2月4日、午前2時57分…パピヨンさんが永眠しました。
15歳10ヶ月でした。
去年の冬から膵炎や慢性腎臓病で1日おきのペースで点滴打ちに行っていて、腎臓病の方に関しては「ステージ4」の末期とは聞いていましたが…16歳の誕生日を迎えることはできませんでした。
3日の夜に意識を消失して、そのまま看取りに入ったのですが、思えばその前の週あたりから食欲が今までよりも更に低下して今までの半分の量しか食べられていなかったのが、最期の方は量は変わらず食べるのが1日おきになっていたんですよね。
それでも薬は飲ませようとおやつに隠して食べさせていて、それは食べてくれることの方が多かったんですが3日の朝はそれすら受け付けず…今までは腎臓が悪いこともあってか?水をものすごい勢いで飲んでいたんですがそれも飲まなくなってた。
この前日、点滴の為に通院していてその時に「ご飯を食べる間隔が1日おきになってしまった、爬虫類みたいですよね」と報告はしていたんですが、その前に「本人に負担のかかる強制給餌を含めた延命治療は一切やらない」と宣言していたのでこれまで通り点滴だけは続ける…という方向でいました。
調子が悪くなってからはヒィヒィ鳴くこともなくなってしまったので、鈴付きの猫用首輪を付けていたんですがそれまで3kgくらいあった体重が1.5kg程度に減ってしまったため一番短くしてもゆるいくらいでした。
まったく鳴くことがなくなってしまったパピヨンさんでしたが、意識を無くす前に急に鳴き出したんですよね…パピヨンさんなりに「迎えが来た」ということを教えてくれたのかな?
その声を聞いた時に「これはもう看取りだ」と確信した私は、パピヨンさんが息を引き取るのを確認するまで起きていようと決意しそのまま徹夜することにしました。
本当に末期の頃はほとんど何も口にしていない状態だったので、その後の処置も体をキレイに拭いてあげる程度で済んだことと、本人もほとんど苦しまずに逝ったのが救いでした。
あと、これが私が外出してる時じゃなくて本当に良かった。
パピヨンさんが生前使っていたベビーベッドを祭壇にしました
事前に購入していたオシャンな棺に自作した見送り布団を敷き、パピヨンさんを寝かせました。
床に直置きというのもちょっとアレだと思い、夜寝る時に使っていたベビーベッドの配置と底板の位置を変えて急遽祭壇としました。
念の為エアコンを冷房にして、冷凍庫にあった保冷剤で体を冷やしていました。
お葬式についてですが…最近は車で自宅まで来てくれる火葬業者も存在しているようですが、黒に近いグレーな感じがするのと(だから無記名の車を使ってるんでしょ?)、動物といえども遺体を焼き芋のように車で焼くのって倫理的にどーなのよ?と思っているので、火葬設備のある動物の供養を行っている寺院にお願いしました。
当日はタクシーで行った(パピヨンさんが見えないようにスカーフで覆って)のですが、私が行き先を告げると運転手さん、何かを察したか?現地につくまでずっと話をしてくれたのはかなり救われました…ちなみに永山の病院から退院して来た時に乗ったのと同じ会社です。
現地に付くと、さすがお寺というべきか?お線香の匂いが漂っていて晴れていたためか?そこまで寒いということもなく…持ち込み棺だったので受付の人にそのまま火葬できる確認してもらい、そのまま待合室へ向かいました。
焼き上がるまでは約1時間かかるそうで、その間は待合室で待機…ちょっとしたお菓子が置いてあったのでそれを食べつつ、その横に置かれていた「仏教のひみつ」なる漫画が置いてあったのでそれを読み耽る…
ウェブでも無料で読めます、日本って神様多すぎじゃね?って思っていたけど仏様もそれなりに多いということに気づいた。
ギリシャ神話も神様多いけど、こっちは信仰の対象ではないのでちょっと事情が違う。
そうこうしているうちに焼き上がり…業者によっては骨壺に収納した状態で渡してくれるところもあるみたいですが、私は自分で骨を拾いました。
人間の場合は職員の人がある程度骨を砕いて山盛りにした状態で見せてくれるけど、パピヨンさんの時は小型の恐竜の化石みたいに姿で並べられていて、ちょっと博物館味がありました。
あれはちょっとショックだったわ…パピヨンさんは骨が細いからものすごく小さくなってしまった。
でも、職員さんに「15歳の子でここまで骨が残るのは珍しいです、相当骨格がしっかりしていたんですね」と言われた時に自分の育て方は間違ってなかったと思えました。
人間の時と同様。箸で拾うのですがものすごく小さい骨がある&手が震えてうまく拾えなかったので、手で拾いました。
用意してもらった骨壺は想定していたものより小さい小動物用サイズで想像以上に小さくてまたショック…その後はそのまま初七日まで終えて、仮の位牌も頂いて葬儀は終了。
すごく丁寧に対応してもらった事に感謝を示すと同時に、ある程度形式や流れが決まっているお葬式って残された側としては上手く言えないけど、喪失感にどっぷり浸れて良いのかもしれないと思いました。
パートナーさんの時は自分で流れなどを考えなければいけなかったので、実はそれはそれで結構大変だったんです