旧約聖書と新約聖書(その1) | 旅はブロンプトンをつれて

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自分がキリスト教信者だと知っている人から、「カトリックとプロテスタントの違い」について質問されることがよくあります。
その前に、「なんで耶蘇(=キリスト教の蔑称)になんかハマったの?」と訊かれます。
本音は「自分も色々ありましてね」なのですが、詳細は説明できないので、「ご縁がありまして」とだけ答えています。
但し、そういった理由を除いてもなお、かつてのように欧州を一人旅したり、今のように本を色々と読んだりするようになったのは、やはり中学時代から聖書を繰り返し読んでいた影響が大きいと思います。
キリスト教とその文化的な背景や歴史を知らなかったら、見るもの読むもの、そこまで興味が持てたか疑問ですから。
だからブログで読書のすすめをテーマに作文していると、どうしても聖書について書いてみたくなるのですが、自分は関係者でも研究者でもない一信者ですから、どこから手を付けたらよいのかもわかりません。
そこで、今回は旧約聖書と新約聖書について、第二正典という微妙な部分を鍵として説明してみたいと思います。

(軽井沢聖パウロ教会=カトリック)
「何、あなたカトリックなの?
カトリックの人たちは駄目よ、だって彼らは聖書を読まないから」
そう私にお話ししてくださったのは、友だちの奥さまでフィリピン出身の女性でした。
彼女は無宗教の旦那とは対称的に、敬虔なプロテスタントの信徒さんなのです。
あれ?
フィリピンってカトリックの国ではなかったっけ?
彼女はマニラの有名大学卒のインテリで、フィリピンではエリート層のなかにプロテスタントは多いのだそうです。
きっと旧宗主国スペインのあとに統治したアメリカの影響なのでしょう。
でも、日本に来るとフィリピン女性はみんな「マニラガール」(そんな言葉があるんだ)として一緒くたにされてしまうから困るとこぼしていました。

(中学の時に使用していたギデオン協会配布の新約聖書(左:新改訳)と讃美歌(右)。自分の聖書はとうに分解・消滅してしまい、友だちから譲り受けたものです。確か金の箔押しがしてあったのですが、剥げてしまいました。讃美歌の方は自分が使っていたものですが、破壊寸前です)


歳をとるにつれ、日本人の旦那さんは息子たちを留学させている温暖なフィリピンに移住したいと考えているのに対し、その奥さまは「あんな暑いところは嫌。最近は東京も暑いから、寒くて温泉があって食べ物の美味しい東北地方に住みたい」とあべこべのすれ違いをしているのでした。
自分は生まれ育った場所が一番かと思っていたのですが、そうでない人もいるのですね。
もちろん、英語は会話だろうが読書だろうが私なんか足元にも及ばないし、それだけできたらさぞかし世界は広がるだろうと申し上げたら、「フィリピンでは現地語(フィリピノ語=タガログ語)の本が少ないから、本を読んで勉強したければ英語をマスターするしかない。
その点、日本は日本語の本が揃っているから気にしなくてもいいじゃない」とのお答えに、なるほど、インテリなんだと納得するのでした。

(その時自主的に副読本としてこれを読んでいました。近年洗礼を受けた知り合いが持っているのを見かけ、今でも入門書なんだと感動しました)


たしかに、プロテスタント系の学校に通っていたとき、毎週聖書を読んでいるうちに興味が湧いて、中学の時に新約だけ、高校に入ってから旧約、新約聖書を通読しました。
よく理解できませんでしたけれどもね。
その頃は辞書などでただでさえ重くて横に膨らんでいる学生鞄に聖書まで詰め込んで、行き帰りの電車の中で赤ペン片手に線引きしながら熱心に読んでいましたよ。
その後も、プロテスタントの方々が聖書を肌身離さず持ち歩くのを見かけたことがあります。
プロテスタント教会も、礼拝の際には聖書が備え付けてあるか、入口に積んである教会が多い気がします。
その点、カトリックはA5判の小冊子(5ページ前後のもの)が配られ、その中にその日のミサで読む箇所が載っているだけです。
もちろん、日曜以外のミサのない日に聖書を持ち歩くなんて私はやりません。
聖書って旧約と新約が一緒になっている版は厚くて重いのです。
旧約はボリュームがありますから。
極力コンパクトな本を買うと、今度は字が小さくて読めません。
ブロンプトンの鞄に入れたら、それだけで1㎏弱は重くなると思います。
それでも、月に一度の聖書講座の日だけは旧約と新約が一緒になった大型本を持って通っています。

