仕事帰りに車でスキーに行ってみました(その3 帰宅日) | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

いつものペンションに2泊した3日目。
今日は夜までに帰宅するつもりです。
やはり朝6時ごろに目覚め、外を確認すると夜中降っていた雨はやんで、もやがかかっているようです。
昨日は見えていた山の稜線はもちろん、裾も含めて全く見えません。

おそらくは昨晩の降雨によって重い雪になって、視界も無いとなればゲレンデコンディションは最悪でしょう。
これでは気持ちの良いスキーはできそうもありません。
朝食を食べている間思案をしていましたが、そのまま帰ったら昨日早く切り上げた一日だけが、今シーズンまともに滑った日になってしまうので、復路の車の運転が心配でしたが、今日もスキーをしてから帰ることにしました。

但し、八方尾根に行っても景色は期待できないので、リフト券が安くてペンションでも購入できる、白馬47スキー場へ行くことにしました。
昨日と同じように朝食後、リフト運行時間に合わせてスキー場に行きます。
斜面の向きが八方尾根よりも北にふられているせいか、スキー場の雪はこちらの方が残っており、朝早いこともあってコンディションは予想していたよりも良いようでした。
しかし、こちらも八方尾根同様、ガラガラまではゆかないものの、空いていました。
ペンションで預かった引換券をリフト券に交換し、ゴンドラに乗って上へ行きます。
山頂駅につくと麓よりも視界が悪く、少し滑り降りて乗ったリフトは、いつもは乗らないゴンドラ山頂駅付近へ戻る索道でした。
やはり一年来ないとコースの詳細を忘れています。
気を取り直してお隣の五竜遠見スキー場との接続点である最上部に行くと、霧はますます深くなり、足元さえおぼつかないほどの視界になりました。

こういう時は、経験と勘がものをいうスキーになります。

とりあえず滑り出してみたのですが、朝一番のゲレンデはきちんと圧雪されているので視界が悪くても心配はないものの、うっかりスピードを出しすぎると、コース端から外へ出そうになるので、視界が良くなるか、自分の記憶が戻って見えなくてもコース先の見当がつくようになるまで、慎重に滑ります。
警戒しながら滑るというのは、ターン回数が余計に増えるわけで、のんびり滑るよりは体力的にキツイものがあります。
何度か滑っているうちに、雪山にしては気温が高めということもあって、ウェアの中は汗でぐっしょりとなってきました。

あらためて思うのですが、ガラガラのスキー場で滑ると、リフトに乗っている時間との兼ね合いで、有酸素運動のインターバルトレーニングになっています。

スキーでもスノボでも、滑らずに座ってボーッとしている人がいますが、それはトラックであろうがプールの中であろうが、街中で運動として自転車に乗っていようが同じことです。

これがチームスポーツなら、そんなことしていたらすぐにメンバーから外されます。

個人スポーツって本人が運動するか、しないかにかかっているだけに、モチベーションの問題をいやでも突き付けられます。
だから、何でこんな天気なのに私はひとりこんな遠くまできて滑っているのだろうと、リフトやゴンドラの中で自問することになります。

それは、独りでブロンプトンに乗って旅をしている時に自問するのに似ているかもしれません。


ひとつには、この白馬47スキー場にしても、お隣の八方尾根スキー場にしても、もう何度も滑りに来ていて、晴れている時の景色を自分が記憶しているからだと思います。

否、滑っているうちに思い出すといった方が正しいかもしれません。
今回のように、たとえ2日連続で天気が思わしくなく、とくにこの日のように景色はおろか、滑雪運動そのものに影響が出るほど視界が悪くても、自己の頭の中には同じゲレンデの今滑っているコースで気持ちよく滑っている例年の記憶が蘇っているので、天気が思わしくないことはそれほど気にならないのです。
それに、スキーシーズンに限らず、山は天気が変わりやすいもので、それを経験的に知っているし、また百も承知で来ているので、そんなことに文句を言っていたらリピーターにはなれません。

