エリザベス・シフトン著『平静の祈り ラインホールド・ニーバーとその時代』を読む(その1) | 旅はブロンプトンをつれて

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ある日、いつもの本屋さんのキリスト教関係の本棚を眺めていたら、目に飛び込んできたのが本書でした。
「平静の祈り」と「ラインホールド・ニーバー」とくれば、アルコホーリクス・アノニマス(アルコール依存症から回復するための12ステップを用いた自助グループ=以下AA)でいうところの「平安の祈り」(Serenity Prayers)だとすぐにわかったからです。
平安の祈りとは、AAを大元とする12ステップを用いられた自助グループではどこでもミーティングの開催に先立って唱えられる祈りで、「わたしたちは、アルコールに対して無力であり、思い通りに生きてゆけなくなったことを認めた」ではじまる12ステップの文言よりも前に覚えてしまうことばです。

プログラム自体を紹介している”Twelve Steps and Twelve Traditions”(『12のステップと12の伝統』)のステップ3とステップ12の最後に、祈りの全文が紹介されています。

これを、言いっ放し聞きっ放しといわれるミーティングの冒頭に毎回唱和します。

いつものミーティングで唱えられるだけではありません。
AAをはじめとする12ステップグループは、「今日一日依存対象から離れている」ことを大切にしているので、はじめてミーティングに参加したメンバーに対して“One day Medal”と称してこの文言が刻印されたコイン状のメダルを渡すのです。
そのメダルの裏には、16世紀初頭の画家、アルブレヒト・デューラー作の「祈りの手」が添えられているタイプがあります。
アルコール(やその他の依存対象)をやめようと決心した参加者は、一日ごとにこのメダルを身につけたり財布から取り出して眺めたりしては、「今日一日だけは酒を飲むのをやめよう」と思いを新たにします。
こうして、1週間後には”One week Medal”、1ヶ月後には”One month Medal”、1年後には”One year Medal”を手にして、飲んでいない自分を積み重ねてゆくわけです。
メダルの材質も、最初はアルミの軽いものから、だんだんと重みがあって手ごたえのある重厚なものに変わってゆきます。
(この事実の積み重ねにより、それが自己の力によるものだと勘違いして高慢ちきになった挙句に「もう大丈夫だろう」と飲んでしまう、或いは飲まなくても自分が依存症を克服した神さまになった気分で振舞うメンバーがたくさん出るのですが、その話はまた別の機会に)


こんな調子ですから、米国ではメダルだけではなくペンダントやブレスレット、卓上盾など様々な商品があふれていて、ハリウッド映画やドラマの作中にも度々小物として登場するので、ご覧になった方も多いかもしれません。
むかしは12ステップグループ・メンバーには経済的に破綻している人も多く、クレジットカードを持っている人に頼み、ネット経由でアメリカの「セレニティ・ショップ」(何じゃその名前は)からネット経由でメダルを取り寄せたものですが、送られてきたメダルはおしなべてヤニ臭く、閉口しながらも苦笑いをしたのを良く覚えています。
“Smokers Anonymous”だってちゃんとあるのに。

その平安の祈り(本書では「平静の祈り」)とは、以下のようなものです。
<英文>
God grant me the serenity to accept the things I cannot change,
The courage to change the things I can, 
And the wisdom to know the difference.
<日本語>
神さま、わたしにお与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。
変えられるものは変えてゆく勇気を。
そしてふたつのものを見分ける賢さを。

