車窓からの眺めと読書の関係(その1) | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(今回は青春18きっぷで京都へ行くときのスナップです。

仕事で今も毎日のように横須賀線に乗っているのは、なんだか因縁めいています)

通勤に電車を使っている時、青春18きっぷで鉄道旅行している最中、新幹線に乗っている際、ふと車内を見渡すと、スマートホンを見つめている人が大半になったと気付きました。
仕事帰りに通勤特急に乗車して、座れないのでドア際にブロンプトンを寄せた状態で、今まで自分が立っていたホームを振り返ると、これまた後発列車の列に並んでいる人たちは皆、スマートホンを凝視しています。
それだけではありません。
駅の改札口からエスカレーターでホームへ昇降する人、コーンコースを歩きながらのひと、駅の外へ出ても、駅前広場を急ぎ足で横切る人、信号待ちの人は青になっても気付かずに立ち止まったままか、気付いても歩き出したらまたスマートホン。
もちろん、殆どの人たちは画面に目を落としているため、私が彼らをみて驚いていることには全く気付いていません。
気付かないことを良いことに、凝視し続けている自分も自分だと思いますが、なんだかシュール(不条理かつ不可解)な状況です。


携帯電話もポケベルも無い時代の人が、もしこの状況をいきなり目の当たりにしたら、一体何事か、集団催眠にでもかかったのかと思うかもしれません。
ブロンプトンに乗って走り出しても、この状況は変わりません。
自転車に乗りながら片手運転でスマートホンを操作してる人は、一見すると昔のお蕎麦屋さんの出前を彷彿とさせますが、前を見ていないので対向している自分が停止しないことには、衝突回避を担保できません。
こちらが停止すると、別に嫌味な感情はまったくないのに、余計に相手を観察する結果となります。
歩きながらのスマートホン操作も、路上では若い人を中心に珍しくありません。
路地を幅いっぱいに横一列に並び、全員がスマートホン操作をしながらこちらに向かって歩いてくるのを見たときには、「鈍き心を、スマホの向こうに押しやった人間たち」と昔の刑事ドラマのナレーションを思い出し、感情の無いロボットが向かってくるようで、思わずUターンするか、道をそれたくなります。
その数の多さ、時と場所にもよりますが、『ながらスマホ、歩きスマホは危険です』の標語もむなしく感じるほどです。


最近よく目にするのが、耳にイヤホンマイクをつけて、電話しながら歩いている人です。
ハンズフリー通話は、車の運転も含めて法律に違反していないのかもしれませんが、あれは傍目から見たら相当に奇妙です。
髪の長い人など、機器が見えない状態のまま、ブツブツ話しながら歩いてくる顔の表情が変化するので、歩きながら独り芝居の練習でもしているのかと思うし、明らかに刻々と変わる周囲の道路状況に気が配られていないので、「いつかは事故に遭うのかも」と感じてしまいます。
ながらでなくても、たとえば停車中の静かな電車のなかで、独りでいる人が、「ハイハイ、どうしたよ、えっ、今電車の中だから後にしてくれよ」などと大声で突然しゃべりだすと、最初は誰に向って話しているのか分からないから、他の乗客がみなギクリとします。
そのまま切らずに会話が長引いて、皆がその人の会話に非難を込めた聞き耳を立てて、チラチラ視線を送っている状況でも、当の本人は文字通り聞く耳を持っていないし、宙をさ迷う視線には、周囲を見る目も無いので、どこ吹く風といった風情です。
でも、格好も行儀も良きようには決して見えません。


かくいう私も、このブログを読んでくださっている方々がおられるのは、そうした情報機器のおかげであると重々承知しておりますし、自分も一度見始めると画面に惹きつけられてしまう凡人ですから、「人の振り見て我が振り直せ」とばかりに、ほかのことをやりながらのスマートホン操作は、意識的にしないようにしています。
歩いている最中、自転車に乗っている最中、目の前の人と話している最中に電話が掛かってきた場合でも、とまって、あるいは一瞬相手との話を中断して確認することはあっても、大概の場合は目の前のことに集中するようにもってゆきます。
今はメールやSNSという手段があるから、本当に緊急の場合で電話に相手が出ない場合は何度もかけ直すのではなく、短くてもメッセージを入れるでしょうし、同じ相手に何度も電話して、「何で電話に出ないんだ!」などと怒鳴る人間は、自分の方がおかしいことをやりながら、間違ったことを相手に主張してやまないわけですから、冷静さを失っている人間として、余計にコンタクトを取らない方が良いと判断するようにしています。
自分でスマートホンの画面に映し出される内容にとらわれていると感じたときは、それが重大なニュースであったり、歴史探究の手段であったりしても、出来るだけ速やかに電源を切るようにしています。
それ以前に、携帯電話やスマートホンとは一定の感覚を置くようにしています。


では、列車内でスマートホンを見る代わりに自分は何をしているのか。
振り返ってみると、車窓を見る、本を読む、眠るの3点に絞られます。
このうち、かつての車内では、雑誌や漫画を含めれば、大勢の人が紙の本を読んでおりました。
しかし、眠っている人は別にして、車窓を見たり、紙媒体を読んだりしている人は、少数派になってしまいました。
ひょっとすると、電子書籍を含め、これらの人たちの大半が、スマートホンでかつての情報を代替してみているのかもしれません。
きっと、スマートホンで映し出される中身、それは文字情報なのか、マンガ、映像、音楽なのか、オンラインゲームなのか分かりませんが、かつての紙によるコンテンツよりもずっと惹きつけられる魅力があるのでしょう。

