貧乏な人は
貧乏な言葉を発しているし
豊かな人は
豊かな言葉を発しているし
ケチな人は
ケチな言葉を発しているし
お金持ちな人は
お金持ちの言葉を発しているもの。
そう。
自分がどんな在り方で
どのように世界を見ているのか
発している「言葉」で
けっこうバレバレです。
それは例えばこんな感じで
▼絶対に負けない姿勢のとき
▼そんな姿勢を手放した後
見ているものや
感じていること
同じものを目の前にして
まったくの別物。
これ、同じ方ですよ?!
同じ方から発せられた言葉たち。
こんな風に、
自分がどんな在り方で
どのように世界を見ているか
発している「言葉」で
自分は知らなくても
外の世界にはかなり筒抜け。
もしも自分が
絶対に負けない姿勢の場合
感謝は、
「必要以上に出したくない」という
心の貧しさとがめつさを
隠すためのものになるし
質問は、
「できてますんで」
「わかってますんで」
を示すただのアピールになるし
尊敬は、
注がれた愛と情熱を
「ただ感情的」としか受け取れず
その違いがわからないままになるし
視界は、
自分と何の関係もない人の活躍すら
「よくあんなに一生懸命になれるね」
「あれしかできなくて、可哀想」
という見下しの材料になる
絶対に負けない姿勢は、
「確かにそこにあるもの」が
見れない、
感じられない。
感謝しているようで
感謝しているテイ
質問しているようで
質問しているテイ
尊敬しているようで
尊敬しているテイ
謙虚なようで
なんて傲慢🫣
感謝しているテイで
がめつさを発する自分が
質問しているテイで
アピールしている自分が
尊敬しているテイで
見下している自分が
宇宙に何を表現しているのか
何を叶えているのか
冷静に見てみたとき
「負けること」より
こっちのほうがハッキリと
人生においてイタ過ぎるし
そんな、趣味の悪い遊びを
選ぶことから足を洗ってみたら
内側からの
じゅわん…♡
が、
それはもう、とびきり格別で
絶対に負けない姿勢だったときに
感じてたしあわせや豊かさ(お金)など
偽物だったくらいに思っているわたしは
あなたにも
避けずに見て欲しいー!!!って
熱量込めて願ってしまう部分なのです。
姿勢とは、在り方。
在り方とは、
全てのはじまり。