人生の同伴者と「来た、見た、信じた」―2023年の復活祭に考えたこと(その2) | 旅はブロンプトンをつれて

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(その1からのつづき)

そんな話を思い出しながら典礼のリーフレット(「聖書と典礼」)を最後まで読んでゆくと、「光に照らされて」と題されたコラムには、亡き遠藤周作先生の思い出が綴られていました。
書いている神父さまが中学生の頃、当時『沈黙』で芥川賞をとった彼が、テレビに出て「エマオの道行き」(ルカによる福音書24章)について話しているのを聴いたそうです。
それによると、2人の旅人に寄り添いながら歩かれるキリストこそが、ルカ福音書記者が伝えたいことだと話しておられ、私たちの人生においても復活したキリストが共に歩んでくださっているのだということを実感できるかどうかが、彼の受難と復活の意味を自分に問いかけ、生涯の同伴者として「みことばとパン」を受けながら励まされつつ歩んでゆけるかどうかの境目なのだと、そんな趣旨のことが書いてありました。
「エマオの道行き」に関しては、5年前にこのブログでご紹介しました。
(https://ameblo.jp/cum-sancto-spritu/entry-12511155153.html)
たしかに、周作先生の軽小説にはよく「同伴者としてのキリスト」が登場していました。
『楽天大将』だったか、刑事の恋敵で「やせこけた汚いオッサン」として描かれるイエスさまが、修道女志願の女性に「彼(=誘拐犯)とともに、どこまでもついていってあげなさい。私がそうしたように」と懇願する場面など、この「エマオの道行き」を彷彿とさせていていました。


たしかあの場面で、イエスさまはこう嘆いておられました。
『「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された。』(25~27節)
しかし、説明されてもなお旅人たちは同伴者がイエス本人だと気付きません。
ヒントを出されてもそれに一向に気付かないクイズ回答者みたいです。
引き止められて宿屋に入り、食事の席について『パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いておわたしになった』ときに、2人の目が開け、イエスだと分かったのです。
しかしその瞬間、姿が見えなくなったとも記述されています。
但し、件の説明を聴いている際、自分たちの心は燃えていた実感があったから、あれはイエスさま本人だと確信し、エルサレムの十一人の弟子たちのもとへ行って、事の次第とともにキリストが復活された旨を伝えます。
するとまたもやそこにイエスさまが現れるわけですが、弟子たちは亡霊を見ているのだと思ってうろたえてしまいます。


このルカによる福音書24章の記述者が伝えたかったのは、弟子ですら信じられないキリストの復活よりも、いつも一緒にいるのに、否、いるにもかかわらず、地上のものに心を奪われてしまっているがゆえに、口があっても話せず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻と口に息が通わない」(詩篇115及び135参照)ようになってしまった、金や銀でできた偶像を拝んでいるうちに自らをモノ化させてしまった人間の姿ではなかったでしょうか。

金や銀でできた偶像って、シンボリックなのはお金そのものでしょう。

お金の話ばかりしている人って、体は生きているのに魂が死んでいるように見えるのは私だけでしょうか。

そうしてネットやテレビに目を移してみると、一生懸命商品のアピールをする俳優さんや芸人さんから、儲け話の説明をするセレブまで、みな土偶や埴輪の類に見えてくるから不思議です。

そんなこんなで復活祭に際して一句できてしまいました。
「みことばの とわの命にふれもみで 寂しからずや 利殖を説く君」
また変な偈をつくったなと住職に叱られそうですが、真言宗だって高野山の奥の院に今なお大師さま(弘法大師空海)は禅定されて衆生の幸福を祈り、同行二人として彼が人生の同伴者になってくださっていると信じるから、身口意をきれいにしていようと心掛けているわけではありませんか。
私は仏教徒ではないけれど、旅をしている最中も、ブロンプトンで通勤しているさ中でも、常にイエスさまやお大師さまが同伴して守ってくださっている感覚はありますよ。
そうでなければ、自転車を漕ぎながら祈りや真言を唱えたり、心に浮かべたりはいたしません。
お釈迦さまは三界毎に千と現れるから復活の必要はないのかもしれませんが、お祖師様が心の中に住まわれる、そのために一度は死んだ自己の魂が甦る、それが本物の信仰というものではないかなと、復活祭に臨んで改めて思いました。


