自転車で坂を登るようになって得た力 | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(尾頭峠)

学生の自分には体力測定が毎年ありまして、いつも「数値が低すぎる」と言われるもののひとつに、握力計測がありました。

私はもともと手のひらが大きいほうではないので、ひょっとすると握力計の持ち幅を間違えていたのかもしれませんが、その時分手に力を入れると、どうにもくすぐったくなってしまい、強く握れないのです。

典型的な握力不足だと言われました。

体育の時間、手を前に伸ばして手のひらを開いたり握ったりを繰り返すと、大概の場合は他の人よりはやく疲れてしまうのです。

(これとて、要領が悪いだけかもしれません)

その当時親に相談すると、「重いものを持ち運んだりしていれば自然につくのに、これまで家の手伝いをしてこないからだ」などと、何の解決策にもならないことを言われるばかりでした。

(笹子峠)

それなら、毎日の通学で重い鞄を持ち歩いている私は、どうして握力が弱いままなのでしょう。

当時は片道1時間半かかる登下校時に、革の学生かばんを指定され、ショルダーバッグは禁止されていたし、辞書なども学校に置いておくこと(いわゆる置き傘ならぬ置き字引き)も禁じられておりましたので、自分にとっては切実な問題でした。

一年を通して手にまめがありましたし、寒い冬など歩く時間が長いから、手のひらが痺れてしまい、学校に行っても暖房器具でゆっくり温めないと、なかなか手の感触が戻ってきません。

そこまでしても、握力が強くなることはありませんでした。

これは自分が手を使う球技に慣れ親しんでこなかったことのつけなのでしょうか。

そういわれてみると、幼稚園から小学校の低学年にかけて、苦手な遊具といえば上り棒と雲梯でした。

高いところが怖いわけではなく、むしろ好きなのに、特に登り棒は他の子のようにスルスルと登るわけにはゆきませんでした。

雲梯も、短いのに端から端までたどり着けません。

そして鉄棒の逆上がりは、ご多分に漏れず小学校5年生になってやっとできるというありさまでした。

なんとかして握力をつけるにはと思い悩んだこともありました。

同じように考えている友だちも結構いて、家に遊びに行くとハンドグリップと呼ばれる、握ったり離したりを繰り返すことで握力がつくという器具があって試してみたのですが、「これをやったからといって、手のひらが大きくなるわけではないよ」と言われるのでした。

どうも手のひらの大きさや指の長短は遺伝の要素が大きいからとのことです。

但し、手のひらが小さいからといって握力のあるなしとは何の関係もないとも言われました。

でも、握力って他の筋肉と違ってどうつけたらよいのかわからないのです。

そうこうしているうちに、握力というものはどうも前腕部の筋肉が関係しているのではないかと思いました。

つまり肘から手首にかけての筋肉です。

(十石峠)

ちょうどそのころ、スキーのストックワークで悩んでいて、練習時に何度も強く突きすぎたために両手の甲が腱鞘炎になってしまい病院に行ったところ、スポーツ医学専門のお医者さんから、手のひらばかりに注目しているのではなく、前腕に筋肉をつけないと駄目と言われたのがきっかけでした。

いちおう、断っておきますが、他の筋肉が総じて貧弱だったわけではありません。

当時は体が軽かったこともあって、腕立て伏せは25~30回連続なんて、それほど苦にしていませんでした。

そこで、大学生になったら部活の器具でウエートトレーニングに励んでみたのですが、上腕はどんどん太くなるのに、対照的に前腕部は細いままです。

これは足にもいえて、泳ぐなり滑るなりしていれば太ももはどんどん太くなるのに、膝から下のふくらはぎから足首にかけては一向に筋肉がついてきません。

もう仕方ないやとあきらめてしまいました。

さて時は流れ、健康診断はあっても体力測定はない社会人になり、体型もどんどん変化して、30代以降は「このままでは生活習慣病になる」と思うほどのおじさん体型になってしまった私は、何とかして体重を減らそうと、長距離を歩いてみたり、自転車に日常的に自転車に乗ったりして色々試してみたわけですが、握力のことなどすっかり忘れていました。

だって痩せることには関係ありませんでしたから。

それに、一度学生時代に筋肉をつけたのに、社会人になってそれが脂肪化するのを経験してきたことで、これ以上筋肉をつけるのは意味がないと感じていました。

それよりも、体の表面と内臓についた脂肪を減らす方が急務だと思いました。

だから、学生の頃に良く行ったサーキットトレーニングやら、ウエートトレーニングには全く食指が動かず、そんなことをやる暇があったら、少しでも有酸素運動の方をした方がよいと考えてきました。