(当時はこんな本も読みましたね。ふざけた著者名とは裏腹に、真面目な比較文化論でした)


娘の学校(カトリック)の聖書講座で最初に言われたのは、(聖書は)自分勝手な読み方をしてはいけないということでした。
その時は予備校を利用しないで独学で試験に臨む程度のものかなと思ったのですが、後で考えると聖書を我田引水的に用いる人は、教会の内にも外にもいるし、聖書をテーマにした本の読書感想文を書いていた生徒時代の自己の稚拙さを思い出しても、「啓典」(神が人間に預託したことば)だけに、気軽に理解する本ではないのかなと、考えを改めました。
そして、カトリック教会に通うようになってからは、ミサで配られる小冊子の巻末に乗っている、「今週の聖書朗読」で毎日の朗読箇所を朝起きた直後か夜寝る前に読むようにしました。
そこにはミサと同じく、第一朗読、答唱詩編、アレルヤ唱、福音朗読が、ひとりでことばの典礼ができるように、日毎に示されています。
(日曜のミサとの違いは、答唱詩編のあとに第二朗読=パウロの書簡が無いことくらい)
平たくいえば、毎日祭儀と同じフォーマットで聖書を読むことによって、イエスの生涯を記念できるようになっているのです。
高校生の時に米国中西部のアイリッシュの農家にホームスティしたときは、私が来た手前教会へつれて行くという感じでしたから、カトリックの人たちがこんな風に聖書を読んでいると知ったのは、40代も終わる頃に洗礼志願をしてからのことでした。

(三浦綾子先生は「格調高い文語体聖書が好き」といっていたのですが、今読むと字が小さくて)


そんなある晩、第一朗読(旧約聖書)の箇所に「シラ」と示してあるのに気づきました。
はて?
過去に聖書を通読したのに思い当たる節がありません。
『「シラ」なんて知らへんで』と自らシラケたオヤジ駄洒落を呟いて、枕元にある聖書の目次を探しても、やはり見当たりません。
なんじゃこれ?と思ってネットで検索すると、「シラ書」とあります。
ああ、これ聖書外典(第二正典)かとその時になって合点がゆきました。
私がシラ書を「外典」と呼ぶのには理由があります。
ここで聖書ついてざっと説明してみます。
私の拙い知識ですから大雑把で駆け足なのはご容赦ください。

聖書というのは旧約と新約があるのはご存知だと思います。
旧約聖書には、ユダヤ人の歴史が記されています。
古代イスラエル人は、紀元前10世紀ごろに今のパレスチナで巨大な王国をつくりました。
その王国は南北に分裂した後、アッシリアやエジプトの占領を受け、紀元前6世紀に入った頃、新バビロニアとの戦に敗れて多くの国民がバビロニアへ強制的に移住させられます。(バビロニア捕囚)
エルサレムの神殿を破壊され、よその土地に幽閉されたユダヤ人たちは律法を守ることで民族としての結束を強め、この時期にキリスト教の母胎宗教であるユダヤ教が成立します。
第二次世界大戦のナチスによる絶滅政策のおかげで、ユダヤ人というと血統に基づく民族だと思われがちですが、正確には「ユダヤ教」を信じる人=ユダヤ人であり、出自がドイツだろうが日本であろうが、ユダヤ教の神、ヤハウェを信仰すればユダヤ人です。
しかし、ユダヤ教って昔も今もユダヤ民族宗教です。
日本にもシナゴークはありますけれど、キリスト教会のように関係ない人が気軽に入れる場所ではありません。

