ブロンプトンを連れた旅のプロローグ(その1) | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

皆さんは小説の出だしはどんな調子がお好みでしょうか。
冒頭にいきなりショッキングな事件や事故が語られ、時間を巻き戻してその遠因から説き起こすような作品があったかと思うと、主人公目線の淡々とした変化の無い日常が延々と語られるような作風、あるいは群像劇のように、複数の登場人物についてあらましから説明が為される作品など、色々あります。
私は何気ない日々の生活からはじまり、気が付かないうちに主人公の感情と同化していって、お話の世界に無意識に引き摺り込まれているような小説が好きです。
高校時代、遠藤周作氏の作品にリアリティを感じたのも、作者が最初は世田谷の豪徳寺、次には町田の玉川学園に(狐狸庵という名の)居を構えていて、物語の中に、自分が通学している小田急線沿線という身近な風景が織り込まれ、そこに住んでいそうな市井の人々が描かれていたから、感情移入しやすかったのです。


冒頭から話が脱線してしまいますが、もし旅が好きでこれから読書をしてゆきたいと考えている方がいたら、自分が興味のある、よく行く場所が舞台になっている、有名な小説を手に取って読んでみたら如何でしょう。
北海道の旭川がお好きなら三浦綾子氏の『氷点』、茨城県常総市に興味があるなら長塚節氏の『土』、西国街道昆陽宿(兵庫県伊丹市)あたりに何かを感じたら三島由紀夫氏の『愛の渇き』など、別にご当地が有名な観光地でなくとも、そこで暮らす人や、その場の風景が題材になっている小説を読むと、あの作家の先生はこの場所をこんな風に文章に描いたのか、ここにこんな登場人物をもってきたのかなんて感心できますし、それが時代を遡った歴史小説だったとしても、現在の状況から、その時代を想像する手がかりを得られます。

海外旅行だって同じことだと思います。

ロンドンへ行くのなら、シェイクスピアの『リチャード三世』とかグレアム・グリーンの『情事の終わり』、パリに行くのならこの前ご紹介したバルザックの『ゴリオ爺さん』やスタンダールの『赤と黒』なんて、読んで行ったらその街への興味がより増すのではないでしょうか。
そうした様々な文章を読むことで、自己にとって共感しやすい表現が分かってくるし、そこから自分なりの表現方法を工夫してゆくことができると思うのです。


翻訳したときに気付いたのですが、読まれることを前提とした文章をつくる際には、読み手の気持ちになれなければならないので、校正の段階で音読を何度も繰り返します。
すると、普段から本を読む習慣のない人が書く文章には、訳文としては正確かもしれないけれど、表現に癖があって、読みにくい文になりがちだということに気付きます。
だからといってその難点を単純に消去し、万人が読みやすい、一文が短く、表現も平易な文章ばかりを心掛けていたら、読んでも何も心に残らない、マニュアルみたいな文章になってしまいます。
ということで、流れの良い文章をつくるために、多少の想像力を膨らませて、「あの小説家だったら、あの随筆家だったら、こういう場面をこのように表現するだろうな」と、表現を盛る必要が出てきます。
すると、複数で共訳している場合など、訳文を勝手に改竄したということになり、日本語としては流暢だけれど、作者本人はそんなことまで書いていないとの批判を甘受せねばならなくなります。
私は翻訳をしながら、これが自分の自由に描ける私小説だったらどんなに気が楽だろうとよく思いました。


では小説読書ではなく、旅行に出かけるときの状況というのはどんな感じでしょうか。
前の晩に持ち物を確認し、念入りにパッキングして、とくに忘れてはいけない(きっぷやパスポート、スマホに充電器等)ものを何度も確認し、就寝中は旅行のことを考えると興奮して眠れなかったので、出発の朝はわりとぼんやりして新幹線の駅や空港にゆくという人も多いのではないかと思います。
海外旅行などの場合、空港には搭乗便出発の2時間前までに行かねばならないので、遅れないようにというだけでなく、ラッシュアワーを避けて普段の通勤通学よりも早く出るのが普通でしょう。
荷物が多く、お金に余裕があれば、普段は滅多に乗らないタクシーを呼んで駅や空港まで利用する場合もあるでしょう。
私もかつてはそうでした。
出発の朝は慌ただしく、ひと息ついて旅行に出たのだなと実感できるのは新幹線の中や機内で目を瞑った時などでした。


