今日も、犬とベッドシェア -83ページ目

今日も、犬とベッドシェア

おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
不定期更新&長い記事多めです

前置きしておこう…現行の日本国憲法では第20条で「信教の自由」という権利を保障している。

 

ざっくり言うと、私のように無宗教・無信仰・無神論者でも良いし、伝統宗教に限らず見るからに怪しい新興宗教(具体的な名前は伏せます)を信じようがそれは個人の自由なのだ。

 

日本では「法律<憲法」なのでこの権利は誰にでもあるし、それを妨害してはいけないということは学校で習った…はず。

 

政治的な話は置いておいて私は基本的に憲法で保障された権利は守らなければいけないものというイメージが強い、この記事はそんな内容の話。

 

何度も書いているが私はこのような考え…でも、パートナーの親は特定の宗教に対する「信仰」がある。

 

よって、死んだ後の骨をどうするかも考え方の違いがある。

 

私は死んだ後は「自然に返したい」という思いと、パートナーはビーチリゾート好きで日本から比較的近い海外主要ビーチリゾートは結構制覇しているので将来的には「海(できれば東京湾とかじゃなくて綺麗な海…理想はグアム、実現出来そうなのは沖縄)への散骨」を希望しているし、その時が来たら実行しようと思っている。

 

一方、パートナーの親は「死んだら墓に入るもの、自分達用の墓を実家に購入済みなのでそこに納骨したい」という希望。

 

ここまでは「分骨」といって骨を2つの容器に分けることで解決できる…分ける比率とかも色々あるらしいけど、今回は平等に2等分することにした、今風に言うと「シェア」である。

 

問題はここから…購入した墓の所在地が「公営墓地」もしくは「民間霊園」だったら分骨して終了、のはずだった。

 

しかし、パートナーの親が購入した墓の所在地は「寺院」だったのだ。

 

あぁ、ここで仏教の「しがらみ」が発生してしまった…納骨するには「以下の条件を満たすこと」が必要なのだそう。

 

・火葬の前に「戒名」をつけること

・火葬の直前に「読経」をすること

 

ん~どう見ても「宗教色・宗教要素」です、一番避けたいやつだから無宗教葬にしたのに。

 

じゃあ、分骨なし!!ということで全部取りというのも非常に大人げないしここで拗れてもパートナーが一番可哀想な気がする。

 

ある意味遺産相続よりもくだらないだろう…私が折れればいい?それでは自分の信念を曲げることになる。

 

冒頭で書いたように宗教を信じないも信じるも「個人の自由であり保障された権利」なのだ、パートナーも無宗教だったが仏教とは縁があった人だし、親には親なりの信念があるのだろう。

 

ということで、以下のような折衷案が出された。

 

それは「葬式を2回行う」事…要は1回目は仏教(宗派不明)に乗っ取った仮の葬式を私抜きで行い、2回目は私の提案したプランで本葬を行い「火葬直前の読経には同席しない」という事にした。

 

お互いにかなり譲歩…そして苦渋の決断かもしれない。

 

実は無宗教葬の「最大のデメリット」であることは重々承知していた、まさかそれが現実に起こるとは思いもよらなかったのだ。

 

それでも互いが納得出来ればそれでいいのだ、人を想う気持ちに「決まった形式」なんて無いのだ。

過去記事では直葬にでも…なんて書いていたけど、さすがにそれはかわいそう(誰が?私が?)だと思った。

 

過去記事の時は私とパートナーだけになった時を想定していた、しかし…今回は違う、順番が。

 

という事で直葬はやめて「かなりこじんまりとした葬式」を行うことにした、実は個人葬から社葬まで対応していて役所やそれに近い法人ともつながりのある業者を知っていたのでそこに依頼することにした。

 

内容については「私に任せる」との事だったので、以下のような要望を提案した。

 

・いかなる宗教でも「宗教色」や「宗教を連想させるもの」は一切入れない事

・内容はできるだけシンプルに

・自分達の言葉で送りたい

・パートナーの好み(クラシック音楽が好き)を可能な限り反映させる

・菊の花など、いかにも「葬式」みたいのは嫌

 

