青梅街道をたどって多摩川を遡る旅は、いよいよ柳沢峠への最後を詰めるべく、同じ山梨県の北都留郡丹波山村と甲州市の境にある天狗棚橋からです。
山梨県は甲府盆地より東を郡内地方と呼び、その境目は通常は甲府盆地を縁取る山の峰や峠(お隣の小菅村なら大菩薩峠)なのですが、柳沢峠から東、かつて黒川金山のあった鶏冠山一帯や、多摩川源流にあたる一ノ瀬高原は、地形上はあきらかに郡内地方なのですが、現在の行政上は甲府盆地と同じく甲州市に入ります。
前回も書きましたが、青梅街道は一ノ瀬高橋トンネルから天狗棚橋にかけては2008年に新道につけかえられており、それ以前のいわゆるおいらん渕経由の旧道は封鎖されました。
天狗棚橋の上詰めに旧道への道が分岐していて、厳重に柵が張られています。
つまり旧道はここで180度近くのヘアピンカーブをして、多摩川を渡らずに折り返していたことになります。
大学生の頃(1980年代後半、バブル真っ盛りの頃)、山梨からの帰り道に渋滞している中央道の抜け道として皆でここを通った時、暗い中で写真を撮ったけれども何も映りませんでした。
ここは当時から心霊スポットとして有名でしたが、伝説はその真偽のほどが怪しい(歴史的には証拠がなく、検証されていない)ですし、その頃は旧道区間について道路の線形が悪くて、とくにこのおいらん渕の周囲は(とくに二輪車がらみの)事故が多発する場所でした。
天狗棚橋から180m青梅街道をのぼると右手に一ノ瀬高原への道を分けます。
入り口には一ノ瀬高原にある民宿の看板が掛かっているので、すぐわかります。
オートバイに乗っている時に、一ノ瀬高原は行ったことがありますが、こちらの谷間とは違い、すり鉢状に開けた明るい高原で、別世界のようでした。
実はおいらん渕のすぐ下流で川は一ノ瀬川と柳沢川が合流しているのです。
実は多摩川は小河内ダムより下流の河川名称で、そこから上流は丹波川(たばがわ)、そしてこの合流地点を境に北側の一ノ瀬川と西側の柳沢川に分かれるというわけです。
河川長、流域面積、流量の大きさで源流を定義すれば、一ノ瀬川の方が多摩川の源流にあたります。
もし川そのものを遡るということであれば、川崎市の浮島にある河口碑から出発し、多摩川サイクリングコースを終点の羽村取水堰まで走り、そこから青梅街道をのぼってきて、ここを右折して一ノ瀬川の谷間を上流に向けて登り、一ノ瀬高原高橋にある作場平橋まで自転車で坂登りして、笠取山の作場平登山口から、山頂直下の水干(みずひ)まであるくのが、正確な川を遡る旅になると思います。
多摩川の水は、玉川上水によって人工的に分水されていますから、こちらを遡るのであれば、出発点は上水の終点にあたる四ツ谷大木戸になるかと思いきや、そこから上水の水は神田川に落水しているため、最終的には神田川は隅田川に合流することを考えれば、現在の河口は浜離宮庭園かそのお隣の竹芝桟橋ということになります。
そもそも、河口を出発点にして最源流を目指すのか、源流点を出発して河口をゴールにするのか議論のあるところです。
水の流れと一緒なら後者ですし、その方が下り主体になるから楽でしょうが、私はやはり上流方を目指すほうをお勧めします。
登ってばかりになるから運動になるだけでなく、源流点を出発点にしてしまったら、すくなくともそこへ登るのに最初にそこまで遡らねばならなくなります。
さらに河口側を出発点にした方が、がお馴染みの場所から自然豊かな未知の山奥へと分け入る形になり、ロマンがあるからです。
それに、進むにつれてどんどん楽になってゆく旅よりも、どんどんきつくなってゆく旅の方が、進み甲斐があるというものです。
水の流れだってどんどん汚くなるより、純粋な方に向かう方が気付きは多いと思います。
青梅街道で柳沢峠を目指す旅自体が、最初は峠から奥多摩駅に向かって下っていたのに、そのうちに「同じ道をせっせと登った方がたくさんのものが見えて楽しいかも」という動機からですし、最近自分の純粋だったころを振り返るようになった私は、とくにそう思います。
多摩川源流を目指す前に、まずは既に何度かくだっている青梅街道を逆行して柳沢峠を越えて、山梨県の塩山駅に下ることにします。
こちらはこちらで、峠を越えるというロマンがありますから。