ところが旅行会社に入って、旅が仕事になると、いちいち前の晩に興奮して、出発の朝は緊張してなんてやっていたら、身体が持ちません。
自分の場合、入ったばかりの頃はまだバブルもはじけておらず、社員が添乗するケースも多々あった(のちに添乗専門の子会社に任せるようになってゆきました)ので、年間の添乗日数が100日を越える年もありました。
実に一年の約三分の一を、家以外の場所で目を醒ますのです。
そうなると、朝起きて天井をみても、自分の家にいるのか、出先の宿泊施設にいるのか、すぐには判断できないなんてことにもなります。
家に居るつもりで寝ていて、目覚まし時計の音とともに起きたら仕事先のホテルでがっかりしたとか、逆に添乗中の夢を見ていて、「寝坊した!」と焦って起きたら家で、振替休日だったなんてことはよくありました。


とはいえ、社員は添乗専門要員ではなく、普段は営業ですから、出発の前の晩に夜遅くまで仕事をしていて、仮に家に帰ったらとても寝る時間が無いから、着替えなどの準備は前もって会社に持ってきておいて、翌朝の集合場所である駅や空港の近くのビジネスホテルに直行して前泊し、4,5時間でも寝ておくなんてことをやっている先輩社員もたくさんおりました。
駅前旅館や空港近くのビジネスホテルには、エージェント用の割引料金が設定されていることが多いのです。
団体旅行などの場合、添乗員をつければその費用はお客さまの旅行代金に転嫁されますので、少しでも旅行費用を抑えたい場合は、添乗員をつけず、つまりグループ旅行の代表者に旅程管理は任せ、社員は出発場所で見送るだけ、というケース(「アテンド」といいます)も多くなってきました。
昔と違って、旅行好きで詳しい人も多くなりましたし、飲み会の鍋奉行よろしく、旅の仕切りたがり屋さんも、確実におりますから。
但し、そういう場合、旅行中万が一の場合には速やかに連絡を取れる体制にしておきました。


万事がこんな調子ですから、プライベートの旅行でも、それがグループの場合は「旅行会社に勤めているのだから」という理由で、勝手に旅程管理者にされてしまいます。
本音はプライベートの時くらい「仕事としての旅行」は忘れ、誰かの後を金魚のふんみたいについて回りたかった(笑)のです。
今だって、自分はひとり旅が主体だから、たまにグループで行動する時は、知っていること、経験したことを封印して、黙ってみんなの後をついてゆくのに憧れます。
(たまーにさせてもらえると、本当に気楽です)
もう何度も来ている場所なのに、はじめてのふりしてお客さん目線で観光地を眺めると、仕事では気づかなかった点が見えてくるものです。
ああ、一般の観光客は、この場所をこういう風に見ているのかと。
もちろん、それがネガティブなことだったら、同行者には黙っておきます。


けれども「どっかいいところ知らないの?」なんて友だちから気安く訊かれ、「いいところってどういう意味で言っているの?」と思いながらも、「どのような場所で何をされたいのでしょうか」などと丁寧にきいてしまう自分がいます。
ホテルのフロントで鍵をもらいながら即席で部屋割りをして、「お部屋に入る前に非常口の確認は必ずしてください。寝煙草は絶対にやめてください。明日の朝食は〇時になにそれの間です。」なって説明している自分は、内心でトホホな気分を味わっているのでした。
多分、団体旅行の観光バスに乗ってマイクを渡され、添乗員をやれといわれたら、何十年も前の自分になり切ってやり遂げて(?)しまうかもしれません。
こんな風に、一度でも旅を生業にすると、以降の旅行は日常の中に溶け込んでゆくものです。

(次回に続く)