旧約聖書と新約聖書(その2) | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(山手ヘレン記念教会 ワシン坂上にあります。ローズホテル系の教会です。 )

 

(前回からの続き)
聖書に話を戻すと、イエス・キリストの登場以前に書かれたのが旧約、彼が磔刑で死んで復活した後に記述されたのが新約です。
前回説明したように、キリストの死と復活によって神と人との契約が新たになったということで旧約から新約になったわけですが、書き換わったというよりは古い約束の上に新しい約束がのっかったというイメージでしょうか。

もちろん旧訳に対しての新訳ではありません。
イエス・キリストは新しい宗教を立ち上げようとしたわけではなく、それまでの固陋になっていたユダヤの伝統宗教に風穴を開けて、旧約聖書で予言されていた約束を(人間が予想していたのとは違う意味と方法で)果たしにきて実現したという理解で良いかと思います。
成立年代は当然に旧約→新約で、旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシア語で書かれています。

新約がギリシャ語で書かれいているのは、当時のローマ帝国が版図とする地域では、ラテン語に加えてギリシャ語が共通の公用語としての地位を保っていたからで、この点も世界宗教たる所以です。

ちなみに、イエス自身はヘブライ語と同じセム語族には属するものの、アラム語(アラマイ語とも)と呼ばれる別の言葉を話していたというのが今日の定説です。

(一般的な旧約・新約聖書。しかし第二正典はついていません)


このうち旧約聖書はどのようにして成立したのか。

段階的で複雑であったことは間違いないものの原始仏教の経典と同じく、その過程はよくわかっていません。
ただ、イエス・キリストの登場する前の紀元前3世紀から同1世紀ごろまでに、エジプトのファラオの命令によってヘブライ語からギリシア語に翻訳された七十人訳聖書(ラテン語ではセプトゥアギンタ“Septuaginta”)という最古の翻訳聖書が既に存在し、それを、パウロをはじめとする初期のキリスト教徒たちはこれを日常的に使っていたといいます。
これに対し、キリストの死後60年ほど経過した1世紀の終わりに、ユダヤ教のファリサイ派(ユダヤ教の正統派=新約聖書では敵役な人たち)の会議によって確認された、マソラ本文と呼ばれるヘブライ語聖書テキストがあり、ここでは七十人訳聖書のうちの一部が、正典ではないとして除外されました。
それは七十人訳聖書の成立からキリスト出現直前までの間に著された、当時としては比較的新しい文書で、マソラ本文を定めた時点では内容に対する評価が分かれたり、原著がヘブライ語で書かれていなかったり、分からなかったりしたから除外されたものもあったといいます。


さらに時代がくだって386年から405年ごろにかけて、七十人訳聖書を底本に、ヒエロニムスによってラテン語に翻訳されたウルガータ(またはウルガタ“Vulgata”=共通訳)とよばれる旧約聖書が登場します。
ヒエロニムスは「告白」や「神の国」を著したヒッポのアウグスティヌスと同時代の司祭で、彼同様に「ラテンの教父」に数えられるカトリックの聖人であり、外国語翻訳を経験した自分としては大変興味深い人物なのですが、それはまたの機会に。
とにかく、ヒエロニムスの訳したラテン語のウルガータ聖書は、内容が明確で文体も流麗であったため、以降の西欧では広く用いられるようになりました。

(フランシスコ会訳の聖書 注釈がもっとも豊富な聖書です)


ところが、14世紀に入ってからローマ教会を改革しようという革新運動があらわれ、そのうねりは1517年のマルティン・ルターによる95か条の論題によって起爆を迎えます。(宗教改革)
これがきっかけとなって、ローマ・カトリック教会における教皇の世俗化や聖職者の堕落への批判と結びついて、プロテスタント(ラテン語のプロテスターリー“prōtestārī”=「抗議」が語源)が分離したのは周知のとおりです。
プロテスタントを旧教に対する「新教」と呼ぶことで誤解されがちですが、ルターをはじめ、宗教改革を主導した人たちは、「キリストの昔に立ち返れ」という復古運動を起こしました。
それは教会における権威の所在は「聖書のみにある」とする福音主義を中核にしていました。
当然に彼はギリシア語訳である七十人訳聖書やラテン語訳であるウルガータ版聖書からではなく、旧約聖書をヘブライ語で書かれた原書からドイツ語に訳しました。
そこで前述の通り、七十人訳聖書や、当然にそれをラテン語訳したウルガータ版聖書には含まれているのに、マソラ本文からは除外されている文書が複数存在するのに気づきました。


