らしさをたくさん残していました。
そして、昔の清泉寮は、かつて自分が通っていた学校の寺子屋的な雰囲気とも共通していることに気が付きました。
同じくキリスト教の精神を支柱にしていますし、聖書を読みながら農作業をするところが、よく似ていたのです。
清泉寮とは、もともと農業実習施設ですし、それは北海道大学の前身である札幌農学校も一緒でしょう。
なお、敢えて料金の安い旧舘の方にほうに宿泊すれば、昔の清泉寮の雰囲気は今も味わうことができます。
(コテージの方は、リニューアルされていると聞きました)
山の空気はもうすすそこまで冬が近づいてきているような冷たさでした。
いままでひとり旅が多かったけれど、こんな風に友だちとゆっくり過ごすのも、この歳になってこその穏やかな楽しみもしれないと思うのでした。