クリスマスミサに行くのに、さすがにラフな格好はまずいだろうと、10年ぶりくらいにネクタイを締めてジャケットを着て家を出ることになりました。
しかし、よく考えたらシャツがありません。
そこで、近所の紳士服量販店へ。
サラリーマン時代はよく利用していましたが、こちらももう何年もお店に行っていません。
上は毛玉だらけのフリース、下はジーパンというラフな格好で行ったら、ひやかしかと思われてしまいました。
それでもサイズを測ると、前はMサイズだったのに、今度はLサイズが適正とのこと。
LLでなかっただけ良かったとしましょう。
ついでにズボンのサイズを測ってもらうと、あれ?こちらは縮んでいます。
おや、ひょっとして痩せたってこと?
慌てて家に帰ってクローゼットの中のスラックスや背広のズボンに足を入れてみます。
おそるおそる胴回りをとめると…。
ちょうど良いのです。
いや、これも十数年前ですが、冠婚葬祭の時に慌てて履いたときは、おじさんになってから買ったウエストシャーリング(伸び縮みするタイプ)の製品も含め、全滅でした。
しかし、その時に仕方なく購入したスラックスをはいてみると、こんどは怖ろしいほどにウエストが余ってしまいます。
やはり自分はウエスト周りが痩せたようです。
スポーツクラブに通っているわけでも無し、とくに食事制限をしたり、食餌療法に取り組んだりしているわけではありません。
もちろん、ランニングやサーキットトレーニングをしていることもなく、ジムに通ったり、定期的に泳いだりもしていません。
考えられるのは、ブロンプトンで鉄道併用の通勤していることだけ。
今は鎌倉ほど距離は走れませんが、その分登り坂を多用することで、有酸素運動ができるように工夫しています。
朝と夕方どっちが負荷がかけやすいかといえば、朝の方でしょう。
交通量が圧倒的に少ないため、ペースをあげたまま走り続けられます。
これに対して夕方はストップ・アンド・ゴーを繰り返すことで安全運転を担保しながら呼吸をあげて身体に負荷をかけるという感じです。
どちらも、心拍数をあげることで発汗してくるし、いまは心拍計付きの腕時計をしているので、有酸素運動になっているかどうかがすぐに分かります。
いままで面倒くさいので、毎日体重計に乗ることをしてきませんでしたが、これからは励みになるのでしてみようかなと思います。
ところで、この日に着用したのは大学生の頃に着ていたブレザーでした。
もう40年近くも経ってしまっているのでどうかなと思いました。
若い頃、とくにサラリーマンになる前はネクタイをしめて正装するのは苦手でした。
なんだか気取っているようで嫌だったのです。
当然、当時はやっていたファッション誌など、自分で買ったこともありません。
ファッションに精を出すくらいなら、その時間で運動したり、そのお金をひとり旅の路銀にまわしたい、そんな自分でした。
しかし、実際にネクタイを締めてブレザーを着てみると、心はなんだかその頃に戻ったような気になりました。
そうしたら、いま自分が来ている服が似合う似合わないなどどうでもよくなってしまいました。
それよりも、その時の心に戻っている自分の方が大切だと感じました。
不思議なことに、そうしたら目の前に居る人たちが皆、10代後半から20代前半に戻ってしまったような錯覚に陥りました。
きっと、気持ちだけでなく、自分が感じていることも、考えていることも、その頃に戻ったのだと思います。
それもこれも、自然にそうさせてくれる出会いがあったからです。
そして、以前は酷いことばを投げつけられていた自分が、もうその心配がなくなったこと、つまり精神的なストレスに晒されずに済むようになってだいぶたつことも関係していると思います。
この辺りはあまり詳しく書けません。
でも、独りでいる間にブロンプトンを通勤やその他日常に使って有酸素運動を続けることで、成人病を予防しただけでなく、ウエストを細くして昔のズボンが着られるようになったことだけは確実です。
そしてクリスマス・イブの晩は、あの頃には逆立ちしても出来なかったことを、いま神さまがさせてくださっているということを実感する夜になりました。
といっても、色恋沙汰の話ではありませんよ。
もっと何というか、ひとりで就寝したときに、神さまに抱かれて、しみじみと心が温かくなるような時を過ごさせていただいた、聖別されたという話です。
おそらく、ひとりだけのクリスマスイブは寂しいなんて言っている人には、絶対に分からない感覚だと思います。
ひょっとすると、私はこの時のために、これまで独りでコツコツとブロンプトンで運動をしてきたのかもしれません。
自分では太っているといわれてダイエットしてきたつもりだったのですが、神さまは痩せることよりも大切なことがあると教えてくださったのでした。
それは、クリスマスの晩くらいは心を穏やかにして、平穏を保つということ、そうなってはじめて救い主の誕生を心から待ちのぞみ、そして祝うことができるのだと教わりました。
もう今年もあとわずかですが、いろいろな心配事やあくせくしてゆったりした時間が持てない方の、心の平和をお祈りしております。