電車車両を本で囲いたい | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(売りに出されるのは長電のこの車両と同型です)

東急電鉄が車両を丸ごと販売するというニュースが流れていました。
主に田園都市線を走ってきた車両ということで、東横線沿線に住む自分としては、それほど思い入れはないものの、そこは乗り鉄の性で、走らない電車をどう使うのだろうとあれこれ想像をふくらませてしまいます。
よくあるのはレストランや喫茶店に改装されるケースですよね。
それから、田舎のほうに行くと貨車が物置として再利用されているのを見かけます。
面白いのは、駅舎として利用されているケースもあるのです。
しなの鉄道の平原駅(旧信越本線)でしたかね。
昔は貨物列車の最後尾に必ず連結されていた車掌車(事業用貨車)をペンキで塗りなおして駅名を入れて、駅舎兼待合室として使用しているのです。
子どものころ、たった一人で個室を占有できるうえに、後方の展望を独り占めできるあの車掌車に乗れる人は、運転手の次にあこがれの存在でした。
その頃の国鉄って今のJRよりもずっとラフで、胸元を開いて斜に構えて窓辺に腰かけている貨物列車の車掌さん(多分空調が効いていないから暑かっただけだと思います)は、新幹線やグリーン車に真っ白な制帽制服で乗務して、駅の発車時に窓から乗り出して指呼している車掌長さんの対極にある、「アウトロー系乗務員」みたいで、子供の目には格好良く見えたのです。
あの頃のお兄さんたちは、網棚に捨て置かれた週刊少年漫画雑誌を乗務員室に持ち込んでいましたが、今の私なら文庫本(それでも規則違反でしょうけれど)を片手に窓からの風を浴びながら読むかもしれません。

(中も東急時代のまま)
私は中学から片道1時間半かけて学校へ通うようになって、行き帰りは貴重な読書タイムでした。
吉川英治の「三国志」とか、トルストイの「復活」とか、プラトンの「ゴルギアス」とか、内容も分からないくせいにスノビズム(見栄っ張り根性)を満足させるだけのために読んだホメーロスの叙事詩、「イーリアス」や「オデュッセイア」など、殆ど登下校の車内で読みました。
おかげで期末テストはいつも及落線を上下彷徨するばかり。
赤点を取ると、通学時間が長すぎて勉強時間が取れないと抗弁する私に、担任教師は「短い時間で学習する方法を考えなさい」とお小言を言うのでした。
たったひとり、「勉強なんかしないで本ばかり読んでいる君は見込みがある」と言ってくれる教諭がいて救われていました。
そして、車内での読書習慣は社会人になっても続き、忙しすぎて自分を見失ってしまったある期間を除いて、少なくとも1か月に1、2冊は歴史書を中心に、会社の行き帰りの間に本を読んでいました。
経営学やマーケティングの本など、上昇志向の強い先輩社員から勧められても絶対に読みませんでしたけれども。

(私は東横線に乗り入れていたこちらの車両の方が懐かしい)
それにしても、今の世の中電車の中で本を読む行為でさえ、マナー違反だと騒ぐお人がいるそうです。
満員電車の中の新聞や大型雑誌ならともかく、文庫や新書、B5判程度までのハードカバーなら、肘も出ないし誰にも迷惑をかけないと思うのですが、なんでも頁をめくる音がうるさいとか…。
あのう、電車の走行音のほうがよほどうるさいのでは?と思ったのですが、近年の鉄道は空調も完備しているから窓も締め切りで、アナウンスは全部再生だから予測可能で、昔よりずっと静かになったから、そういうことを言う人が出てきたのかもしれません。
昔の電車内は夏に窓を開けていると、隣の人とも大声で喋らないと会話ができませんでしたし、窓を閉め切った冬でも、吊りかけモーターの音やら、ドア開閉のビビリ音だとか、それはもう、今では想像のできないくらい騒音にまみれていました。
でも、不思議と走行音が我慢できないと感じたことはありません。
鉄道というものはそういうものと割り切っていたからでしょう。
私は座席でスマホに目を落としたまま下車駅が来たら降車し、そのままの姿勢、視点で階段をのぼって改札口を出てゆく「自分では要領がいいと思っている」人たちのほうが、音はたてずともずっと酷いマナー違反だと思うのでしょうが如何でしょう。
車両の中で読書している人が、本に目を落としたまま、二宮金次郎よろしく下車してゆくという姿は殆ど見かけませんが、この違いは何なのでしょうか。
またの機会に考察してみたいものです。

