少しだけ滑れば満足(その2) | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(その1からの続き)

スキーウェアを叩く雨を感じつつ、ワックスを板の滑走面に塗って、スキーを背負い、駐車場からゴンドラ乗り場を目指します。
一年ぶりに履いたスキー靴は、重くて硬くて痛いままで、これが嫌でスキー嫌いになる人もたくさんいることと思います。
わたしも、もしこの年になってからはじめてこれを履けと最初に言われたら、拷問かと思うでしょう。
振り返れば、私がスキーを始めたころは、もっと丈の短い編み上げ靴で、スケート靴に近いものでした。
今のようにくるぶしまで固定されていない分楽でしたが、その時代は骨折をはじめとするケガも多く、靴の中を濡らしてしまったら、完全に両脚の感覚を無くしていたように記憶しています。

よく冬休みがあけた後に「スキーで転んじゃって」と松葉杖姿で現れる人が話題になっておりました。

それくらい、スキーは危ないスポーツという認識でした。

 

板を担いでゴンドラリフトに向かいます。

今年は宿から券を借りているので、購入したり、引き換えたりする手間がありません。

雨が降っているのでガランとしたゲレンデベースを横切って、重苦しい雰囲気のまま乗り場に行くと、ゴンドラもまたガラガラでした。

ひとりキャビンに乗り込んで外の景色を眺めていると、今シーズンは、去年やおととしに比べて明らかに雪が多いことがわかります。

一時期このスキー場は外国人スタッフばかりでしたが、今は日本人に戻ったみたいです。

3年前くらいでしたか、このゴンドラの中で外国人カップルと一緒になってしまい、気まずい思いをしたのを思い出しました。

ヨーロッパとかカナダでスキーをしてきた自分は、山でハイカーが挨拶するように、リフトやゴンドラで相客になった場合は、挨拶程度の会話をすることがあちらでは普通と知っていますが、日本ではそれはかなり昔の話で、今は黙っているのが普通です。

でも、それが向こうの人たちには「何考えているか分からない」と不気味に映ることも知っています。

その点、独りは気楽です。

8分かけて上部駅に到着したら、スキーを着けて滑りだすのですが、3分ほど滑った先にあるクワッドリフトに乗って、このスキー場の最上部へ毎回登ることが習わしになっているので、バックルも締めず、ストックも片手にまとめて持ったまま、ゲレンデを下ってゆきます。

リフト乗り場に到着すると、滑ったまま改札を抜けて、スタッフに「おねがいします」と挨拶してそのままリフトに乗ります。

こうした動作は慣れてくると、まるでスキー場のスタッフのそれです。

大学生の頃、毎年スキー場でアルバイトしていて、従業員パスで乗車していた自分には、こうしたことがもう習慣として身についてしまったいます。

そして今度も誰もいないがゆえに四人乗りに一人で座ると、雨があられになっているのに気がつきました。

雹(ひょう)や霰(あられ)というものは、雲の中で水滴がぶつかり合って、溶けたり凍ったりを繰り返しながら成長するとしっているので、雪のように結晶が無い分、降り方も即席であまり優雅ではありません。

よくみると、去年の今頃は咲いていたマンサクが、まったく見当たらないことにも気づきました。

濡れないだけましかと思いながら山頂に到着すると。

あたりは真っ白で視界不良です。

シーズンの出だしは五里霧中かと、少しだけ準備体操をしてみます。

すると、身体が硬いのなんのって、これでは整備不良の道具と合わせて、ケガを予想してしまいます。

中斜面といいながらも、斜度がきつく、コース幅もそれほど広くなく、ところどころねじれていて、午後ゆえにかなり荒れた雪面を下ってゆくと、「自分こんなにスキー下手だったかな?」と思うほど、脚はばらけてバランスも悪い滑りになってしまいます。

やはり1年間滑っていないと、感覚としてはこんなものでしょう。

おまけにオートバイで転んでケガをした古傷まで痛み出しました。

これならブロンプトンを持ってきて麓の道をサイクリングしていたほうが良かったかなと思いつつも、今年は雪道だし雨が降っているから、自転車を持ってきても役に立たなかったという現実も思い出しました。

やはり白馬を自転車で走るのなら、スキーシーズンが終わったあと、それも春と秋が最も印象深くなると思います。

スキーで滑りながらサイクリングのことを考えている人間も珍しいだろうなと感じつつ、膝が痛いという思いを抱えながら、それでも同じコースを2本、3本と滑ってゆくと、だんだん身体がスキーになじんできて、安定感を取り戻し始めました。

日常的に乗っている自転車と違い、スキー板に乗るという行為は、雪国に住んだり仕事したり、昔みたいに毎週のようにスキー場に通っていない限り、こんなものでしょう。

去年は仕事が変わることもあって、独り身の気楽さで移住してしまおうかなと思っていた自分を思い出しました。

同じスキー場で何年にもわたってアルバイトした経験のある自分には、わりと簡単にそんなことを考えてしまうのです。

しかし、今年は手伝っている仕事があるから、明日日曜に帰るか、明後日月曜に帰るか考えている自分が居ます。

明日もこんな天候だったら迷わずに帰るのですが、晴れの予想です。

結局この日は7~8本滑ったら、スキー場の終了時刻になってしまいましたが、勘は取り戻すことが出来ました。

ゴンドラリフト終了のアナウンスを告げる声を聴くころには雨もあがり、雲間から少しだけ山が見えるようになって、滑り始めとは対照的に心が軽くなり、駐車場にとめた車に戻りました。

宿に帰るまでの短い区間、夕方で凍結しかかっている狭い道を運転したのですが、スキーも雪道運転も、経験がモノを言う世界だとつくづく感じました。

双方とも若いころから様々なシチュエーションをいくつも経験しているから、今回道具がガタガタになっていても、それに合わせて運動をすることができました。

雪道運転も、四輪駆動車とはいえ、踏ん張りの効かない小型車を滑らせながら走る感覚は、家の近所に雪が降った時に恐る恐る走るのと違い、意外に楽しいものだと感じました。

宿に帰って食事と風呂を済ませ、もう20年来のお付き合いとなっている大女将とお話して、お互いの無事を祝い、部屋に戻って古い友だちと電話で話をしていたら、ここ白馬に最初にスキーに来た時からの過去を振り返っていました。

最初に来たのは中学2年生のときで、小学校の同級生と2人で、お正月休みでした。

記録的な豪雪で白馬に2日間余計に閉じ込められてしまい、電気、水道が止まる中、寒さに耐えながらも非日常感覚を楽しんでしまった記憶が残っています。

そして、高校3年生の時には、すぐ近くの宿で冬休みの間居候を経験し、同じ身分の大学生たちともう一度春にここにきて、スキーをしたこと。

そのシーズンに、年上の女性に淡い恋心を抱いたこと。

そのころは、スキー検定で1級をとろうと躍起になっていたことを思い出しました。

なんだか例年のスキーと心持ちがずいぶん違うなと思いながら、その日は恒例になっている暖炉際の読書もせず、早めに就寝しました。

(つづく)