 

使ったことはないですが、電子書籍だって付箋を貼りつけたり、線引きしたり、書き込みをするのは思いのままと聞きます。
但し、それは紙の本として物理的に存在しないところが、アナクロの私にはついてゆけないのです。
この前など、小さな紙のメモ帳で数字パズルを解いている人がいて、逆の意味で珍しくて驚きました。
こうして消去法で考えると、スマートホンに目を落とすことなく、車窓を見続けるという行為は何なのだろうとふと疑問が湧いてきました。
もちろん、わたしにとって、東海道本線は旧東海道の旅、中央本線は甲州街道の旅と、それぞれブロンプトンで走った思い出があるからこそ車窓は見ているところもありますが、そうした徒歩や自転車旅を経験する前でも、通勤や通学、仕事での旅行やスキー旅行も含め、毎日、毎度同じ景色を見ているにもかかわらず、車窓からの眺めを楽しみにしている自分がおりました。
自分はなぜこれほどまでに飽きもせずに車窓を見続ける大人になったのだろうと振り返ってみたくなりました。


子どものころ、幼児の時は親に連れられて、小学生になってからは一人で、横浜市内の自宅と鎌倉を何往復もしていました。
とくに印象深かったのは、どちらかといえば横須賀線からの車窓です。
電車が横浜を出ると、右側に相鉄線が並行して走り、その向こうに見える浅黄色のガスタンク(東京ガス平沼整圧所;現存)が目を惹きました。
保土ヶ谷駅を過ぎ、旧東海道に沿って大きく右へカーブして西へ向かう際、左側の山の上には、横浜清風高校の円形校舎(今はありません)がひと際目立っていました。
私の小学校にも円形校舎がありましたが、山の上に立つそれは、展望レストランのように見えたものです。
列車が武蔵野国と相模の国の境にある、三浦半島からの脊梁にあたる尾根を清水谷トンネルでくぐる手前の左側、箱根駅伝で有名な権太坂の北西斜面に、日本ペットフードの研究所(1999年に静岡へ移転、現存せず)があって、「ビタワン」という大きな犬の顔の看板の周りに、犬の運動場(今でいうドッグラン)が広がっていて、電車の窓から何頭もの大型犬の吠え声が聞こえました。
当時の普通電車には空調などはついていませんでしたから、寒い冬を除いて、ほぼ窓を開けて走っていたので、踏切の音をはじめ、外の音がよく聞こえたのです。


トンネルを出たあと、今の東戸塚駅付近の谷戸(当時は牧場―現存―以外なにもなかった)で、今度は家畜の匂いが漂ってきて、その先では魚肉の練り製品工場や、大手化粧品メーカー、有名な電機メーカーの研究所が見えて、やがて東海道の大踏切で、緑色の旗をひらひらと保安員が振る姿を認めたら、戸塚駅に到着でした。
戸塚を出ても、非鉄金属メーカー、光学機器メーカー(すべて現存)などの工場が桜並木を配した柏尾川の向こうに見えて、やがて使われなくなって錆びてしまったモノレール駅の向こうの山の上に、いまにも振り返りそうな大観音の後頭部が見えてくると、大船駅に到着です。
今のような大型マンションはなくて、線路際に割烹旅館の「大海老」と大書きした看板がかかっていて、読めない私は「だいかいろう」って何だろうと思っておりました。
そして東海道本線と別れ、列車が北鎌倉駅に向かって小袋谷をつめてゆくと、明らかにひんやりして湿潤な、鎌倉独特の空気が明けた窓から入ってきて、当時はうら寂しい北鎌倉駅につくと、ヒサヤ大黒堂みたいな平仮名一文字の看板(現存しません。字のさいごを長くのばしていて、痛そうでとても目立ったのです)を確認、トンネルをくぐって対照的に明るい鎌倉駅に到着すると、大仏さまの絵が入った仏具屋さんの看板を見ては、「ああ鎌倉へ着いた」とほっとひと息ついておりました。


こうして振り返ってみても、景色もさることながら、そこから見える「字」(「ぢ」じゃないですよ)を読むことにも拘っていたのだと分かります。
大学生くらいになってから、ロングシートのお向かいに座った幼い男の子の目が、車窓から見える看板や建物を追って、左右にもの凄い速さで動き続けるのをみて、かつての私もあのようにしていたのだと思い、あれで高校生のころまでずっと視力は2.0を維持し続けられたのだと思いました。
ボクシングマンガの古典において、動体視力を鍛えるために、線路わきの鉄柱にのぼって、走る列車に乗っている乗客の顔一つひとつを素早く目で追うというシーン(本当にやったら間違いなく列車妨害で捕まります)がありましたが、あれの逆バージョンをやっていることになりますから、視力が鍛えられるのはもちろんなのですが、字以外の景色、自然や人為的な建物も含め、これらを車窓から五感をはたらかせながら何度も読み、感じることで、読解力も想像力も豊かになって行ったと思います。
本来なら記憶力も良くなって、学校の成績があがったはずなのに、空想ばかりしていたからか、そちらの方は全くダメでした。
それにしても、当時は列車のまき散らす細かい鉄粉や、座席の位置によっては黄金飛沫と呼ばれるありがたくもないものまで窓から入ってきて、顔を出して口を大きく開けて「アワワワワ」などと平気でやっておりましたが、大人も含め、そんなことを気にする人も殆どおらず、おおらかな時代だったと思います。
(その2へ続く)

(伊吹山と桜)