2023年3月18日、日吉駅と新横浜線の開業 | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

(市境尾根からみた日吉台)

この文章がブログに載る2023年3月18日に、東急新横浜線、相鉄新横浜線が開通します。
日吉駅では、それまで当駅止まりだった目黒線下り方面のうち一部と、東横線下り方面のうちの一部列車が、東急新横浜線に乗り入れることになります。
かなり前の段階では、目黒線の全列車が新横浜線に乗り入れてしまい、日吉折返し、つまり目黒線の上り方面始発列車は消滅するのではないか?といわれていたのですが、ちゃんと日吉駅の南側、新横浜線が地下へとおりてゆく真ん中に引上線が設けられています。
この、日吉駅で折返しするダイヤには歴史があります。
日吉駅は、私が幼児の頃から営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線直通列車の折返し駅で、この始発列車に乗れば、中目黒で乗り換えなくても六本木、霞が関、日比谷、銀座、築地、上野など、当時は東京のど真ん中に行けたので、便利でした。
こうした地下鉄駅の案内板にいちいち「日吉方面」と表記されているのも、なんとなく自慢でした。

(今回は近所と相鉄沿線の写真です)
日吉駅の歴史を調べてみたら、かなり紆余曲折がありました。
戦前の1934年に慶應大学日吉キャンパスが開校すると、その2年後の1936年には相対式だったホームが2面4線の橋上駅に改められ、地元では有名な話ですが、戦時中の1944年、同日吉キャンパスは海軍省に貸与されました。
海軍省のある霞が関と横須賀軍港の間に位置し、丘の周囲に谷戸と呼ばれる谷間を刻む地形が空襲の際には避難に優れていたこと、周囲により高い丘が少ないので、無線の送受信状態が良かったことなどから日吉が選ばれました。
戦争も後半で海軍には稼働できる艦艇は殆ど残っておらず、沖縄戦への支援として行われたいわゆる航空特攻作戦の一環として、戦艦大和の沈没(坊ノ岬沖海戦)を招いた水上艦による特攻作戦を決定したのも、ここ日吉キャンパスに入っていた連合艦隊司令部でした。
これはあまり語られないことですが、その関係で日吉も1945年4月には空襲を受け、現在のキャンパスの8割は灰燼に帰したそうです。

戦後も同キャンパスは進駐軍に4年間も接収されて、当時の日吉駅はデモンストレーションのつもりなのか、駅の階段を米軍のジープが昇り降りし、駅前には将校目当ての街娼がたむろしていて、治安は良くなかったとききます。
1964年、昭和の東京オリンピック開催の年に日比谷線相互直通折返し運転が開始されますが、1988年の駅改良工事開始に伴い、日比谷線直通電車は菊名折返しに変更されます。
ところが3年後に日吉駅地下化工事が完了した後も、日比谷線の折り返し運転は菊名駅に変更されたままになり、日吉駅始発列車は消滅してしまいました。
当初は折り返し運転を日吉駅に戻す予定だったものの、横浜線からの乗り換え客を含む菊名駅利用者から猛反対が出て立ち消えになったと聞きました。
それから17年後の2008年に目黒線の武蔵小杉駅~日吉駅間が延伸して、日吉駅は再び始発駅の地位を取り戻しました。
だから、新横浜線の新設によって目黒線がもっと南へ延伸する工事が始まった時、日吉駅利用者の一部には、日比谷線折返しを菊名駅に奪われた過去のトラウマを思い出した人がいたはずです。


朝の通勤ラッシュのピーク時を除き、1本待てば確実に座って行ける始発駅は日常利用している人間にとってやはり便利なのです。
私は今横須賀線の一番列車で新川崎駅から大船駅へ行きますが、東戸塚駅や戸塚駅で乗車してきて大船駅で下車し、或いは横須賀線や東海道線の上り列車から根岸線(そのまま京浜東北線に直通)始発列車に乗り換える人たちを多く見かけます。
もちろん、根岸や磯子などへ行く人もいるでしょうが、そのまま東京方面に行く乗客もかなりいらっしゃるのではないでしょうか。
朝5時過ぎとはいえ、東海道線も横須賀線も上り列車は立っている人も多いですから、朝が早いからこそ座って寝てゆきたい人は多いのでしょう。
立錐の余地もない、窓ガラスが割れるのではないかと思われるほどの満員電車(自分も経験があります)に乗りたくないからこそ毎朝早起きしているわけで、その分座ってゆきたいという気持ちはよくわかります。
付言すれば、駅まで歩くなり自転車で走るなりして身体を動かしておくと、短い時間で深く居眠りできたり、充実した読書ができたりします。


目黒線は目黒駅の先白金高輪台駅で東京メトロ南北線と、都営地下鉄三田線に分かれてそれぞれ直通していますから、両線の沿線、前者なら麻布十番、溜池山王、四ツ谷、市ヶ谷、後楽園、東大前、王子、後者なら三田、日比谷、大手町、神保町、水道橋、巣鴨、新板橋など、両線あわせると都内の各所に直通できます。
南北線は複雑な地形のもとにある場所にピンポイントで行けますし、三田線は日比谷や大手町などに中目黒乗り換え日比谷線より早く行けますし、巣鴨や板橋など多摩川の南からは行きにくい場所へ直通しているので、重宝していました。
私の場合、ブロンプトンで行って四ツ谷や神保町で本を買って帰るのにも、電車で一本は便利でした。
もう何年も前に閉店してしまいましたが、奥沢駅の近くにキリスト教や哲学専門の古本屋さんがあって、そこから重たくなった鞄を抱えて帰るときも便利でした。