(ユダヤ教のラビが書いた本も読みました。なかなか読み応えがありました。2冊とも逆説的な題名です)


バビロン捕囚は60年で終了し、ユダヤ人たちはパレスチナに帰還するも、今度はローマ帝国の支配を受けます。
属州として反乱も起こしましたが鎮圧され、激しい弾圧にさらされたユダヤ民族は、その後第二次世界大戦の終了後にイスラエルが建国されるまで、ヨーロッパをはじめ世界の各地に離散します。
ローマ帝国の統治下におかれたユダヤ人は、紀元前4世紀ごろになると、有名なアレキサンドロス大王の東方遠征などもあって、今度はヘレニズム化(ギリシア文化の浸透)の波にさらされます。
またも自分たちの文化を守ろうとして書かれた文書のひとつが、シラ書です。
カトリックでは第二正典(続編とも)として旧約聖書に含まれ、プロテスタントでは正典として含めず外典として除外する(経緯は後述します)文章は複数あり、なかでもこのシラ書と知恵の書は、そんな時代背景からユダヤ人としてのアイデンティティを守るべく書かれた教訓集として有名です。

(聖書からの引用が多い英語の本を翻訳するために買った、和英対照聖書。家で2番目に思い聖書で、旧約部分は章立てを覚えていないから、インデックスがついています)


こんな状況ですから、ローマ帝国の軛から脱したいパレスチナのユダヤ人たちはいつか自分たちの中から救世主が出現し、この状況を打開してくれるという願望を持つようになりました。
そんなときに現れたのがイエス・キリストです。
彼は、自分は「神の子」であると言い、福音を告げ知らせるために父なる神から遣わされたと明言します。
イエスの生涯を綴った福音書の中では、政治的な思想家や革命家としての役割を彼に対して期待してイエスとすれ違う弟子たちの描写が何度も出てきます。
「先生、いまが立ち上がる時ですか」と聞く弟子たちに「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と教えるイエスの姿は、傍目には滑稽でさえあります。

(聖書の福音書以外にも、イエスの人物伝はたくさんあります)


当時のユダヤ教は613(無意味と覚えなさいとシスターから教わりました)もの律法があり、ラビ(ユダヤ教における宗教的指導者)でもとても全部を遵守できるものではありませんでした。
教条的なユダヤ教指導者に対し、イエス・キリストは「律法を守ることよりも大切なことがある」と論します。
とくに、ユダヤ人が忌み嫌っていた異教徒や外国人、彼等の中でも蔑視されていた取税人や売春婦に対し、対等の愛を注いで親しく交わります。
結局、戒律には厳格であるべしと主張するラビたちの嫉妬と怒りを買い、イエスはエルサレムにあるゴルゴダの丘で十字架に架かって処刑されるわけですが、墓に葬られて3日ののちに復活し、失意の弟子たちの前に現れて「全世界に行って、すべての造られたものに福音を述べ伝えなさい。」と命じます。
イエスが逮捕されたとき、逃亡したりイエスの知り合いであることを否認したりしていた弟子たちが、命を捨ててまで宣教をはじめるのは、この時からです。
つまり、復活したイエスの出現が、民族の宗教だったユダヤ教が、世界宗教としてのキリスト教に変貌した転換点でした。

(横浜海岸通教会=日本で最初のプロテスタント教会)


以上がユダヤ教からキリスト教が出てくるあらましです。
ちょっと長くなりましたので、次回には旧約聖書から新約聖書への流れと、なぜ外典(第二正典)という除外される文章が出たのか、それらは旧約聖書の中でどんな意味合いを持っているのかについて書きたいと思います。
(次回へ続く)