復活祭で気が付いたのはこれだけではありません。
ミサの間走ってきたこともあってぼんやりと神父さまの福音朗読を聴いていたのですが、改めて読み直していて「(入って)来て、見て、信じた。」(ヨハネによる福音書20章8節)という文言に目が釘付けになってしまいました。
これは、三日目の朝早く、マグダラのマリアが墓に行ったところ、蓋が開いていてイエスの亡骸が消えている旨を一番弟子であるシモン・ペトロと、イエスが愛しておられたもう一人の弟子(ゼペタイの子ヨハネ=当福音書の記述者とされている)に「取り去られた=盗まれた」と伝えたところからはじまる、「からの墓」の場面です。
ペトロとヨハネは一緒に墓に向って走り、若いこともあって(ペトロはイエスの逮捕に際し「そんな人は知らない」と三度否認していることから、後ろめたい気持ちがあって遅れたという解釈もあります)先に着いたヨハネは当初墓には入らず、外から遺骸をつつんでいた亜麻布を見ただけでした。
なぜ彼は先に着いたのに外から見ていただけで墓に入らなかったのでしょうか。
後から来たペトロは墓に入り、遺体を包んでいた亜麻布と、頭を包んでいた覆いが別々に置いてあるのを見て、それから外で入るのをためらっていたヨハネが墓に入って「来て、見て、信じた。」とあるのです。
ところが、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」との言葉が続きます。
えっ?理解していなかったということは、ヨハネは何を信じたのでしょう。
前述のルカによる福音書24章にもあった通り、詩篇やイザヤ書には、メシアの受難と復活が記されています。
イエスさまの遺体がここに無くて、甦ったことは信じたけれども、まだその出来事が旧約聖書の預言の成就であるとは理解していなかったということなのでしょうか。


カエサルの有名な言葉「来た、見た、勝った」“Veni, vidi, vici”でも、買い物依存(Shopping Addiction)症者の「来た、見た、買った」(笑)でもないこの言葉、実は翻訳した本に類似した表現が出てきて、その訳文をめぐって結構な議論になりました。
アルコホーリクス・アノニマス(AA)の第2ステップは、「自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった」です。
これは英語の“Came to believe that a Power greater than ourselves could restore us to sanity.”の翻訳なわけですが、その冒頭(日本語訳では末尾)の“Came to believe”(「信じるようになった」)を分解すると、”We came “,”We came to ”,”We came to believe ”に分解されると英文で記述されていました。
最終的にはこの3センテンスを「来た」「触れた」「信じるようになった」と翻訳したわけですが、真ん中の”We came to ”の訳を「するようになった」にするかどうかで、かなり揉めた記憶があります。
しかし、訳本原文の著述者が元聖職者だったことを考え合わせると、この躊躇していたヨハネがペトロのあとから「入って来て、見て、信じた。」意識していたのではないかと今さらながらに気付いたのです。
ヨハネによる福音書の20章8節の当該部分を英語の聖書で引いてみると、
“and he saw, and believed.”(King James Version)
“also went in ;he saw and he believed”(Good News Bible ) 
“also went inside. He saw and believed.”(New International Version)
と、“came to”の調子は見当たりません。


