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今日も、犬とベッドシェア

おじいちゃんのパピヨンさんと暮らす、ソロ活&おひとり様人生エンジョイ中な私の雑記帳
不定期更新&長い記事多めです

過去にドラマ化もされている漫画ですね…自閉症の子供とその親の話なんですが

 

作者死亡で未完のまま終わっていたのは知らなかったわ

 

内容や展開になんだかモヤッとしたのはおそらく私だけではないはず…あまりにも当事者側の理想が強すぎると言いますか、キレイにまとまりすぎてるというか。

 

具体的にどのあたりにモヤッたのか?をピックアップしてみると

  • 同じマンションの人や近所の駄菓子屋のおじさんなど周囲の人達があまりにも優しすぎる
  • (見かけ以上に障害の程度が重く)支援校相当と言われたのをゴリ押しして支援級にねじ込んだ、その前には保育園にもねじ込んでいる
  • 子供がトラブルを起こすたびに「障害なんだから仕方ないでしょ」「理解してよ、わかってよ」的な言動…あげくプリントまで作って配布
  • 主人公の母親がネズミー映画に出てくる古の”プリンセス”みたいな感じがして私は「この人とは仲良くなれないわ」と思わせるタイプ
  • 同級生の接し方がどうも現実離れしすぎてる気がする…子供って結構残酷なもんだと思うんだけど

と、あげたらキリがないのでこのへんで…結構、この作品呼んでモヤッとした人は少なくないはず。

 

昔「どんぐりの家」ってやっぱり障害児とその親の話を描いた漫画を読んだことがあるけど、こっちはそこまでモヤッとしなかったんだよな。

 

 

こっちの作品はそもそも時代とか、障害の種類も違う(こっちは聴覚障害+知的障害や自閉症)けど…むしろ、こっちの方がもっと残酷なんだけどそれでも親達の努力や困難に立ち向かう様子が胸を打たれる。

 

作者が男性でもともと青年誌で連載されていた作品だからなのか?(光とともに…は女性作家で主婦向け雑誌で連載されていた

)こちらの方が変にご都合主義でないあたり現実味があって個人的にはこっちの方が好きかも?

 

どちらも紙の書籍や漫画を配信してるウェブサイト、図書館で借りられる本なので興味のある方は一度手に取ってみてもいいかもしれません。

 

そして、できれば両方読んでみてほしい。

よくYouTubeに上がってる昔の曲のMVとか昔(主に昭和~平成初期ごろ)流行った玩具やグッズを紹介&解説してる動画のコメント欄に「この頃に戻りたい」とか「あの頃は良かった」的な書き込み、それもなぜかポエムチックに書かれてることが多い…をよく見かけるけど、みんなそんなに子供の頃とか昔が良いんですか?

 

私は正直なところ、子供の頃は「しんどかった」という記憶しかないから、戻りたいとか微塵も思ったことない。

 

当時はなんでなのか?言語化することができなかったけど、今なら出来る…それは「子供らしさ」とは対極にある存在だったから。

 

子供だからといって感情や本能をむき出しにするタイプじゃなかったし、自分と同い年の周囲の子供に対しても「こいつらバカだな」とどこか冷めた目で見ていた。

 

端的に言えば「子供らしくない」子供だったわけです、世間の思う子供らしさのイメージである「素直さ」とか「無邪気さ」「元気いっぱい」的なものは昔も今も一切持ち合わせておりません。

 

よほどのことがない限り感情をあらわにすることもないですし、何かを指示されたときには「筋の通った正当な理由」を求めていましたし、”お友達”とみんなで仲良く外で遊ぶよりも一人で何かを作ったり本でも読んでるが面白いと感じるタイプですので…例えばおままごとするよりはままごと道具の造形とか眺めたり、人形用哺乳瓶で人形にミルクを飲ませて「お世話遊び」するよりも人形用哺乳瓶の傾けると中身がなくなる仕組みの方が気になるタイプだった。

 

これは覚えていないのですが、私は3歳くらいの時点ですでに「牛乳を飲まない生活」を送っていたようで、給食で出された牛乳を人目を盗んでしれっと流しに捨てていたらしい…それがバレて後に監視下に置かれていたとか?それくらい「押し付けられることが嫌いで、自分で考えて納得しないとやらない」タイプだったのかもしれません。

 

箇条書きで説明すると

  • おとなしい
  • みんなで遊ぶより1人でいることを好む
  • 不満やストレスが一定数蓄積されると”爆発”する
  • 行動に移すには「論理的な理由」が必要
  • 子供扱いされることが嫌

といった感じだろうか?子供の頃から、子供ではなく「1人の人間、むしろ小さい大人として扱ってくれても構わない」と思っていた。

 

