こんにちは
理念浸透コンサルタントの松本です。
先日、ある番組で2名の著名人が
「多様性」について語り合う企画がありました。
その中で、特に印象に残った言葉があります。
「発信者には多様性への配慮が求められる一方で、
受信者にも多様性を受け止める寛容さが必要ではないか」
という指摘です。
多様性とは、一般的に
「性別・人種・国籍・文化・宗教・価値観・
障がいの有無・性的指向など、
さまざまな違いを受け入れ、尊重し合うこと」
とされています。
この考え方自体は、とても重要なものです。
ただ一方で、
「行き過ぎているのではないか」と
感じる場面はないでしょうか。
たとえば、ある企業では
「3年後までに女性管理職を○○人にする」
といった目標を掲げています。
もちろん意義のある取り組みですが、
運用次第では別の問題を生む可能性もあります。
女性管理職の比率を優先するあまり、
本来評価されるべき人材が見送られてしまう。
あるいは、「実力主義」を掲げているにもかかわらず、
属性が優先されていると感じられれば、
現場に不満が生じることもあるでしょう。
本来は、属性ではなく、
成果やパフォーマンスを軸に評価されたい。
そう考える人も多いはずです。
また、「ダイバーシティ採用」という名のもとに、
特定の属性を優先する採用が続けば、
組織の一貫した方針に揺らぎが生じる可能性もあります。
多様性が“手段”ではなく“目的”になってしまったとき、
それは本来の趣旨から外れてしまうのではないでしょうか。
さらに近年は、
発信者側に対する配慮の要求も高まっています。
あらゆるバックグラウンドを持つ人に配慮して発言する。
確かに大切な姿勢です。
しかし、
「この表現は誰かを傷つけるのではないか」
「この言い方は不適切ではないか」
と過度に意識しすぎると、
発信そのものが難しくなってしまう側面もあります。
例えば、
・「嫁」ではなく「妻」
・「外国人」ではなく「海外出身の方」
・「高齢者」ではなく「シニアの方」
・「片親」ではなく「ひとり親」
確かに、より配慮された表現ではあります。
ただ、すべてを常に正確に言い換え続けることは、
現実的には簡単ではありません。
だからこそ重要なのが、
受信者側の姿勢ではないでしょうか。
言葉の一部だけを切り取るのではなく、
「何を伝えたかったのか」を文脈から汲み取る。
意図に悪意がないのであれば、
過度に否定するのではなく、
柔軟に受け取る。
そうした姿勢もまた、
多様性の一つだと思います。
行き過ぎた多様性。
目的化してしまった多様性。
それらは一度立ち止まり、
本来の意義に立ち返る必要があるのかもしれません。
そしてこれからは、
発信者だけでなく、受信者にも多様性が求められる時代。
その両方が揃ってこそ、
健全なコミュニケーションが成り立つのではないでしょうか。
こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
先日、ある経営者の日常に密着した
ドキュメンタリー番組を、たまたま目にしました。
その経営者Lさんは、
月に1回ほど店舗を訪れ、
「あそこができていない。これもできていない」
と、次々に指摘をしていました。
滞在時間は、おそらく1〜2時間ほど。
指摘を受けた店長は、目線を落とし、うつむいたまま。
周囲のスタッフの中には、
どこか不満そうな表情の人も見受けられました。
この光景を見たとき、
サラリーマン時代の自分を思い出しました。
当時、経営層やエリアマネージャーが不定期に店舗を訪れ、
そのたびにダメ出しの嵐。
正直なところ、
「自分たちのために言ってくれている」とは、
なかなか思えませんでした。
「一事が万事と言われるのも分かる。
でも、たった10分、15分見ただけで
なぜそこまで言えるのか?」
そんな反発心を抱いたこともあります。
現場では、上から見えないところで、
日々工夫や改善を積み重ねています。
それなのに、
「短時間しか見ていない人に、何が分かるのか」
「分かったつもりでの指摘やアドバイスはいらない」
そう感じてしまうのも、無理はないと思います。
そして今、私は
経営者・エリアマネージャーの立場になりました。
だからこそ、強く意識していることがあります。
現場を訪れたとき、
“自分がされて嫌だった関わり方はしない”。
短時間で見えることは、ほんの一部にすぎない。
だからこそ、指摘よりもまず理解を。
その姿勢を忘れずにいたいと、改めて感じました。
こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
仕事を選ぶとき。
会社を選ぶとき。
「やりがい」と「お金」、どちらを優先するか。
これについては、さまざまな意見があります。
以前、ある経営者の方がこんな話をしていました。
「うちの会社は給料は決して高くありません。
でも、やりがいのある仕事ばかりです。
多くの人に喜んでいただける仕事ですし、
社会にも貢献している仕事です。」
とても誇らしげに語っていました。
一方で、少し意地悪な見方をすれば、
「給料が低いという不満を、
やりがいという満足で補っている」
とも受け取ることができます。
やりがいによって心が満たされることはある。
しかし、やりがいだけで生活することはできません。
もちろん、仕事にやりがいがあることは大切です。
ただ、やりがいがあるからといって、
給料を上げていく努力を諦めてはいけないと思います。
そもそも「やりがい」というものは、