しかし発表された時刻表をみると、目黒線の上り方面各駅停車は殆どが日吉駅始発になっており、新横浜線から来るのは急行だけみたいです。
目黒線の上り各駅停車は急行に追い抜かされるとしても武蔵小山の一か所だけで、地下鉄内の急行運転はありませんから、各駅停車に乗っても急行に乗っても所要時間に大差はありません。
だから、目黒線が新横浜線に直通するといっても、そう心配することはないようです。
また新横浜線から東横線へと直通する上り列車ですが、日中は毎時2本、朝のラッシュ時でも7時台4本、8時台3本と少ないので、これならむしろ日吉駅で降りて始発の各駅停車に乗り換える人の方が多いのではないかと予想されます。
先に運行されている相鉄線からJR線に直通して新宿へゆく列車を見ても、本数が少ないせいか日中は非常に空いています。
また東横線の横浜方面へゆく下り列車が少なくなってしまうのではと思っていましたが、上記のような少ない本数ではあまり影響がなさそうです。


翻って新横浜に直通することのメリットですが、今でも新幹線に乗り換えるときは菊名駅から、或いは自宅から直接新横浜駅のもっとも新幹線改札に近い横浜アリーナ方面出口に、直接ブロンプトンで乗りつけてしまっているので、東急・相鉄新横浜駅が地下4階で環状2号線の下に設置されることを考えると、乗り換えに時間がかかるのなら従来通り地上を走っていってしまった方が早くて気持ちが良いのかもしれません。
この辺はやってみたうえでレポートしたいと思います。
なお、その先の相鉄線乗り入れですが、そちらに仕事でも持っていない限り、東横線の住人には殆ど関係がありません。
たとえば通勤で藤沢まで往復するとして、大和や湘南台で小田急江ノ島線に乗り換えるという方法もありますが、往路に関してはJRよりも私鉄の方が一番列車は遅いし時間もかかるので、それなら従来通り新川崎駅から横須賀線を選択します。
復路に関しても、藤沢から日吉まで小田急、相鉄、東急と3社運賃に加算運賃迄合算されて高くつきますし、湘南台駅や大和駅まで境川サイクリングロードを走って帰るという方法もありますが、湘南台~日吉間だけでも690円かかるし、下車駅から家までの走行距離も減ってしまいます。
折りたたみ自転車併用通勤のメリットは、適度な運動をしたうえで、運賃もセーブすることが目的ですから、たまに気分転換のため利用するくらいになりそうです。


また、休日のお散歩にしても相鉄線沿線には目的地になるような場所がありません。
それくらい、相鉄線沿線は歴史の浅い、つまり丘陵を切り開いてつくった住宅街が延々と広がっています。
旧街道は浜街道や絹の道と呼ばれた、八王子と横浜を結ぶ神奈川往還ですが、明治になってからの産業道路ですから殆ど残っていませんし、横切っているのは中原街道や大山街道といった脇往還で、これらの道も五街道のようには昔の風情は残っていません。
強いていえばズーラシアくらいですが、相鉄線よりも横浜線沿線から走っていった方が近そうです。
相鉄線を利用してその先へ行くにしても、湘南台よりも先といえば江ノ島から平塚にかけての海岸ですが、それは東海道線を利用した方が早く、安く行けますし、丹沢や足柄方面の山に行くにしても、海老名乗り換えよりは、南武線で登戸に出て小田急線に乗り換えた方が、やはり早く、安く行けます。
唯一利用できるとすれば、大和や湘南台から境川、引地川経由、或いは海老名から相模川経由で走って湘南海岸に出るか、丹沢や箱根・足柄の山や峠にブロンプトンと脚を使ってアタックして、帰りに海老名経由で日吉まで寝て帰る時くらいかもしれません。


それよりも、日吉駅はこれまで上り方向が、副都心線の先西武池袋線や東武東上線、目黒線の先が南北線と三田線ということで、とくに折りたたみ自転車を併用して都内の目的地にゆくのにどの線のどの駅を利用したらよいかほとほと悩んでいたのに、今度は逆の下り方向も元町・中華街のほかに海老名や湘南台と複数になってしまい、うっかり寝過ごしたらとんでもないところへ連れて行かれてしまうわけで、従来のように最悪警備員さんが起こしてくれた目黒線オール日吉止まりの方が、下車する人間にとってはありがたかったのでした。
とにかく、東急・相鉄新横浜線は海老名、本厚木方面のアクセスは(始発電車で早朝のアクセスは小田急線に譲るとしても)容易になりそうなので、その利点を使った小旅行や史跡巡り、或いは山旅トレーニングというものを追々考えてゆきたいと思います。