同じころ、ルター等の宗教改革運動に対抗するように、1545年からはじまったトリエント公会議においては、ウルガータ版のラテン語聖書をローマ・カトリック教会の公式聖書とすることが定められました。
ここで、プロテスタントのルター訳聖書においては、ユダヤ教が正典とした旧約聖書部分だけを翻訳する一方、除外した一部を同じように排除しました。

これが、第二正典(続編)がプロテスタントにおいては外典として除外された経緯です。
カトリックにもプロテスタントにもそれぞれの言い分はあるのでしょうが、文章はその内容を差し置いて後世の権力闘争に利用されてしまう顕著な例だと思います。
そんな歴史を中高生が知る由もないですから、プロテスタントの聖書を読んできた私にはシラ書など「しらへん」なのです。

(なお、旧約聖書だけでなく新約聖書の中にも、東方教会、ローマ・カトリック教会それぞれの内部で、外典として除外した文書が存在します)

さて、私は困りました。

家に複数ある聖書は、みな第二正典(外典)はついていません。

携帯しようにも、当時できたばかりの聖書アプリにも入っていません。
今から同じ新共同訳の「続編つき」(聖書協会では外典のことをこう呼び、カトリック教会では「第二正典」と呼びます)買うのは高いし、殆どは内容が重複してしまいます。
ネットで調べると、講談社文芸文庫で「旧約聖書外典」(上下2巻・関根正雄 新見宏編)が存在することを知りました。
これなら安く入手できると思ったのは早とちりで、1999年の出版で既に絶版となっています。
ネットで「日本の古本屋」を検索しても、全然見つかりません。
そんなとき、横浜のプロテスタント系キリスト教書店に立ち寄って本棚をぼんやり眺めていたら、講談社文芸文庫の新本があるじゃないですか。
会計に持ってゆくと、「この本、なかなかいいですよ」とおじさんが仰います。
自分がカトリックである旨を告白しないまま、「よく在庫が残っていましたね」と言うと、「流通在庫ですよ」と意味深に笑ってらっしゃいました。

(紅葉坂の下にある横浜キリスト教書店 たまに寄ります)


ところが、帰宅して読んでみると、これは全訳ではなく抄訳(一部だけの訳)です。
ああ、それで「訳」ではなく「編」なんだ。
プロテスタントではこれらの文章を、ユダヤ教徒も正典としなかった、初期キリスト教とも然り、内容に矛盾がある、よって「神の言葉」ではないとして、外典と呼んで正典とは区別しています。
しかし、当時から除外されていたのが事実かどうかは、その理由も含めて議論のあるところですし、正典とされている聖書の中にも矛盾点や論争はは今でもあります。
さらに、カトリックの教理、すなわちカテキズムを正当化するためにこれらを正典に含めていると非難するのは、文書全体を指すには無理がある気がします。
だって教理とは何の関係もない部分が殆どですから。
私が今現在カトリックであるかどうかに関係なく、また誰によって書かれたか、何によってその文書に権威付けされたかではなく、文章そのものを読んで読み手がどう感じるかの方が重要だと思います。

(このように「続編つき」とある聖書が第二正典を含んでいます)


そんなわけで、結局「第二正典」を含む聖書を買い直しました。
シラ書は別名を著者の名前から「ベン・シラの知恵」とか「集会の書」といいます。
前回説明した通り、ユダヤ人が民族としての矜持を維持するための教訓の書です。
2000年以上前の文書ですが、今を生きる私たちの心に響く教訓もたくさんあります。
以下は「富についての心得」(31章)として後半に出てくる節の新共同訳です。

『夜も寝ないで富を蓄えれば体はやせ衰え、その富が心配で眠れなくなる。
夜通し続く心配で、うたた寝さえもできない。
重病が眠りを妨げるのと同じである。
金持ちは労苦して財産を蓄え、仕事を休んでぜいたくな生活を楽しむ。
貧しい者は労苦しても、生きるのが精一杯で、手を休めるとたちまち生活に困る。
黄金を愛する者は正しい者にはなれず、金銭を追い求める者は金銭で道を踏み外す。
黄金がもとで多くの者が身を滅ぼした。
彼らは滅亡と顔を突き合わせていたのだ。
黄金は、それに夢中になる者には罠となり、愚か者は皆、そこにはまり込んでしまう。
清廉潔白な金持ちは幸いである。
黄金を追いかけなかったから。
そういう人がいたら彼に祝意を表そう。
民の間で驚嘆すべきことを行ったのだから。
黄金の誘惑に打ち勝ち、申し分のない生き方をした者はだれか。
彼こそは大いに誇ってよい。
法を犯しえたのに犯さず、悪事を行いえたのに、行わなかった人はだれか。
その人の財産は揺るぎないものとなり、会衆は彼の施しを数え上げ、たたえるであろう。』

