三国峠(神奈川・山梨県境)にブロンプトンをつれて(その1) | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

ここのところ急に気温が下がりました。
暑い夏が終わって涼しい秋が来るかと思いきや、日によっては初冬のように北風が吹く寒い日が出てきました。
こうなると、自転車で走るのは今までよりずっと楽になります。
なにせあのアスファルトの上でじりじりと焼かれる灼熱地獄から解放されるわけですから。
寒い分には雨雪さえ降らなければ、着ているもので調節可能です。
それは寝るときも同じで、あの寝苦しい熱帯夜から解放され、布団を調節すればぐっすり眠れるようになります。
読書の秋、スポーツの秋といわれますが、私は行動しやすくなるという点では、旅×スポーツの秋だと感じています。
もちろん、本を読むこともなおざりにはしませんが。


東海道以外の五街道をブロンプトンで走破することを意識しはじめたとき、旧甲州街道や中山道はブロンプトンを押し歩きするか、登山口に駐輪しての山歩きが多くなることが予想されました。
しかし、普段登山をしていない私は、経験的にも体力的にも自信がないので、近場で予行練習をしてみようと考えました。
とはいえ、このブログでご紹介してきたように、いままで山へ登るのは電車やバス、索道にまかせて、ブロンプトンではおもに下ることばかりやってきた私です。
もちろん、登山道にブロンプトンを持ち込んで押し上げた経験など殆どありません。
例外は、旧東海道の箱根(ブロンプトンを背負いました)、鈴鹿以外、須坂の奥にある仙仁(せに)温泉から大笹街道をのぼり、菅平高原、鳥居峠を越えてJR吾妻線の大前駅に滑り込んだときと、志賀高原の渋峠から山田峠、草津白根を抜けて草津に降りたことくらいです。
とくに後者は標高2000m越えの本格的山岳道路でしたが、空気の薄さと勾配のきつさにかなり参りました。
けれども、山中に小径車という場違いな自転車を持ち込んで運動するのは苦しいだけではないということも、少しだけ感じました。


もちろん、ハイカーの白い目を跳ね返しつつ登山道に自転車を持ち込む勇気は最初からありません。
旧街道上なら自転車を持ち込むこともエクスキューズ(言い訳)が効きますが、ただのハイキングコースは私が歩いている方だったら疑問に思います。
だから、最初は近間の山岳道路で自転車を漕いで、登坂路馴れしようと考えたのです。
甲州街道の小仏峠や笹子峠、中山道の碓氷峠や和田峠も、本格的なハイキングコースに立ち入る前に、舗装路(一部未舗装路)の登り坂があります。
いままで、こういう道はゆっくり着実に登ることをしてきましたが、その後は下りを楽しんでいました。
しかし、こと峠道の場合、そうした舗装路登坂の後には長い長い押し歩きの登りが待ち構えています。
さらに、その後には下りの押し歩きもあります。
押し歩きできない場合は畳んで持たねばなりません。
場合によっては背負わねばならないかもしれません。
だから、体力を温存したままある程度の距離について坂道を登る訓練をしなければならないのです。


2年前の秋、私は武蔵中原駅4時43分発立川行きに乗るべく家を出ました。
10月も半ばを過ぎると、4時台はもちろん、5時台も前半までほぼ真っ暗です。
この南武線始発電車は、これまで青梅街道の柳沢峠、奥秩父の大弛峠、八ヶ岳の登山口である美濃戸口へ行くときなど、中央線沿線の山々へ行くときは常に利用してきました。
あの時はみなバスに乗り換えて山の上へ行ったわけですが、今回もやや同じではあるものの、少しだけ登りのある場所を選びました。
麓から頂上まで登る道路を最初から選ぶと、失敗したときに落ち込みが激しいですから。
こういう順化訓練は段階を踏んだ方が良いでしょう。