個人の感じ方による部分が大きいものです。
同じ職場環境であっても、
ある人はやりがいを感じ、
別の人はそう感じないこともあります。
また、現実的な問題として、
独身の立場と、家族や子どもを養う立場とでは
お金の重みも大きく変わります。
「やりがいがあるから給料は低くてもいい」
という結論には、なかなかならないでしょう。
どんなに好きな仕事でも、
どんなにやりたい仕事でも、
経済的な土台がなければ長く続けることは難しいものです。
「人を大切にする経営」を掲げる会社があります。
私自身、その考え方には共感する点が多くあります。
ただ一方で、
「人を大切にする」=「やりがいを提供すること」
という思考になってしまっている経営者も
少なくないように感じます。
やりがい“さえ”提供できればよい、
と考えるのではなく、
「どうすれば給料も高めていけるか」
ここまで含めて考えることが大切ではないでしょうか。
やりがいと報酬。
その両方を追求していくこと。
それが、人が成長し、
人が定着し、
組織が安定していく経営につながるのだと思います。
こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
先日、二代目経営者のA社長と話していたときのことです。
先代社長は、毎月の給与日に社員一人ひとりへ
給与明細を手渡ししていたそうです。
その際、必ず一言ずつ声をかけていたとのこと。
さらに月に一度、短い時間ではあるものの、
社員との個別面談も行っていたそうです。
A社長も事業承継をした当初は、
先代のやり方をそのまま引き継いでいました。
しかし、社員数が100名を超えたあたりから、
時間的な制約もあり、
同じ方法を続けることが難しくなりました。
そこで現在は、
管理職との面談の機会を中心に設け、
その他の社員とのコミュニケーションは
管理職や監督職に任せる形に変えたそうです。
それまでは社長が直接、
社員一人ひとりと話す機会が定期的にありました。
それがなくなったことで、
社内ではさまざまな声も出たと言います。
トップ自らが現場の社員との会話を大切にする。
これは一見、とても良いことのように思えます。
しかし実際には、
メリットだけでなくデメリットもあるようです。
たとえば、トップと現場の距離が近すぎると、
中間管理職を飛び越えて
直接話が進んでしまうことがあります。
そうなると、中間管理職の役割が弱くなってしまう。
少しでも上司に不満があれば、
トップに直接訴えるという構図も生まれやすくなります。
また、部下が自分を通さず社長と直接話し込むような状況は、
中間管理職にとって決して気持ちの良いものではありません。
結果として、組織内の関係が悪化してしまう可能性もあります。
さらに、社長と親しく話せる一部の社員の中には、
「自分は社長と特別に近い存在だ」と
勘違いしてしまう人が出てくることもあります。
周囲から見れば、
「あの人は社長に気に入られている人」
「あの人はそうではない人」
といったラベリングが
生まれてしまうこともあるでしょう。
経営者と現場の距離が近いことは、
確かに大きなメリットがあります。
しかし同時に、組織運営の観点から見ると
デメリットも生まれやすい。
だからこそ、
どちらの側面も理解したうえで、
自社にとって最適な距離感を
選んでいくことが大切ですね。
こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
先日、経営者コミュニティのメンバーと食事をしていたとき、
こんな話題になりました。
「Aさんは地域課題への問題意識も高いし、人を惹きつける魅力もある。
政治家を目指してみたらどうですか?」
するとAさんはこう答えました。
「いやいや、勘弁してくださいよ。私なんて叩けば埃だらけです(笑)。
仮に運よく政治家になれても、1週間で辞めることになりますよ。」
さて、皆さんはどうでしょうか。
叩いても叩いても、少しの埃も出てこない――
そんな自信はありますか?
5年前、10年前までさかのぼったら。
あるいは小さな出来事まで含めたら。
何かしら指摘されることの一つや二つ、
誰にでもあるのではないでしょうか。
政治家は「国を導くリーダー」として、
高い倫理観や模範性を求められます。
経営者もまた「組織を導くリーダー」として、
同じように姿勢や在り方が問われます。
徳や学識に優れ、
私欲なく正しく生きる人物を「聖人君子」といいます。
私心がなく、
不正のない状態を「清廉潔白」といいます。
私たちは、リーダーにそのレベルを求めすぎてはいないでしょうか。
「聖人君子」であり、「清廉潔白」であることを。
しかし現実には、そんな完璧な人がどれほどいるでしょう。
女性問題や少額のお金の問題など、
一般人であれば大きく取り上げられないことも、
立場が上がれば一気に糾弾の対象になります。
さらに、考え方が少し違うだけで、
人格そのものまで否定されることさえあります。
けれども、100%考えが一致するリーダーなど存在しません。
共感できる部分もあれば、違和感を覚える部分もある。
本来、それが自然な姿のはずです。
「聖人君子」はいない。
「清廉潔白」も幻想かもしれない。
考え方も人それぞれ違う。
それでも、あなたから見て“70%納得できる”なら、
それは十分に信頼に値するリーダーではないでしょうか。
100%を求める社会よりも、
70%を認め合える社会のほうが、
現実的で、調和が生まれる。
私は、そう思います。