(平安の祈りが刻印されたメダル)
この祈りにはじめて触れたとき、信仰心が無かったわたしの心には、全くかすりもしませんでした。
「神さま、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください…」ではじまる聖フランチェスコの祈り(アッシジのフランチェスコが作った祈りではないが、その精神を表しているとしてこう呼ばれています)のほうが、よほど聖書の精神に沿っていると感じたものです。
本当は、「落ち着き」「勇気」「賢さ(賢明さ)」を神に与えてくださいと求めているところが大切なのに、不信心な依存症者の特性ゆえか、「変えられないもの」と「変えられるもの」の線引きは誰がどう引いたら良いのだという瑣末なところにこだわってしまっていたのです。
しかし、そんなわたしも翻訳作業をするにあたって、この祈りの本質をどうしても理解しないとならない事態になって、はじめて自分自身の信仰が問われているのだと気がつき、そこへ立ち至らざるを得なくなりました。
そこでさっそく、理屈っぽいわたしは、この祈りがいつ、どこで、誰によって唱えられた文言なのか、調べるところからはじめました。
今から20年以上前のその頃は、AAの発行する書籍は英文も含めて、特定の宗教に依拠しないという伝統からこの祈りの出典について明示されておらず、ネットの情報も乏しかったので、調べてもさっぱりわかりません。
おかげでボエティウスの『哲学の慰め』を、目を皿のようにして最初から最後まで再読する羽目になりました。
(それはそれで、あの本の再発見につながったからよかったのですが)

そんななかで、この祈りはラインホールド・ニーバーという自由主義神学者(プロテスタントの神学的立場のひとつ)の牧師が、1940年代前半に、マサチューセッツ州の北西部にあるヒースという農村にあるユニオン教会での説教に登場したという情報がもたらされ、そんなに昔ではない(AAという組織自体、1935年にはじまっているので、歴史的には古くない)という点に加え、ニーバーという当時は全然知らない牧師さんの名前にがっかりしたのをよくおぼえています。
しかし、そのときはそれ以上の情報もなく、また自分自身にも神への確固たる信仰がなかったので、この祈りの重要なポイントも不明瞭なままで、それ以上の深堀はしませんでした。
それが、12ステップの原理は「人間を超えた存在に対して自己を投げうつ」ことだとわかるにつれて、それに反発する「12ステップはカルトだ」「依存対象の代わりに外国の宗教を押し付ける」等の声に戸惑いながらも、その本質を研究して翻訳に活かすうちに、こうでも祈らないと今日一日すら生きてはゆけない依存症者たちの苦衷が心に響くようになりました。
そして当然のことながら、「おまえ自身は毎日祈らなくても良いのか?」という問題にも突き当たらざるを得ませんでした。
断っておくと、AAは発祥が米国というだけで、そのプログラムにおいて人間を回復に導いてくれる「人間を超えたもの」が具体的に何なのかはたいして問題にはなりません。
わたしの感覚では、依存症の問題は資本主義を発展させてきた民主主義社会という表面的には輝かしい世界の裏に咲いた仇花、カビの類だと思っているので、それに勝利するのは(人間至上主義とか信仰に自由のない国を除いて)人間を超えた存在でありさえすれば、仏法でも太陽神でもアッラーの神でも何でも良いと思います。
また、そうでなければ、この科学万能の時代に、こんなにまでも人間の無力を説くプログラムが世界中に広がることはなかったのではないでしょうか。

(デューラーの「祈りの手」)
さて、そんな因縁のある(笑)「平安の祈り」について、その出自と取り上げられ方、そしてAAにどのように伝わったかを事細かに本書で解説してくださっている著者は、ニーバーの娘さんで、ことの顛末をつまびらかにしておくにはこれ以上の方はいないでしょう。
なにしろ、幼い頃にお父さんが教会で説教している姿や、その後この祈りがどうひとり歩きしていったのか、全部ご存知なわけですから。
原題は“The Serenity Prayers  Faith and Politics in Times of  Peace and War ”で、本題は「平静の祈り」そのものですが、副題のほうが「平和な時代と戦争の時代における駆け引きと真実」です。
“politics”を「政治」とか「政策」と訳さなかったのは、本書を読んだ感想から、そのほうが相応しいと単純に思ったからです。
この本の奥付は初版が2020年9月30日ですが、訳者あとがきに著者が2019年12月13日にお亡くなりになった旨を記されています。
これも何かの巡り合わせかもしれません。

