「10年後のわたしから手紙が届きました」というお題に返事をしたためてみました。 | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

 

2022年のわたしへ久しぶり!元気にしてますか?辛いことや嫌なことっていつまで続くのか、今はわからないだろうけれど、ゴールは必ずあるからね。10年後のわたしより

未来のわたしに返信しよう♪

 

おいおい、「苦楽生死均しく感謝」を目指している人に何を書いているんだい。

辛いことや嫌なことの中身が何だか分からないけれど、

「主イエスがともにませば、堪え得ぬ悩みは無し」と中学生の頃から歌っているじゃないか。

まさか10年後のわたしは棄教したりしていないよね?

切支丹弾圧の時代がきて、家に隠してあった聖書が見つかって、こののち逆さ吊りにされるとか。

いやいや、「笑ったもん勝ち」なんて余裕かましているということは、それはないな。

ゴールがあっても無くても、こんなズボラで真面目に信仰に取り組もうとしない私が、

何とかキリスト者として踏みとどまって、

教会に行って、毎日お祈りして聖書を読んで

さらにブロンプトンをつれて旅に出て、

その紀行文をこうしてブログにあげて、

それで何とか生かしてもらっているのだから、2022年の私は神に感謝です。

もちろん、元気にしています。

このブログをはじめた20年前(2012年)のことを、あなたはおぼえていますか?

あの時は、全然関係もなかったのに、わざわざ私を攻撃するために乗り込んできた

似非教育者たちから散々な苛めを受け、

鬱病になってPTSDを発症していたよね。

そんなわたしを救ったのは信仰とそれに基づく共同体での翻訳だった。

あそこでキリストに再会し、招いてもらわなかったら、

自分は自己のすべてを放擲して、連中の思うつぼになっていたかもしれない。

あの時には校了して1年目だった最初の訳本も、

いまや再版を重ね、大勢の仲間に読み継がれていると伝え聞くに及び、

自分は神さまからなんと尊い使命を与えられ、

さ迷いながら、躓きながらもなんとかそれを果たしたことで、

同じ病に苦しむ大勢の人たちに、ほんの少しだけ役に立てたということが確認できて、

そのことで、何も知らないその他の大勢から心ない非難を浴びても、

どうにか心の中で小さなともし火を絶やさずに歩いて来ることができました。

それもこれも、私には時間と余裕、そして支えてくれる人たちが与えられていたからで、

その過去にも感謝し続けています

だから、10年後の私よ。

どんなに辛いことや苦しいこと、そして恥ずかしいことがあっても、

ただひたすらに、神さまの方だけ向いて、

口角なんか無理してあげなくてもいいから、

感謝の気持ちだけは忘れずに、あの方との約束が果たされるその日まで、

今日一日で歩んでいってください。

これを読んでいるあなたが、暗闇の中でゴールを探しているのではなく、

いつ人生のゴールが来ても平安でいられる

光に満ちた日々を送っていますように。

仮に闇の中にいたとしても、尋ねて戻り、

変えられないものを受け入れる落ち着きと、

変えられるものは変えてゆく勇気と、

ふたつのものを見分ける賢明さを取り戻し、

当座のゴールなど探さなくても良いことを悟れますように。

そして人生のゴールが来たときは、感謝のうちに旅立てますように。

父と子と聖霊の御名によって。