こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
大企業だけでなく、中小企業でも積極的に
新卒採用をされている企業もあります。
新卒採用をして1年以内で辞めてしまうのは、
お互いに不幸。
できればこういったケースを避けたいですね。
企業側ができる定着率をあげる手段として、
新卒社員の周囲の方と関係性を築くという
中小企業が増えてきました。
例えばエステ系A社では女性比率が9割の会社。
男性社長がご両親のもとに行き、
入社前に家庭訪問をし、
どのような会社なのかを説明していきます。
そして
「娘さんを近くで見ていて、
何か心配なことがあれば、
遠慮なく相談してほしい」
と伝え、安心感を提供しています。
本当に当人に元気がない時は、
社長に相談の連絡が入るそうです。
メーカーB社。
大卒だけでなく高卒も数名採用。
この企業はファミリデーと称して
家族向けに会社見学を定期的に開催しています。
仕事場を見てもらいたいという意図かと思います。
家族参加のバーベキュー等も定期開催。
20歳未満の新卒者であれば、
懇親会にてアルコールの飲酒は絶対にしない等、
事前に丁寧な案内をしているそうです。
あいにく新卒社員が作業中に
ケガをしてしまったことがあった。
会社の管理不行き届きが原因であると
ご両親に怒鳴られると思いきや
「うちの息子がバカなことをしまして
ご迷惑をかけて申し訳ございません。
クビにはならないでしょうか?」
と謝罪に来られたそうです。
自宅では素直な自分の気持ちを話す。
働いていれば、
「仕事を辞めたい」
と弱音を吐く機会も必ずあるでしょう。
そういった時に、
ご家族の方が会社の良き理解者になっていれば、
心強いですね。
「あんないい会社、他にあると思う?
これからもなかなか出逢えない。
それはあなたが良く分かっているはず。
もう少しだけ頑張ってみたら?」
こんなフォローにしてくれた家族もいるそうです。
「家族のファン化」
こんなテーマを掲げる企業が
増えてくるかもしれません。
こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
十方よし.TV 7月号のゲストは
大黒屋の室井会長。
創業1551年から続く老舗旅館。
ただし一般的な旅館とは一線を引き、
アートスタイル経営を軸においています。
現代美術家である菅木志雄氏の協力の元、
「天の点景」という作品を庭に作ります。
また菅氏に空海の思想を表現してほしいと
依頼をし、「風の耕路」というものを作りました。
空海の思想とは、
6大「火・水・地・風・空・識」のこと。
これらの要素が感じられる場になっています。
庭には薪から煙が上り、
この煙から「風」を感じてもらいたい。
五感を使って大黒屋を味わってもらうためだと。
何とも居心地のよい空間でした。
館内にはアート作品が並び、
定期的に展示会も開かれています。
アートスタイル経営になってから、
来られるお客様の層が変わったといいます。
二人部屋の広さを一人部屋として使える部屋も用意し、
数日、一人で滞在されて帰る方もいるそうです。
本来は二人部屋にした方が収益性はよいのですが、
あえて一人で来られるお客様にも気兼ねなく
利用してほしいという願い。
時間軸で捉えて、投資対効果を考えてほしいと
銀行へ説得されたようです。
大黒屋の現地に行くまでは、
「美術作品が館内に並んでおり、
美的センスに拘っている旅館」
と思っていました。
しかし根本的な発想がそもそも違いました。
思想哲学を美で表現する。
旅館に並ぶ作品にもメッセージがあり、
長い時間と高額な費用をかけて作った庭園にも
哲学が詰まっています。
哲学を表現する場が旅館だったのです。
室井会長が
「経営とは哲学である」
と言っていた意味が現地をみて分かりました。
同業者の視察者も多いそうですが、
おそらく同じようなことを思うでしょう。
美術作品を単に集めて旅館内に並べることが
アートスタイル経営ではないと。
今までにない新感覚の旅館でした。
根強いファン(リピーター73%)がいるのも納得です。
那須塩原方面に行かれた時は、
ぜひ大黒屋に泊まり、
居心地の良い感覚を味わってみてください。
こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
7月20日は参院選の投票結果。
興味深い結果となりましたね。
さて今回は演説をしている政治家や
メディアに出てくるコメンテーター、
彼・彼女らのコメントについて違和感があります。
少しでも尖ったことを言うと、
一部の世論がピックアップされ、
あたかも多数が言っているように印象操作される。
政治家や著名人に、
「もっと配慮した発言をするべき」
と最もらしい纏め方をするアナウンサー。
どこのコメントを
どのように切り取られるかが分からない。
360度配慮をするコメントが正解らしいです。
360度配慮したコメントって…、
何も主張していないと一緒ですよね。
何を言いたいのかが分かりません。
誤解を恐れずに言うならば、
誰かの心に刺さるコメントとは、
360度配慮からは生まれない。
一部の誰かには不快であっても、
一部の誰かには心の奥底に刺さる。
それでいいし、
それが面白いと思うんです。
しかしオールドメディアで
発言を求められる人は、
世の中に「忖度」したコメントばかり。
公共のメディアに相応しい=
無色透明な意見。
不快なことは言わないことに注力し、
面白いと思えることも言えない
個性的な一面が全く見られない。
これはテレビを見なくなる理由の1つですよね。
企業経営ではダイバーシティの重要性が
言われている。
でもメディアには本当の意味で
多様性はあるのでしょうか?