(日比谷線のこの車両はドアの窓が高いところにあったので)
本好きの自分としては、「ふたごのでんしゃ(日本の創作幼年童話15)」(渡辺茂男著 堀内誠一絵 あかね書房1969年)なんて本を思い出します。
長い間人を運んできた路面電車がモータリゼーションの波にのまれ、最後は子ども図書館になって再利用されるというお話でした。
題名が思い出せないのですが、富士山麓に政府が秘密で何かを作っているということで、軍隊の基地や演習場ではないのかと国会で騒ぎとなり、出来上がってみたら広大な子ども図書館だったというあらすじの絵本がありました。
そのころ子どもだったからわかりませんが、きっと富士の裾野に自衛隊の演習場をつくるのに、税金の無駄遣いだとか自然破壊だとか批判があったのでしょう。

今よりもずっと「自衛という名の戦」に対して厳しい目が注がれていた頃のお話です。
60年、70年安保の時代を生きた作家があのような絵本を描いたのかな。
しかし、あの本の中で実現されていた自然の中の広々とした子ども図書館というコンセプトは、その後現実にお目にかかったことはなくても、今でも憧れとして記憶しています。
だれか同世代の方でその絵本を記憶している方がいらっしゃったら、題名を教えてください。

(子どもが車窓を見ようとしたら、運転席後の真ん中の窓しかないのでした。)
そう考えると、私にお金とスペースがあって、東急線の車両を一両丸ごと購入出来たら、飲食店や物置ではなく、図書館にすると思います。
そして、電車の中に本棚を設置して本を並べるなんて野暮なことは致しません。
その代わりに車両を丸ごと屋根付きの建物で囲い、その内側に天井まで届かんばかりの背の高い本棚をびっちりと並べて本を納めます。

もちろん、可動式の梯子をかけて、本は自由に取り出せるようにします。
そして、本棚は明るく照らし、逆に車内は暗めにして、手元だけ読書灯が灯る状態にします。
「暗い中で本を読むと目が悪くなる」と、子どものころ盛んに言われましたが、実際には強すぎる太陽光のもと、裸眼で本を読むほうが頭痛になります。
だから、書架に並んだ本は照らしても、読んでいる人そのものを煌々と照らす必要はないのです。

なお、変わったデザインのブックカフェを想像しているのではありません。

あくまでも、落ち着いた読書空間があったらなと感じているだけです。

(このツマミ、もの凄く硬かった記憶があります)

そのほかに囲う理由は、購入した鉄道車両の保護があります。

鉄道車両って(車もそうですが)野ざらしにしておくとかなり痛むのです。
鈴鹿峠の東坂に、関ロッジという宿があり、建物とは別にブルートレイン(旧国鉄の寝台車両)を再利用した宿泊ができるようになっていて、この車両が経年とともにかなり老朽化が進行し、ペンキを塗り替えたりシートを被せたり、いろいろ対策は施しているようですが、維持が大変そうです。
公園や博物館の保存車両など、屋外で展示される走らない車両は屋根がついていると長持ちするように、その車両を長く使おうと思ったら、囲ってしまうのが一番なのです。
当然、走らない電車の車窓から見えるのは本棚だけ。
しかし、そこから好きな旅の本を選んで、電車の中で読めるとしたら、こんなに楽しい図書館はないと乗り鉄兼読み鉄?は想像してしまうのです。
たぶん、車両の本体価格(消費税込みで176万円)より、輸送費用も含めて外殻のほうがずっとお高くかかるでしょうが、空想するだけならタダですから。

(地下鉄車両はおにぎり型の吊革でした。広告は懐かしの東横のれん街かと思いきや、長野東急なのでした)

本を満載した電車ではなく、本に囲まれた電車のほうが遥かに珍しいでしょうし、誰もそんなこと考え付かないでしょう。

今頭の中で想像していても、まるで書籍の宇宙を電車が突っ走っているように思えて、私には知的好奇心をくすぐる空間に思えるのです。

もしもそんな風に本を読む場所があったら、動かない車両内でも、心はたえず旅のさ中です。

そういう意味で、鉄道と読書は親和性があるのかもしれません。

宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」の中に、こんな表現があります。

無力なジョバンニを慰めようと灯台守が励ます場面です。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

読書も、どんな読書が幸せなのか、本当のところ読んでいる当人にさえ分からないのかもしれません。

前述したプラトンやホメーロスをひたすら忍耐で読んだ経験は、今哲学者の註解を読む際に多少なりとも役立っていますし、「三国志」はあの独特な漢文調のリズムが作文に影響しています。

話中、夏候惇が左目を射抜かれてそれを喰らう場面など、肝心な本が散逸してしまった今でも、ありありと思いだします。

いっけん無駄だった、損をしたと思われた読書でも、それも幸福に近づくひとあしなら、たとえ数行の読書であっても前進です。

遠くまでの旅も、第一歩から。

拙文を読んでいただいた方が、通学、通勤の車内読書を懐かしく思い出していただければ幸いです。

(保存車両はあんな風に囲った方が長もちします。小布施駅にて)