本書によると、著者の父ラインホールド・ニーバーは1892年アメリカ、ミズーリ州生まれのドイツ系3世で、その父(すなわち著者からみたら祖父)が中西部において在米ドイツ人が集う北米ドイツ福音教会の牧師をしていた関係で、同教会で牧師をしたのちユニオン教会の教師となるべくニューヨークに出てきて、プロテスタント福音派の牧師になったそうです。
ユニオン教会って横浜の山手や軽井沢、わたしの通う渋谷の教会の近くにもありますけれど、その名のとおりプロテスタントの様々な宗派が合同している教会で、お父さんも聖書の文言を一字一句旧套墨守して現代的・科学的な知見の一切を排除するガチガチの原理主義的福音派ではなく、今の時代にキリスト教の教えを具体的にどう活かすかを考える、半・会衆派だったと書いています。
これに対してお母さんはサウザンプトン出身のイギリス人で、オックスフォード訛りの英語をしゃべる、典型的なアングロ・カトリック(英国国教会)の信者だったということです。


この出自と信仰的な背景が全く違う2人の米国における結婚が、時代の状況と深くかかわって、この祈りのことばに影響を及ぼしている様子が詳細に書かれています。
すなわち、2人が結婚した1931年の翌年にはドイツにおいてアドルフ・ヒトラー率いるナチス党が第一党となり、翌々年の1932年にはその独裁体制を確立し、ドイツは外見的には国民が(第一次世界大戦後の欧州レジームだった)ベルサイユ体制からの脱却を目指して文字通り挙国一致で団結した時であり、そこからヨーロッパの雰囲気はどんどん暗雲が垂れ込め、1941年に第二次世界大戦が勃発すると、夫妻の原郷はともに戦場となってしまいました。
この祈りが書かれたとされる1943年(実際に集会の中で唱えられたのはその1、2年前からという説あり)は、欧州戦線の転換点となったスターリングラードの戦いが終結した年です。

(太平洋戦争では、山本五十六元帥がブーゲンビル島上空で撃墜されて死亡した年)
その時代、ラインホールド・ニーバーは米国と本国ドイツ双方から裏切り者呼ばわりされながら、前半はドイツのスパイじゃないかと疑いの目を向けられつつ、後半はドイツ海軍の潜水艦による無制限の通商破壊作戦に命の危険をさらしながら、何度も大西洋を船で渡り英国を往復し、妻の知己も利用してイギリスに亡命したドイツ人グループを通して、本国ドイツ国内のキリスト教徒にメッセージを伝えていたというのです。

この伝言の中には、ファシズムへのサボタージュや抵抗をほのめかす文言もあり、相当に危険なことをしていたという印象で、よく暗殺やテロの対象とならずに済んだと思います。
その関連で、ドイツ本国に留まって反ヒトラー運動を行い、逮捕・処刑されたディートリヒ・ボンヘッファーとのやり取りも詳しく書かれています。

当時のアメリカでは、ナチスによるユダヤ人への虐待は、政府による原子爆弾の開発同様に公然の秘密となっており、ニーバーがユダヤ人の救済活動もしていたことから、米国内のキリスト教徒からも二重に背教者扱いされていて、しかも戦争の終盤では(原子爆弾の研究・実験施設のあった)ロスアラモスの研究者ともつながりをもって、彼らの一部とともに日本への原爆投下阻止だけでなく、対日無条件降伏要求反対運動にもかかわっていて、この「平静の祈り」は誰かに説教をするというよりは、周囲の無理解や反対に抗してキリスト教徒としての本来の信仰を貫き、弱い立場の人たちであれば、たとえ異教徒、敵国の側にであっても戦争の惨禍から守るべきとするニーバー自身の心の支えだったのだと感じました。
『平静の祈りは戦時中に書かれ、それは戦争を遂行する共同体が、戦争によって負う癒し難い苦痛、喪失感、罪悪感にも向けられている。つまり、集団がよりよくなるために集団的行動が可能か不可能かを突く問いであり、平和の可能性に迫るもの、とも言えるのである。』(第4章)

(その2へつづく)