ただ、自助グループの性格からいっても、私が実際に見ていても、あそこに喜び勇んで、或いは最初から愉しみとしてくる人など一人もおりません。
大概の初参加者は、医師かカウンセラーから「行かないと依存症から回復できません」と言われて、嫌々、ないし渋々来るわけです。
(もちろん、自助グループに行ってはいけないという意見の医療福祉関係者もおります)
建物の前まで来て「ここは自分の来るところではない」とか、ドアをノックしようとして「こんな奴らと一緒にされたくない」と思い直して出席せずに帰ってしまう人もたまに見ます。
その人たちが、やがて定期的に足を運ぶようになって、言いっぱなし聞きっぱなしのルールに従って他人の話に耳を傾け、自分の話をするようになり、そのうちにスポンサーシップと呼ばれる先に経験している仲間とステップに取り組むようになるまでは、ある程度の期間が必要ですし、半分以上の人はそこまで行く前にグループを離れてしまいます。
(薬物依存症者の施設(ダルク)のように、寝泊まりしている所から強制的に参加する場合は別かもしれませんが)
それを考えると、”We came “は「来た」、”We came to ”は辞書が+動詞で「~するようになった」と表記しているように、敢えて「するようになった」と訳し、”We came to believe ”を「信じるようになった」とすれば、聖書の「来て、見て、信じた。」に近く、「するようになった」は「(定期的に)来て(そこで回復しつつある人を)見るようになった」でも「(他人の話を黙って)聴くようになった」、「(自分の話を)話すようになった」、「ステップに取り組むようになった」でも、どうとでもとれるようになるのではないでしょうか。


また「信じるようになった」について、実際にどういう意味なのかが不明な段階で純粋にそこで起きている出来事を「信じるようになった」という流れで訳すのなら、やはり具体的な動詞は敢えて訳さず、「するようになった」と含みをもたせた表現の方が相応しいように思えてきました。
すなわち、「自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると、アルコホーリクス・アノニマスに「来て」、そこで回復しているアルコール依存症者に対し、目撃するなり、話を聴くなり何らかのアクションを「するようになって」、自分も回復できるのではないかと「信じるようになった」と読めばよいのではないかと考えたのです。
AAの12ステップは、特定の宗教に関係ないと言いながら、第11ステップは「祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。」です。
「自分なりに理解した」という留保はついているものの、思い切り「神」という言葉を出しています。
自助グループ内では、特定の宗教の話はしない決まりになっていましたが、英語に詳しく、翻訳についてアドバイスしてくれた人の中には、「聖書からの引用がたくさん入っているようだ」という意見ももらっていました。
そして、上のように考えると、「聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」という文言も希望に変わります。
つまり、預言など難しい教えを理解していなくても(実際、ペトロもヨハネも元の職業は漁師ですから学問もなかったし、旧約聖書など諳んじてはいなかったと思います)、「信じるようになった」という事実さえあって、その道をひたすら進んでゆくことが出来れば、理解(回復)はその結果として与えられるはずだというように読めます。


これは依存症者に対する光明ではないか、そして、私のように霊性に基づいた書物を翻訳するという経験を一度でもした人間にとって、ふだん何気なく見過ごす聖書の言葉にも、深い洞察と救済の意図が見え隠れしていて、ずっと時間が過ぎたのち、ある時突然「そういうことを伝えたかったのか」と原著者の意図とつながることがあるわけで、自分のような中途半端な人間で、IQも大したことなく、学者でもない市井の無名翻訳者が、こんな機会を与えられたこと自体が奇蹟のように思えてきました。
いや、そのことに気づくために私は依存症になって自助グループにつながり、翻訳という仕事を授かったのかもしれません。
いつだったか、聖書講座のメール(シスター)が、「神さまは、その人のいちばん弱いところに働きかけて信仰へと導くはずですよ」と話していたのを思い出しました。
私は翻訳をしたおかげで様々な本とつながり、より聖書に深く触れることができた今日を、神に感謝したいと、復活のミサに与かりながら、「神に感謝」という言葉にのせて口に出してきました。

昨夕ずぶ濡れになったのも、「お前は何度死んでも俺が水を注いでやるから安んじて進め」という神さまからのメッセージだったのかもしれません。
おそらく、神父さまからは、キリスト者としてあなたの得た福音を、惜しまず存分に他者に分け与えなさいと言われるのでしょう。
その勇気を与えてくださいと神に祈りながら、ブロンプトンを漕ぎ続けようと思った次第です。