多様な意見に見えて、
枠からはみ出ない様に
調整されているように見えます。
極端な人、はみ出た人は、
公共のメディアのコメンテーターにも
政治家にもどうやら適さないようです。
放送事故等がもっとあれば
テレビを見る人も増えそうです。
こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
『トヨタに学ぶカイゼンのヒント71』という書籍の中に、
「事務系職場における7つのムダ」というものが
紹介されています。
以下、引用します。
1.会議のムダ
「決まらない会議」「決めない人も出る会議」を
開催していないか
2.根回しのムダ
自分の安心のために、全員事前周りをしていないか。
3.資料のムダ
報告のためだけに資料を作っていないか。
A4・A3 1枚以上の資料を作っていないか
4.調整のムダ
実務で調整していても進まない案件を、
頑張って調整しようとしていないか。
5.上司のプライドのムダ
自分に報告がなかっただけで自分は聞いていないと
言っていないか。上司がこれを言うと、
根回しと資料のムダが発生する
6.マンネリのムダ
今までやっているからという理由だけで、
続けている業務はないか
7.ごっこのムダ
事前に練ってシャンシャン会議になっていないか。
決めようとせずその周辺ばかりつつくことで、
議論した気になっていないか。
社内で上記のようなムダを見たことはありますか?
A社の課長がぼやいていました。
「今日は1日中、会議なんで時間が取れません」
会議だけで1日が終わるというスケジュール。
会議に出席することが仕事になっている方もいますね。
たいした議論をするわけでもなく、
出席だけしているならば、
そこにただ座っている意味があるのでしょうか?
また大して提案の熱量もないのに、
部下に不必要な資料を作らせる上司もいます。
部下は資料を作るのが仕事、
上司は資料作成の指示を出すのが仕事。
一瞬で目を通して捨てられる資料に
何時間も費やしていたら、
部下がかわいそうですね。
A4 1枚というのは極端な例かもしれませんが、
それだけシンプルに趣旨が明確であるということです。
もっと社内業務の効率や生産性を
上げようと号令をかけているA社。
生産性のない会議をし、
生産性の低い資料を部下に作らせているのが
A社の管理職でした。
とっても滑稽な現象ですね。
7つの無駄を参考にしてみてください。
こんにちは。
理念浸透コンサルタントの松本です。
先日、品川区内の子ども食堂が集まる
イベントに参加してきました。
運営主体は、NPOでされている方もいれば
個人ボランティアでされている方もいる。
彼・彼女らの共通している叫びは、
「国は余計なことをするな」
といったもの。
「こども食堂」の名付け親で、
13年前から東京都大田区で活動された近藤さん。
子ども食堂から一線を引く決意をされたとのこと。
「こども食堂は子どもの貧困解消に役立つ、良いことだ」
というイメージが広がった。
月に何回か食事を提供しても、米を数キロ渡しても、
子どもの貧困は何も変わらない。
自分が始めた意図と違う方向に歩み出してしまったと。
ACジャパンの広告によって「子ども食堂」の
認知度が上がりました。
誰でも来てもいい!というメッセージです。
こちらの広告は現場の人間からすれば大不評です。
この影響で本当に届けたい子供に届けられなくなった。
以前から来ていた人がふらっと来れなくなり、
予約制にしなければならなくなった所も。
なかには食費代を浮かすために
利用するサラリーマンもいる。
お米の配給などがあれば、乗ってきた外車を
見えないところに隠し、
米をもらって帰る大人もいる。
違法ではないので、
思いもよらない使われ方をされてしまいます。
これまでのようにご厚意で集めた食材を
必要な人に届けられなくなってきています。
ACジャパンの広告によって、
貧しい子供だけでなく誰でも使える、
大人も集まれる場所になれる。
そんなイメージが広がってしまったと。
活動する団体には補助金も用意されて、
補助金目当ての団体も出てきている。
現場で活動する人たちが共通して言われていたこと。
「近所のおばちゃんの所にふらっと寄って、
そこでお腹を満たす。
話したいことがあれば話すし、
話したくないことは話す必要はない。
親が何をしているかもこちらからは聞かない。
子供がふらっと寄れる場所を作りたかった。
補助金がもらえる・もらえないは関係ない。
私がやりたいからやっているだけ」
そのような純粋は思いを持っている方ばかりでした。
子ども食堂が増えたところで
貧困がなくなるわけではありません。
それは対処療法ですし、
政治的アピールに使われているように
見えてしまいます。
某首相は、
「子ども食堂を活動されている皆さんと伴奏したい」
といったコメントを出されてみたいですが、
当事者たちは
「別にあなたと伴走したいわけではない。
余計な干渉をしないで、そっとしておいてほしい」
と言われていました。
「子ども食堂がいらない世の中になればいい」
とさえ言っています。
本当は必要のない組織を作ると、
その組織を維持するための活動になってしまう。
「こども家庭庁」もその1つですね。
「やっている感」を出すための施策になる。
マクロで見ればその組織そのものを解体し、
予算を別のことに使うことの方が効果的です。
行政の関わり方や支援の仕方を間違えると、
意図した方向とは全く異なる方向に向かってしまう
事例と言えるでしょう。