これがプールのないスポーツクラブに入らなかった理由です。

(ヤビツ峠)

スポーツクラブにも、トレッドミル(ランニングマシーン)や、エアロバイクがあって、これらを活用すれば有酸素運動ができるのは知っております。

でも、どうせなら足でにしても自転車にしても外を走ったほうが気持ちが良いではないですか。

夏などは空調の効いた室内で運動した方が心地よいかもしれませんが、私はアウトドアが好きなだけではなく、旅先で運動をすることも興味があったので、同じ場所で日常的に運動することに関しては、少し抵抗がありました。

いっぽうで、運動しようにもあちこちわき見して気が散るからなかなかまとまった有酸素運動ができないという悩みもありました。

日常の生活でも、同じところを毎日走ったり、サイクリングも単調な景色になりがちな河原のサイクリングロードを同じペースで延々と走るのは、ちょっと苦手だったのです。

だから、早朝の通勤時は今でも空いている幹線道路ではなく、路地裏をつなぐようにして走ります。

そしてブロンプトンに乗り始めて10年が過ぎるかすぎないかという時期になって、ようやく小径折りたたみ自転車の登坂が運動になって楽しいということを自覚しだしたとき、思いもよらないことに気がつきました。

旧甲州街道の旅などで一日峠を上り下りして帰宅し、お風呂に入って眠っていると、なぜか肘から先、手のひらまでが筋肉痛のような、それほど不快ではない痛みを覚えるのです。

そういう機会が増えてから、通勤時に自転車で走るとき、いままで避けていた急坂も、山の中よりは断然距離が短いゆえに登れるようになりました。

その上りの際には、なるべくダンシング(いわゆる立ち漕ぎのこと)をせず、ペダルの回転数をあげたまま、ハンドルを両腕でサドル方向に引き寄せるような形で、上体もかなり使っていることに気が付いたのです。

それまで、平地や下り坂を選んで走っていた時は、自転車といえば腰から下を必死で使い、上半身はどちらかといえばリラックスしているイメージでした。

乗っているのがブロンプトンのMハンドルなので、とくにそれが自然だと思い込んでいたのです。

ところが、こうして改めて上り坂を登るようになってみると、こちらの方がより正しいポジションで乗らないと、坂が登れないものですから、自然と前傾姿勢をとるようなスポーツ自転車と似た体の使い方になっていったのです。

ハンドルを両腕で手前に引くということは、身体もとくに急坂では前に傾いていないと、前輪が浮いてきてしまいます。

そして、腕の筋肉もどちらかといえば、肘よりも先の筋肉を活用しているようにも感じました。

そうすると、我ながら昔なら考えられないような強い握力で、両方のハンドルグリップをしっかりと握っている自分にも気付いたのです。

つまり、私は無意識のうちに、かつてあれほど悩んだ握力をこの年齢になってあらためて鍛えていたのでした。

さらに介護関係の本を読んでいたら、加齢や病気の進行などとともに、筋肉量が減少してゆき、いままで出来たことができなくなる、いわゆるサルコペニアのひとつの指標として、握力は重要視されていると知りました。

ということは、自分は還暦を前にして、加齢性筋肉減弱減少に抵抗するトレーニングを楽しさのうちに身につけていたということになります。

たしかに、高齢者を観察していると、歩くことはできるのに、たとえばスプーンなど大して重くもないものを上手に持てず、使いこなせなかったり、自分を支えようにも手すりをつかむ力が弱くて立ち上がれないなど、まるで私が幼児の頃握力がなかったために苦労したことと似たような状況になっている人たちをお見受けします。

まだその手前の自分にとり、日常生活を送るうえで極端に弱くなければそれほど困らない握力ではありますが、はからずもこうして時を超えて昔出来なかったことができるようになっていたというのは、人生におけるひとつの恩寵なのだと思います。

運動というものは、「やらないといけない」と思うとえらく億劫だし、たとえそこで努力してできたとしても、精神的にも肉体的にも疲労を感じるものです。

だから習慣化しようとしてもなかなか続いて行かないのだと思います。

でも、このようにたとえ副産物としてであっても、知らず知らずのうちに身についたものというのは、良い意味で身について離れません。

何か自己の行為(この場合は自転車で坂を登るという愉しみ)への依存も、良い方向に向かえば宝物になるのだということを、またブロンプトンから教わったのでした。