最澄の天台宗
804年、空海が遣唐使の第一船で、最澄が第二船
で、唐の都長安へと向かいました。
最澄は比叡山に12年こもり、大乗仏教の「法華経」
を学びました。
唐に赴いた最澄は天台・密教・禅・戒律を学び、
帰国後は日本天台宗を興しました。
大乗の戒を比叡山で受戒できるよう朝廷に申請
しましたが、死後に許されました。
以降、延暦寺は多くの高僧と鎌倉仏教の宗祖を
排出しました。
CTU大人塾 はこちらから。
最澄の天台宗
804年、空海が遣唐使の第一船で、最澄が第二船
で、唐の都長安へと向かいました。
最澄は比叡山に12年こもり、大乗仏教の「法華経」
を学びました。
唐に赴いた最澄は天台・密教・禅・戒律を学び、
帰国後は日本天台宗を興しました。
大乗の戒を比叡山で受戒できるよう朝廷に申請
しましたが、死後に許されました。
以降、延暦寺は多くの高僧と鎌倉仏教の宗祖を
排出しました。
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最澄と空海
仏教は奈良時代に政治と結びつき
次第に腐敗堕落していきます。
桓武天皇は平安京に遷都して
奈良のお寺から政治を離します。
そして最澄が天台宗を、空海が真言宗を
開き、護国仏教に代わる新しい宗派を
生み出しました。
南都六宗
8世紀の奈良の都に六つの宗派があり、
これを、南都六宗と言います。
初期に力を持ったのが倶舎(くしゃ)宗と
成実(じょうじつ)宗でした。
法隆寺や興福寺の法相(ほうそう)宗や
三論(さんろん)宗は学問仏教でした。
律(りつ)宗を伝えた唐の僧・鑑真(がんじん)は
朝廷の擁護を受け唐招提寺(とうしょうだいじ)の
大僧正となりました。
唐の僧・道璿(どうせん)は華厳(けごん)宗を伝え、
聖武天皇により皇室宗教の地位を獲得。
また、法相宗の僧・行基(ぎょうき)は各地の民衆に
仏教を伝え日本人初の大僧正となります。