でも、それは旅も同じことです。

富士山やマッターホルンを見に来たのにそれが見えないなら山に登らないという理屈をこねる人は、家のテレビやインターネットでそれを見て満足していればよいので、「たられば」で家を出ている自分が見えていないのです。

そういう人と旅をすると、こちらの旅に出る気分までが挫かれます。

また、遠くの山が見えない代わりに、それまで見過ごしていた近くのものに気付ける目が行くようになるのが、天気の悪い日の美点です。
たとえば、白馬47スキー場のゴンドラ山頂駅には、駅から雪面へ下りる階段脇に、なぞのスロープがあります。
そこに雪が積もれば滑り降りることもできるかもしれませんが、その下り坂は角度が急でなぜか一番下の部分が途切れています。
これは何だろうと前から疑問に思いながら横の階段を、スキーを担いで降りていたのですが、何回か利用しているうちに、ゴンドラの山麓駅に自転車が止めてあるのが目に留まり、このスロープは夏場にマウンテンバイクが下るもので、おそらくは下部は雪の無い夏だけスロープをつけ足して地面に降りられるようにしているのではないかと推測しました。

(積雪が大量にある時にここをスキーやスノボで滑り降りるのかとおもっていたのですが、幅や手すりの形状からそれはないなと思いました)

ゴンドラ乗車中にスマホで調べてみると、グリーンシーズンはゴンドラにマウンテンバイクをのせて、未舗装の林道を下るアルパインダウンヒルコースがあって、自転車も様々なタイプ、サイズのMTBがレンタルされているのでした。
オフロードバイクに乗っていたから分かるのですが、これは八方尾根の黒菱林道や栂池高原の林道大池線など、舗装路を下るのとは違った楽しさがあると思います。
未舗装路をマウンテンバイクで走ると、スキー同様にズレますから。
雪山もいいけれど、夏に樹林帯を自転車で駆け抜けるのも、そこを普段はスキーで滑っているがゆえに面白いはずです。

本当は、グラススキーというキャタピラ状の道具で夏のゲレンデを降りても良いのでしょうか、経験からいうとあれはスキーと違って転ぶと確実に痛いのです。

でも、人間はそのように想像する生き物だから、「失敗しても良いから新しいことに挑戦してみよう」という行動に出られるのだと思います。

実際に行動もしないで、そして経験もしていないのに「本やネットで読んだから、動画で見たから理解している」と考えていたら、自己の偏見や傲慢さを助長してしまうのではないでしょうか。


そんなことを考えながら、最上部への長いリフトに乗っていると、索道脇の雪山の中に黄色い花をつけた樹木が並んでいるのに気が付きました。
あれはお寺にもあるから知っているのですが、マンサクという落葉低木の花です。
まず咲くから転訛してマンサク、一本の木に花がたくさん咲くから満咲きから訛ってという説、或いは春にこの花がたくさん咲くと豊作になると信じられていたことから、「万年豊作」が略されたという説など、名前の由来には諸説あって定かではありません。
ただ、この樹木は樹皮の繊維が強く、生木のうちにねじって繊維をほぐして縄のようにして、薪や炭俵、粗朶(そだ=細かい木の枝)、刈芝などを縛るのに利用したり、背負い篭の骨組みにしたり、合掌造りの屋根下地に組まれた木を結束するネソと呼ばれる部材になったりしているそうです。
しかし、こんな雪深い山に花を咲かせたところで、どうやって受粉するのでしょう。
帰って調べたところ、こんな時期から活動を開始しているハエやアブが居て、彼らは赤い色には反応が鈍く、黄色い色に敏感に反応する習性があるそうです。
とくに雪山に咲くマンサクは、ほかに色の無い世界だけに昆虫を惹きつけるらしく、細い花弁の小さな黄色い花がたくさん咲くというのは、観賞用ではなくマンサク特有の生き残り戦略にもとづくものだそうです。
この花弁の細い花も、天気が良かったらリフトわきに咲いていても気がつかなかったと思います。