という事…実は子供の頃から「仏式の葬式」にこれでもかというほどの違和感を持っていた(たぶん神式、キリスト教式でも違和感持つかも?)。

 

キラキラネーム(一部ネット民はDQNネームと呼ぶ)以上に意味のわからない戒名…ランクがあって価格差がかなり大きいと言われているアレ、三國連太郎氏が「いらない」と言ったやつ(三國氏の場合は芸名で葬式を行ったそう)、私もいらない。

 

パートナーの親はパートナーの名前にはかなり思い入れがあったそう(年代的にキラキラではない、念の為)、私はその名前を尊重したいと思ったのです…時々、自分で名前の由来を語っていましたから。

 

あと読経…あれ聞くと耳塞ぎたくなるんです、おそらく親の影響。

 

そもそもあの内容、聞いてる方も唱えている方も「意味や内容」を理解しているんですかね?私には反復効果で「暗記」しているようにしか聞こえないのです。

 

それよりも本人の好きな音楽流してみんなで聞いた方が余程有意義だと思うのですが…今回はクラシックだったのですが、ヘビメタやパンク好きの場合はどうなるのだろうか?やっぱり流す?

 

仏式で何より嫌なのが「お布施」…あれでボロ儲けしてる人もいるとかあちこちで聞いてものすごい嫌気、とある投稿系ラジオ番組で「外車乗って来て、読経上げたらさっさと帰っていった」という投稿を聞いてまさに「坊主丸儲け」とはこういう事なのかと確信した。

 

一番の思い入れは「自分達の言葉」で送りたいという気持ち。

 

皆さんは漂流郵便局という郵便局を知っているだろうか?集配局でも特定局でもない…そもそも、赤い会社とは何も関係のないアート関係施設なのだけど、ここのコンセプトが私の思いと見事に一致していた(偶然にもふと、思い出した)。

 

詳しくはリンク先を見ていただければわかるけどここは「届けたくても届かない手紙」を預かってくれる不思議な郵便局なのだ、単にメッセージを送るだけなら書いてそのまま棺桶に入れてしまうという方法もあるけどそれでは焼いて終わってしまう…でもここに送ればいつか届くかもしれない、そして送った言葉はこの郵便局の中で残り漂い続ける。

 

という事で、1人1枚ハガキに自身の想いを綴りここに送るというセレモニーを行うことにした(投函は業者に依頼します、何を書いたかはその人の心の中にしまっておいて欲しい、信書の秘密だ…微妙に違う?)。

 

という事で以下の進行になりました。

 

会場に集合

音楽流しながらしばらく歓談(?)

パートナーへの「言葉」を執筆する

お花とか入れる

出棺

 

という流れになりました、一般的な流れに比べるとかなり簡素化しているように見えますが個人的にはひとつひとつの流れに意味を持たせたい。

 

葬式でも結婚式でも宗教形式に乗っ取ると、私のような人間には「マニュアル化」や「流れ作業」に思えてしまうのです。

 

と、ここまでは順調に進んでいたと思えたのですが…

唐突ですが…パートナーが死にました。

 

詳しい死因などはこの場ではお話できませんが、死んでしまったのは事実です。

 

DSC_0181.JPG

バラかカーネーションが欲しかったけど無かったのでトルコキキョウ、これはこれでキレイなので良し。

 

本人がいつも座っていた所に花を置いてみたら少しカラッポ感が薄れた気がします…いずれ骨が戻ってきますが(流石にここには置かない)。

 

私は1日の間に数時間は「一人の時間が必要」とは常に言っていたけど、本当に1人になるとは思ってもいなかったです。

 

過去記事で「スピリチュアルにアレルギーがある」という旨の記事を書いた事がありますが…実は「宗教」も大嫌いという事も書いていた。

 

と、いうことでこの内容…例によってシリーズ化決定です。