奈良時代の仏教
朝廷の支持を得て、次々と寺院が建立されます。
聖武天皇は東大寺や各地に国分寺を建てます。
大仏のある東大寺は仏教国家の中心となります。
密教の力で除災や国家安泰が祈願され、
国家統制のために仏教が用いられます。
奈良時代の仏教
朝廷の支持を得て、次々と寺院が建立されます。
聖武天皇は東大寺や各地に国分寺を建てます。
大仏のある東大寺は仏教国家の中心となります。
密教の力で除災や国家安泰が祈願され、
国家統制のために仏教が用いられます。
飛鳥時代の仏教
6世紀後半から7世紀後半
蘇我氏が寺を建てると他の地方の豪族も
これに倣って建て始めます。
百済から僧侶のほかに技術者が日本に来て
飛鳥仏教の花が開きます。
聖徳太子は推古天皇の摂政として
仏教を擁護した政策をとります。
仏教思想を基盤とした政策には、
冠位十二階、十七条憲法、遣隋使の派遣
などがあり、法隆寺や四天王寺を建立して
普及活動に努めました。
「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏と法と僧なり」
この十七条憲法の中に太子の思想があります。
国家により公に仏教を広めることとなります。
これにより飛鳥仏教が結実しました。
日本への仏教伝来
538年に百済の聖明王の使者が仏像や仏具・
経典を持ってきて日本に仏教が伝わりました。
それ以前から他の先端技術と一緒に
考え方は伝わっていました。
八百万の神を崇拝していたので欽明天皇は
受け入れて良いかを臣下に問いました。
仏教を支持する蘇我氏と神々の怒りを恐れる
物部氏との抗争の末、蘇我氏が勝利。
崇拝が許されますが疫病が発生し
造った寺や仏像が川に流されます。
その後また疫病が流行り逆に非難が集中。
蘇我馬子に仏教の信仰が許可されます。
天皇の後継者争いで再び抗争の後、
推古天皇を擁護した蘇我氏が勝利し政権掌握。
仏教は日本の根本思想となりました。