涼しいというよりは寒くなった朝の空気の中を、武蔵中原駅に到着すると、なぜか房総半島の観光ポスターが目に入りました。
変だな、房総は春がシーズンなのにと思ってよく見たら、稲穂だか麦舗で黄色く染まった田畑の中を、いすみ鉄道の旧国鉄カラー気動車がゆく写真でした。
春は菜の花でまっ黄色のあの沿線、秋もやはり黄色いのでした。
房総半島は温泉が少ないから、などと思いながら自転車をたたんでカバーを掛け、ホームにあがると、始発の登戸行きと立川行きが停車しています。

始発ですからどこにでも座れるわけですが、今日は登戸で下車するので3号車進行方向3番目の左側ドア付近に席をとります。
乗り換え時間に余裕があっても、ブロンプトンを連れている場合は、乗り換えに対してベストポジションを押さえておくことをお勧めします。
こうして発車ベルもなく定刻通りに南武線の電車は発車しました。
乗車時間は12分足らずですが、この短い間に学生時代は眠っていました。
今もできるかと挑戦してみたのですが、さすがにこの歳では目を瞑っているのが精一杯です。
そして、いつもは立川駅で中央線や青梅線に乗り換えるべきところを、登戸駅で下車しました。


登戸駅到着は4時55分。
この駅は中学生から今朝と同じように小田急線に乗り換えておりました。
朝練のときなど、同じ時間で乗り換えたこともあったと懐かしく思い出しました。
ここで小田急線の下り一番列車、5時12分発新松田行きに乗り換えます。
南武線は前身が私鉄南武鉄道だったこともあって、各私鉄との乗り換え駅はホームからホームへすぐという構造にはなっていません。
いったん改札を出て、再び改札をくぐってホームへ行くまでに階段を上り下りせねばならないのは、武蔵小杉駅も武蔵溝の口駅も登戸駅も同じです。
自分が学生の頃は、駅前広場も小さくて郊外の駅という感じだったのですが、しばらく見ないうちにえらく立派な駅舎になっておりました。
小田急線名物箱根そばの店もできていました。
昔から美味しいといわれる立ち食いそば屋さんも、この時間では開いていません。
暗い中で電車を待っていると、昔を思い出しました。
あの頃も、早朝のホームは誰もいなくて、閉まっている売店の脇に、その日発売される週刊誌や漫画雑誌が紐で括られて置いてあるのが印象的でした。

待っている間に小田急線の上り新宿行き列車が来ましたが、こちらの電車はこの時間なのに立っている人がチラホラ見えるほど混んでいます。
あんな風に、下り電車も週末のハイカーで混雑していたらどうしようと一瞬不安がよぎりました。
今度は南武線と違い、乗車時間が長いため、座って寝られるかどうかがその後に大きく影響します。
小田急線って通っていたから知っているのですが、朝から晩まで両方向とも結構混雑しているという印象です。
きっと、小田原線は総延長が長いから、遠く離れて住んでいる人たちは尚更に、都心に朝早く出ようと思ったら、それだけ早起きして早い電車に乗らねばならないのでしょう。
同じことは横須賀線と東海道線にもいえます。
わたしが利用している4時台は、ガラガラに空いている横須賀線に対し、東海道本線の方がわりと人が乗っているイメージです。


これは、東海道本線の方が路線は長く、乗り継ぎ列車もあるので、早起きしたハイカーだけでなく、この先にある工場や研究所に朝早く出勤する人も含まれていることが原因だと思います。
今は勤務形態が皆同じではないし、週末であったとしても、山へ行く日人たちも自分と同じように、1分でも早く登山口について、その日の山行きに余裕を持たせたいという人が多いので、油断はなりません。
ところが、入ってきた電車は10両という長大編成にもかかわらず、殆ど人の乗っていない、がら空き電車なのでした。
それもそのはず、この電車は新宿駅発ではなく、経堂駅始発でした。
つまり、経堂~登戸までの間は、沿線住民しかこの列車を利用することはできません。
ますます友だちの家に泊めてもらって、星が出ている時間に学校に向かった寒稽古の季節を思い出しました。
(つづく)