(旧約聖書 第二正典 シラ書 31章 新共同訳)

(講談社学術文庫の新約聖書 注釈が豊富なため、新約だけでこの厚さになっています)


富を蓄えることだけを第一義とした人生が、どれほど空しく破滅的であるかをよくあらわしていると思います。

私は仏教の経典だろうが、キリスト教の聖書だろうが、宗教書を読む要諦(=肝心なところ)は「我が身に置き換えて、つまり自分のこととして受け取れるかどうか」にかかっていると思います。

バブルの時代を経て、政治家から庶民まで、上手に金儲けすることだけが正義であり勝ち組になる秘訣だみたいな現代の風潮の中で、上のような文章を読んでも『人々に施しをする清廉潔白な人間が、金持ちでいられるはずかない』と信じているなら、とても我が事のようには考えられないでしょう。

私はどうしても、「経済的な豊かさ=人間性の豊かさ」だと信じていた過去の自分を思い出して、心を痛めます。

しかしその痛みが、自分を成長させる糧なのだから、神に助けを求めながら、受けとめようとうという気になるのです。

本当のお金持ちとは、お金があるかないかではなく、お金を他者のために使う術を知っているか知らないか、使った経験があるかないかなのだと思います。

(カトリック北仙台教会)
さらに第二正典を読んでいると、旧約聖書と新約聖書のつなぎ目を橋渡しして、両書の結びつきを強める大事な節のように自分には思えてきました。
正典に含めるとか含めないとか、そんなことは置いておき、やはり聖書は読んでこそ面白いなと感じます。

他の本の中に引用されている部分があったら、面倒くさくても一つひとつあたりたいですし、おととしの暮れに聖書協会の共同訳聖書が出ていて、そちらは引照(聖書の中での関連個所の引用)も豊富みたいだから、ぜひとも続編(第二正典)つきを入手したくなりました。

そしてユダヤ人の歴史について、もう少し掘り下げて本を読んでみたいと思うのでした。

最後になりましたが、自転車カテゴリーなのに聖書のことばかり長々と書いてブロンプトンは関係ないでしょとお叱りを受けそうです。

いやいや、そんなことありません。

イギリスへ旅行したり、英国文学に親しむのに聖書を読んでおくのは必須だとかそれ以前に、Bromptonという自転車そのものがキリスト教文化圏で誕生した自転車です。

ブロンプトン・バイシクルの名前は、生みの親であるA・リッチーさんがこの自転車を設計、製作していたアパートの窓から、ブロンプトン・オラトリー(ロンドンではウエストミンスター寺院に次ぐ大聖堂)が見えていたことによります。

ブロンプトン・オラトリーは観光ガイドブックには出てきませんが、「威風堂々」の作曲者であるエルガーや映画監督のヒッチコックが結婚式をあげた由緒正しきカットリック聖堂で、今でも毎週日曜日のミサはローマの古式に則って、英語ではなくラテン語で行われています。

つまり、ロンドンでありながらアングリカン(英国国教会)ではなく、カトリック大聖堂に見守られながらこの自転車は誕生したことになります。

イギリスにおけるカトリックの関係は、北アイルランド問題を例に出すまでもなく、今のブレグジットの原因となった移民問題のひな形みたいな影を現代に落としていて、日本の切支丹とは違った意味で差別・弾圧の歴史なのです。

彼等の中で芽生えた、自分たちとは違う宗派を尊重するアングロ・カトリシズムは、様々な宗教が混在する日本において、宗教・宗派間の対話や和解の参考になると、本を読んでいると感じます。

リッチーさんの心情までは分かりませんが、この聖堂の壁には、上記主義の中で教会と信徒の対等性を主張した、ジョン・ヘンリー・ニューマン(1801-1890)の像があることや、日本で自分の通う教会の神父さまが他宗教に寛容で、且つブロンプトンを愛用していることも含め、乗っていると癒されるこの折りたたみ自転車を通してイエス・キリストとの結びつきを感じています。

ブログを読んでくださっている方々には分かってもらえると信じていますが、「聖書」=ハイカラで博愛主義だから読んでいるわけではない(実際に聖書には残酷な話や破廉恥な話も出てきます)ように、英国=貴族趣味だからカッコつけてブロンプトンに乗っているわけではないのです。(おわり)