下った時に感じていたことですが、柳沢峠からここ一ノ瀬高原入口までの区間は、とくに坂が急で、これを逆行したら自転車に乗ったまま登れるかな?というレベルでした。
予測通り、この一ノ瀬高原入口から青梅街道の坂はいちだんと急になります。
しかし、国道で多くはないものの、たまに車が通りますから、いくら急だからといってジグザグに登るわけには参りません。
そこでゆっくりゆっくり、大きく呼吸しながら、一番軽いギアで着実に登ることにします。
道路左端を登ってゆくと、直下の川の瀬音がさきほどよりずっと大きくなっているのに気付きます。
やがて樹間から清流が間近に見えるようになり、丹波山村でみた川よりもずっと急流で水が谷間を駆け下っている様子が見て取れます。
それに、柳沢川の源流が近いせいか、川の水が透き通っていて清流そのものです。
ところどころ、川の方から湿気を含んだ冷たい風があがってきて、天然のクーラーという表現がぴったりです。
それでも、小径車での登りはかなりきつく、7月の高山とはいえ背中や頭から汗が噴き出してきます。
また、前回はトンネルが連続しましたが、ここから峠まではトンネルはひとつも無いのが特徴です。
途中橋の架け替え工事をしていましたが、道路の付け替え工事ではないようです。
やがて黒川金山への入口にあたる藤尾橋という小さな吊橋の袂に着きますが、塔も補剛桁もケーブルもサビついていて、床板は朽ちてはいないものの、通行禁止の札がかかっています。
天狗棚橋からここまで18分でした。
ここがおいらん渕伝説の事件があったところとも言われていますが、武田氏の鉱山支配自体が疑問を呈されてきているなかで、「秘密を守るために口封じに淵に沈められた」とか、そのために「川の上に吊り舞台をつくってその上で舞を舞わせた」というのは、いささか脚色が過ぎているようです。
鉱山労働者やその関係者にそういう事例は全く無かったとは思いませんが、皆殺しなどという事態は反乱でもない限り起きなかったのではないでしょうか。
なお、興味のある人がここから金山の遺構を目指して山に入っているようですが、ハイキングコースでもないので指道標もなく、またかなり山奥なので、野生動物なども多数生息しているので、安全には充分気を配って入ってください。
というか、この吊橋が通れないとなると、下の沢を徒渉しないと向こう岸にはたどり着けないと思われます。
さらに青梅街道を登ってゆきます。
やがて丹波山村を出て以来の人家が見えてきますが、これは藤尾集落です。
そこから若干国道の傾斜は緩くなりますが、登るのが楽になるほどではありません。
いくつかカーブをすぎて「甲府42㎞、塩山市街24㎞」の標識の下をくぐると、左側に自販機と公衆トイレのある広場が見えてきます。
ここが落合バス停の折返し地点です。
4月中旬~11月下旬まで、塩山駅から大菩薩峠登山口行きのバスは、延長して柳沢峠を越えて、ここ落合バス停まで来て折り返します。
(ただし運行は土日曜と祝日のみで、典型的なハイキングバスです)
時刻は9時12分で、天狗棚橋からここまでちょうど30分でした。
距離は2.7㎞ですから平均時速になおしたら5.4㎞/hで、歩くよりはマシかという程度の速度です。
しかし、ゆっくりと走った分、様々なものに目がゆき、いい運動になったことと相俟って、爽快な気分です。
鴨沢西バス停でバスから下車してブロンプトンを組み立てたのが7時12分だったので、だいたい2時間かけてバスの走っていない国道区間を登ってきたわけですが、これが下りだったら40分程度だったでしょう。
落合発塩山駅ゆきのバスは10時ちょうどと15時半の2便しかありませんが、十分間に合いますし、それは柳沢峠まで登っていっても同じだと思われました。
ということは、鴨沢西バス停ないし丹波山村バス停まで公共交通機関をつかって登ってくれば、どんなに遅くても11時ごろには確実に塩山駅へ下りられるということだと思いました。
ずっと走りっぱなしで水もろくに飲んでいないし、この日は午前4時台に登戸駅で朝食を食べたきりですから、同じ登戸駅前で購入した某栄養調整食品を口にして、水を少し飲みました。
次回はこの落合バス停から柳沢峠を目指します。