諏訪大社に行った友だちと、武田信玄の話題になり、そこから諏訪御料人の話になりました。
私は旧甲州街道を辿るにあたって、新田次郎の『武田信玄』『武田三代』を読んだし、はるか昔に井上靖の『風林火山』を読んでいたので、諏訪のお姫さまと呼ばれる彼女のことは知っていました。
諏訪御料人とは信玄の側室で、武田勝頼の母でもあります。
歴史的な資料としては否定される『甲陽軍鑑』によれば、1545年に14歳で当時武田氏と同盟関係にあった諏訪氏から輿入れしたものの、のちに武田氏と諏訪氏は敵対し、彼女の父諏訪頼重は戦に敗れた後に甲府の寺に連行され、自刃しています。
このことから、各歴史物語では悲劇の姫として扱われることが多いのですが、彼女の正確な名前は伝わっておりません。
井上靖の小説では由布姫、新田次郎の作品では湖衣姫と名付けられていて、どちらも大河ドラマになっているせいか、現代ではよく知られている方です。
直近の大河ドラマでは、武田氏の軍師山本勘助が武田氏(甲斐)と諏訪の融和の象徴として信玄の側室に迎えるというあらすじでしたから、こちらの方が有名なのですが、すべて資料が『甲陽軍鑑』をもとに作者の空想で組み立てられているので、史実としてはどうなのか分かりません。
しかし、父を夫に殺され、子どもを跡継ぎ(正室との長男は、駿河今川氏からの姫と結婚し、やはり自刃)にしている、そしてその子は悲劇の最期を遂げて家は途絶える、という点では、悲劇の姫で間違いないと思います。
戦国の世の常とはいえ、この時代の武家の子女は、近隣諸国との和睦のために人質として差し出されることは珍しくありませんし、そのことで家内にゴタゴタが生じることも、これまたよくあることだったときいています。
ということで、武田氏にちなむ神社にゆこうということで、まず目指したのは武田八幡宮です。
普通は甲府にある武田神社を思い浮かべると思いますが、旧甲州街道を辿っていて、韮崎市にあるこちらの神社の方が、平安時代の創建で、信玄公よりも前の時代から武田氏の守護として重要視されてきたということを、旧道旅のときに知ったのでそうしたのです。
またこの神社は、織田氏の甲斐侵攻に際して、勝頼の妻北条夫人が戦勝を祈って祈願文をささげたことでも有名です。
前に別の友だちと行ったときは祭礼でにぎやかで、なかなか楽し気な雰囲気だったのですが、この日は風が強く、また11月に入って北向き斜面の山の中腹にあるこの神社は朝に冷え冷えとしていて、さらに犬の散歩をしている人の他はだれもいなかったので、まるで宮沢賢治の『注文の多い料理店』にあった、「風がどうと吹いてきて草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました」状態になり、身体も冷えてきたので、参拝を済ませたのち大急ぎで退散しました。
そのあと、まだ早い時間だったので、中央自動車道双葉サービスエリア近くにある、スウェーデン語で「三杯目のコーヒー」という名前の、朝からやっているカフェにいって、朝ごはんを食べました。
このお店は普段は10時からの営業ですが、土曜日だけは8時半からやっております。
野菜中心のメニューと自家焙煎の美味しいコーヒーをいただきながら話していたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
そしてやってきたのが、甲府駅の北にある武田神社です。
信玄公の居館、躑躅ヶ崎館の跡地に建てられて、彼自身が祭神です。
ドラマなどでは「おやかたさま」と呼ばれている武田信玄、「親方」でも「御館」でもなく「お屋形さま」です。
現代の地元民は「信玄さん」と呼んでいるそうですが、彼の人生から、勝負事に勝つだけでなく、自分自身に勝つ、さらには産業、経済の神様として祀られているそうです。
しかし、この日の朝に訪れた武田八幡神社とともに、いくさの神さまであることは間違いないようです。
私も初参りは鎌倉の鶴岡八幡宮だったし、友だちは杉並の大宮八幡宮だったとのことですから、八幡大菩薩つながりということで、まぁいいかと思いました。
武田八幡宮と違い、こちらは雲も晴れて陽射しが注ぎ、風は強いもののとても明るい雰囲気でした。
神社の奥から裏手に回り、紅葉の境内を散歩したのですが、さすが居館跡で、土塁のようなものもあり、とても広いのでした。
ところで、信玄公のお墓はどこにあるかご存知ですか。
ここから自転車で5分くらいの住宅街の中にぽつねんとあります。
この時は行きませんでしたが、車をとめるような場所も無く、歩いてゆくにはちょっと距離があるので、自転車があったら便利です。
なお、甲府駅から武田神社までは2㎞ちょっとではありますが、自転車で走ると高低差がかなりあるのがわかります。
旧甲州街道の旅の折、甲府駅周辺のビジネスホテルに泊まった時は、ちょうど良い早朝の運動になりました。
最後は勝沼の大善寺(真言宗智山派)に立ち寄りました。
このお寺、拝観してみるとわかりますが、何気に国指定の重要文化財が多いお寺です。
また、言わずと知れた、戊辰戦争における勝沼の戦いの舞台です。
その際には、戦火に焼け落ちるのは惜しいとして、近藤らはここに本陣を構えず、ここよりさらに甲府盆地側へくだった柏尾橋に陣を敷いたそうです。
なお、武田氏滅亡の折、武田勝頼が小山田信茂の離反に遭う直前に宿泊し、織田徳川連合軍に対する戦勝祈願をした記録も残っています。
ここのお寺はユニークで、民宿というか、お寺だから宿坊を経営していて、ぶどうを栽培しているので、お寺製のワインも販売しています。
さらに、有名なドラマのロケ地になったので、今はその主人公たちにあやかって、(ドラマの設定上だけでなく、実際に俳優さん同士が結婚されたことから)縁結びを祈りにくるカップルも増えたのだとか。
最後は上記のような景色をみつめながら、青梅街道沿いのわらび餅の店、はまやらわさんが塩山に出した支店(というか、製造工場を既に柳沢峠近くの山の上から下に移し、山の上は春から秋の間しか営業していないそうです)に立ち寄って買った、名水わらび餅をいただきながら、この不思議な一日の感覚を話していました。
私は甲斐の国より信濃の国の方がスキーをやっている関係上何かと思い出があるのですが、こちらもオートバイで走り回っていたので、山奥の林道はよく知っています。
友だちの親戚もこちらだそうで、いろいろ思い入れはあるけれど、少しづつ色々な場所に行ってみようと話して帰路につきました。