先週、イギリスの大女優、マギー・スミスさんが89歳で亡くなったというニュースが、ソーシャルメディアに飛び込んできた。もうかなり高齢ということも知っていたので、その時は、いつかはやってくる・・と思っていたが、お亡くなりになって、とても残念で哀しい。
彼女が出演した作品を最後に観たのは、確か2年前の2022年、映画版の『ダウントン・アビー/新たなる時代へ』だったと思う(・・・と調べていたら、なんと映画版ダウントン・アビーの第3弾が来年9月に公開されるらしい!)。マギー・スミスさん、ここ20年くらいは映画『ハリー・ポッター』シリーズやドラマの『ダウントン・アビー』のレギュラー出演で欠かさず観ていたので、非常に親しみのある顔だった。2年前の映画版ダウントン・アビーでは、9月に英国の女王が逝去した後に観たため、ドラマの中でもマギー・スミスさん演じるグラニーのヴァイオレットが亡くなるのにショックを受けた思い出がある。人には寿命がある、命の灯がやがては消えるものだとわかっていても、ずっと長生きしてもらいたいと、無茶なことを願ってしまうものだ。そういえば、映画『ラベンダーの咲く庭で』でジュディ・デンチさんと老姉妹を共演していたけれども、あの時だって、自分からしたら、だいぶ高齢と思っていたけれど、あれから20年くらいずっと絶え間なくお仕事されていたと思うと、あらためて素晴らしい女優さんだったのだなと思った。
そんなお馴染みの顔だったスミス氏が出演している作品で、気になっていたけれどまだ未視聴だった『ミス・シェパードをお手本に』を観た。
これはイギリスの劇作家、アラン・ベネットが体験した実話に基づく舞台劇の映画版だそう。ベネットの住まいがあるカムデン地区の一角に、バン(ワゴン車)を住み家にしている変わり者の頑固な老女が流れ着き、アラン・ベネット(本人)とその老女との奇妙な交流を描いたストーリーである。
舞台劇で老女を演じたマギー・スミスとアラン・ベネット役アレックス・ジェニングスが同じ配役で、この映画でも演じている。監督はニコラス・ハイトナー。
時代は1970年、ロンドンのカムデン地区の芸術家や富裕層が住む地域にある劇作家のアラン・ベネットが住まいがある。その通りに、マギー・スミス演じる「ミス・シェパード」が古いバンを停めてそこで生活している。周囲の住人は、気にはしながらも追い払うわけでもなく、遠くから見守っている様子。彼らの会話の中には、画家のシッカートが出てきたり、作曲家ヴォーン・ウィリアムズの妻も登場する。ある夜、ミス・シェパードが車を停めて休んでいると、通りがかりの若者がバンを叩いて老女を怖がらせているのを見かねたベネットは、自分の家の空いている敷地内に車を停めるよう提案し、そこから、ベネットとミス・シェパードの交流がはじまる。
ベネットは、遠くに住む高齢の母親の元を時折尋ねるが、あまり関係が良くない様子。そのせいかわからないが、他人ではあるがすぐ近くにいる高齢のミス・シェパードのことが気になる。自分の仕事の良いネタになるという興味本位で接しているのか?それとも隣人を愛する思いやりからか?ベネット自身のなかの仕事人と生活者という二つの人格が議論を始めたりする。徐々にミス・シェパードの過去の体験が明らかになっていく。それは、冒頭のシーンで、第二次大戦中に軍で彼女が救急車の運転手をしていて、事故で人を死なせてしまったと思った体験や、音楽の道を志すが、修道院でピアノを弾くのを禁じられた体験など、苦しい思い出がフラッシュバックするのだった。
ミス・シェパードがバンで生活していたのは10数年に及んだそうで、映画ではソーシャルワーカーが時折様子を見に来たり、最後の方では、高齢者のデイサービスでお風呂に入ったりして、なんだか頑固な性格もちょっと素直になってきて、同時に、徐々に体の自由もきかなくなってくる様子を見ていたら、老いと言うものがなんだか胸に迫ってきた。こういう作品、10年前、20年前に観たらまた感想は違ったかもしれないが、歳を重ね、自分もそういう状態に確実に近づいていると思うと、まぁ、いろいろと考えさせられるが、最後のシーンで、Last Laughという言葉が出て来たのが印象的だった。そういえば、昔そんなタイトルの二人芝居(マーティン・フリーマンが出ていた)を東京で観たのを思い出したり、Travisの曲のタイトルを思い出したり(Tha Last Laugh of the Laughter)、その意味は、最後に笑った者が勝ち、と言う感じだけど、人生の最後に、やりたいようにやってきてよかった!と笑えるのが一番なのかと思った。
晩年まで素晴らしい演技と存在感で女優の仕事を貫いたマギー・スミスさんのご冥福をお祈りする。