そして、昨晩ペンションの若女将から聞いた話を思い出しました。

このブログでも話題にした今年1月末に栂池高原で起きた雪崩死亡事故において、死亡した方や怪我した方はちゃんと資格をもった案内人をつけていたそうです。

その甲斐もあって、そのパーティーは雪崩に遭わずに降りてこられたのですが、さあスキーやスノーボードを外して引き揚げようというときに、ガイドもつけずに不用意にバックカントリーへ入ってきた別のグループが、山の上部に現れ、彼らはどこを下ったら雪崩が起きるかという予備知識なしに自由に滑り降り始めたため、足元から雪崩を発生させ、それが引揚途中の下部にいたスキーヤーやスノーボーダーを巻き込んで死亡事故につながったというのです。

あの事故のニュースを東京で見聞きしている限り、バックカントリーへ勝手に入ってきて、自分勝手に滑ったために雪崩が起きて、それに巻き込まれて亡くなったことを前提にして、自業自得の側面があると論評していた人が殆どだし、私も良く知らないまま雪崩が起きるような場所に迂闊に入って怒られた話を書きました。

やはり、どんな事故や事件にも、それぞれに特殊な事情が目に見えてこない背景に存在するのだから、大して関係のない当事者でもない人間が、自己の思い込みに基づいて自分勝手に解釈したり、一般化して評価したりしてはいけないのだと思いました。

そういったステレオタイプな情報に踊らされて、自分の目で確かめようとしない傲慢な人間が現代にはそこかしこに跋扈しています。

彼ら反知性主義は、知性において他人を支配したがります。

「○○のことはあの人が詳しいから」と話しを聴きに行くと、本人はサービスのつもりなのでしょうけれど、訊いていないことまで滔々と喋りだして話が長く、「自分でよく知らない分野のことまで、よくもそこまで断定的に発言するものだ」と、聴いている側を呆れさせるような人がそれです。

本人の問題だし、もしかしたら病気なのかもしれないから私は黙って聴いていますが、あまりやりすぎると聴衆側の知性がしぼんでしまいます。

そういう人は、本当は人前で話してはいけない人なのです。

自分を成長させたければ、知りたいことや疑問に思ったことは、現地へ行って自分の目と耳と心で目の前の事実を受け止めて、必要であれば他人の話を参考にし、読書もしながら、自分の心と頭で判断するしかないのだと思います。

(マンサクの花)

こうした、これまでの自分の経験を上書きし、或いは新たなページを加えるため、そして新しい発見をするため、己の間違って受け取った情報を正すため、さらには長い間会えなかった人と会って話すためにスキー旅行はあるのであり、それが私を毎年スキー旅行に誘う重要な要素なのだと思います。

考えてみれば、バブルの頃にはスキーに限らず、様々なスポーツが流行りました。

テニス、サーフィン、スキューバーダイビング、ゴルフなどなど。

しかし、あの頃にそれらを経験して、そのスポーツがその後何十年経っても、独りであっても行動し、毎年最低でも一度は経験するような習慣になっている人が、どれほどいるでしょう。

子どもがその年齢になってゲレンデへ戻ってきても、或いはもっと歳をとって時間やお金に余裕が出て来たから戻っても、それだけの理由で雪国に旅するのなら、やはり子どもがもっと大きくなったら、或いは年をとって病気がちになったら、そのスポーツから再び離れたままになってしまうというのでは、それを生涯スポーツと呼ぶには無理があるように思います。

細々とでも良いから続けられること。

しかしそのモチベーションは自分だけではなく、自分の内外にある「善さ」が発していると知ること。

それが自分の日常生活においても、心身共に良い影響を与えること。

そうしてはじめて、その運動を生涯スポーツと呼べるようになるのではないでしょうか。

そんなことを考えながら滑っていたら、天気予報通りにだんだんと視界が開け、山の上からでも下界が見えるようになってきました。

今晩もう一泊すれば、明日は晴れるかもしれませんが、また来シーズンに来ればよいと自分に言い聞かせました。

(つづく)

(晴れた日の五竜とおみスキー場からの後立山連峰)