冬の南会津、木賊温泉(その1) | 旅はブロンプトンをつれて

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もう30年くらい前の話ですが、真冬に南会津の木賊温泉に宿泊してスキーをしたことがあります。
30年前というと、1992年ですからバブルが崩壊過程に入っていたものの、まだスキーブームは健在でした。
スキーというのは、ある程度腕が上がると、どうしてもビックネームと呼ばれる有名スキー場へ行くことになります。
というのも、技術があるぶん斜面が変化に富んでいて、色々な滑り方ができるゲレンデでないと、一日滑っていて飽きてしまうのです。
東京からだと、中央沿線の八方尾根、信越は志賀高原や赤倉、斑尾、野沢温泉、上越は苗場や石打丸山、東北は蔵王や安比高原、そして北海道はニセコや富良野がそういうスキー場でした。


しかしこうしたゲレンデは当然人気があるからスキーヤーが集中するわけで、スキー場に面した宿をとるのは至難の業だし、取れたとしても宿泊料金がもの凄く高額で、その割には食事が良くて可もなく不可もなく、酷いと「ルームチャージにして外で食べるのだった」と思うほど不味い宿もなかにはありました。
私も高校生の時からスキー場の宿でアルバイトしていたので知っていますが、大半の宿の食事はケータリングでしたし、食堂を何回転もさせて朝食や夕食を提供するというのもごく当たり前でした。
とくにスキーバスツアーを専門にやっているような旅行会社の仕事を受けている宿に多かったと思います。
なにしろ、半年に満たない期間で一年分の収入を得なければならないから宿としても必死です。
スキーヤーの方も混雑しているのを承知で来ているので、「スキーができるなら、食事や寝る場所には文句をつけない」という人も多かったのです。
それに、海の家も同じですけれど、アウトドアで身体を動かしている時って、美味しいものはさらにおいしく、そうでないものでも、それなりに美味しかったりするので、若いこともあってお腹が膨れれば満足だったのです。


スキー場もまた、顧客獲得競争に必死でした。
とくに大小たくさんのスキー場があつまる地域は、過当競争気味になっていました。
上記のような巨大スキー場の近隣で、おこぼれに与かろうとする中小スキー場が並び、まるでスキー場銀座のようになってしまうと、他と差別化して客を呼び込もうということになります。
日帰り客をメインターゲットにするスキー場が出現したり、連絡コースをつくって中小スキー場がつながることで、大きなスキー場に対抗したり、リフト券に付加サービスを加えたりと、あの手この手でお客さんを呼び込んでいました。
新幹線で行くというのが売りのガーラ湯沢スキー場へも何度か(もちろん新幹線で)行きましたが、周囲と比べて後発のスキー場だけに、コースがどこも細長く、斜度も緩急がまだらに混在し、地形的にかなり無理してつくられているなという印象を受けました。
晴天率が高いという理由で人工雪のスキー場にも何度か行きましたが、カチカチのアイスバーンばかり滑っていると、やはり天然雪が恋しいと感じてしまったものです。
そんなこんなで、スキー場によっては「ここまで無理してまで滑る必要があるのだろうか」と疑問を感じずにはいられないゲレンデも中には存在しました。


ゲレンデから見える景色も重要な要素でした。
上記スキー場のうち、八方尾根は有名な白馬三山、志賀高原も横手山まで行くと富士山から佐渡島までを見渡せるパノラマ、蔵王は樹氷、ニセコは正面に蝦夷富士(羊蹄山)と、そのスキー場にしかない特色があります。
滑っている時は雪面ばかり見ているのだから景色は関係ないだろうと思う人もいるかもしれませんが、ふと休憩したとき、或いはリフトの上から絶景をみていると、この環境に溶け込んで運動できる幸せを感じます。
登山の練習だからといって、高層マンションの非常階段を延々と登っても何の感動も無いのと同じで、ただ雪面で滑れば事足りるわけではありません。
それに、こうしたスキー場では、上部と下部でも景色だけでなく、樹林帯の様相や気温、雪質など自然環境も違うので、滑っていると対応が必要になるのですが、それがまた楽しかったりします。
その点、一部のスキー場は景色が似たりよったりですし、あるスキー場に至ってはコンドミニアム・マンションが両側に建つ隙間がゲレンデになっていて、そこだけ切り取ると団地の中なかを滑っているような気分になりました。

しかしバブルが弾けてスキーブームが去ると、それまで手広く事業拡大していた宿ほど、景気の変化に対応できず淘汰されてゆき、いまや兵どもが夢の跡すら残っていないという有様です。
スキー場の方は逆で、規模が小さくて条件の悪い、混雑していないことが唯一の売りだったスキー場から閉鎖されてゆきました。
もっとも大きなスキー場も今や外国資本に買われているといいますから、国内需要で賄えなくなった今はどこも苦しいのでしょう。
しかし、中小のスキー場の中でも、最初から都会や海外から来る人たちをあまりあてにしていない、とまではいわないものの、ずっと地元や県内の人たちからも愛されている箇所があります。
そういうスキー場はバブル期に派手に踊らされなかったぶん傷も浅く、小規模のまま細々と続けているところもあります。
南会津のスキー場は、東武鉄道が資本参加しているたかつえ(高杖)スキー場を除き、小さなスキー場があちこちの谷間に点在しています。


あの頃、南会津に宿泊して車で宿とスキー場と往復することで、そういった小規模のゲレンデで滑った訳ですが、混雑を避けるために選んだのは、ツアーバスの入らない、東京では名前を聞いたこともないスキー場でした。
雪は豊富にあって内陸の山岳地帯にあるので日中でも寒いから雪質は良いのですが、いかんせん山の高さが足りません。
コースが大きなスキー場に比べて絶対的に短く、長い距離を一気に滑走することができません。
リフトも2本しかなく、しかもスピードの速いトリプル(3人乗り)やクアッド(4人乗り)といった高速リフトなど全くありませんから、滑走距離が短いこともあって、リフトに乗っているとどんどん身体が冷えてしまいます。
スキーセンターや食堂も規模が小さいからゲレンデは空いていても混雑しています。
それでも、リフト待ちの列が長くなって上方に伸びた結果によって、少しの距離しか滑れなかったり、リフト待ちの時間ばかりで実際に滑っているのは合計1時間にも満たなかったり、ペンギンの営巣地のように、ゲレンデにできたコブ毎にスキーヤーがびっしりと張りついて、下の人がどいてくれないと滑れないなんて状態になったりするよりも、狭いゲレンデながらもちゃんと滑れるだけ、あの時代はまだましでした。

(次回その2に続く)