相手が親だろうが先生だろうが「対等な関係」を求めていたと思う…幼稚園の時はある程度、こちら側を「1人の人間」として尊重されていたように感じたが、義務教育期間中は常に何かに押さえつけられてるような窮屈感が酷かったし、そもそも人として扱ってもらえていないようにすら感じて、それまで保たれていた尊厳をズタズタに切り刻まれたと思った。

 

これは最近思うことですが、もしもの話…幼稚園じゃなくて保育園に入れられていたら子供ながらに詰んでいたかも?ということを考えるようになった。

 

私自身、保育園という場所がどんなところかはよくわからないけど(知ってるのは厚労省管轄の福祉施設ということくらい)、去年解散した例のグループの中に保育園で保育補助の仕事をしている人がいて、その人から「保育園とはこんな感じの場所」なんだという話を何度か聞いていた事がある。

 

園によって差はあるだろうけど、保育園という場所は「子供は子供として扱う」というの鉄則が存在するそうで…そうなると「小さい大人」扱いは当然ないし先取り的な「少しお姉ちゃん」扱いもしてくれないだろう。

 

あと、私は子供の頃から雑多な騒がしい環境が苦手なところがあるので幅広い年齢の子供がいる保育園は環境的にも合わないと思う…それと、こういうところは昔から障害児の受け入れとかやってたりするので「明らかに変な子」と一緒にさせられるのもしんどいかも?

 

と、子供の頃は生きづらさ指数がものすごく高かったけど年を取るたびにそれが軽減されてきた自分としては「子供の頃に戻りたい」とか「あの頃は良かった」という思考そのものが理解できないのだ。

 

私と同じような性格タイプだと、時代背景とか関係なく子供時代はしんどいんだろうなと思います。

 

親が心理学系に知的好奇心強くてエニアグラムとか16タイプ性格診断とかに興味を持って自分の子供のタイプを調べようとしたりしない限り私のようなタイプ(INTJ、タイプ5)というのはどこに行っても理解してもらえなかったり、下手したら「発達障害じゃないの?」とあらぬ誤解をされるかもしれない…この性格タイプと発達障害の特性はかなり重なるところがある。

 

特に最近の子供の発達障害は過剰診断も問題になっていたりするのでそこの見極め間違えると取り返しのつかないことになってしまうわけです。

 

特に日本は子供は子供として扱う風潮が強いので、私と同じ性格タイプの子供たちも強く生きていきましょう。

友人関係は基本、一定期間続けたら自分から切ってしまうことが多い気がする。

 

子供の頃とか学生時代、そして大人になってから出会った人達や友達(だと思っていた人達)全員をふとしたことがきっかけでフェードアウトさせたり自分からもう関わらない宣言したりすることが非常に多い気がする。

 

関係を切ってしまう明確な理由はあったりなかったりだけど、明確に言えることは「この人との関係性に先が見えない」とか「関係を続けることにメリットが見出せなくなった時」に切ってしまうことが多い。

 

基本。自分からこまめに連絡するタイプではないので自然とやりとりする頻度が減って、気がついたら関係が切れてたってパターンになる。

 

そういう傾向があるためか?学生時代の友人はほとんど卒業した途端に関係が終わる、卒業後も数回会ったことある人もいるけどなんか違うんだよね…当時の気持ちとは違う感情が芽生える。

 

特に、高校生の時に一番仲の良かった友人は卒業後にも何度か一緒に遊びに行く機会があったが、ある日突然友人の口から”女になった”というニュアンスの話を聞かされた時にふと「あなたからそういう話は聞きたくなかったわ…」という気持ちが芽生えて、その後の関係を切ってしまったことがある。

 

自分も通ってきた道なので汚らわしいとかそういう感じではないけど、なんか引いてしまったというか…元々「将来は子供のころから付き合いのある友人とルームシェアして猫でも飼う」としょっちゅう言ってたので、そういう異性と一線を超えるような関係になるとは思ってもいなかったわけ。

 

ライフステージが大きく変わるとかそれまで付き合ってきた環境が大きく変わった時が友情の終わり時になりがち。

 

それ以外のパターンだと、相手と関係を続けているうちに「この人は自分とは感覚や考え方が違う」と思うと、その時点で関係を終わらせたくなる。

 

過去に書いた自分で作ったグループから抜けた時はこれが主な理由だった。

 

ほぼ全員と金銭感覚が合わない、あまりにもレベルが違いすぎるのがいる、意識が低い、開放性も低い、当たり前のようにドタキャンする人がいる…理由を書き出せばキリがないけど、要は「自分が思っていたグループ像とかけ離れてしまったことが、ものすごくストレスになった」のだ。

 

よく考えたら私はそもそも他人に対する興味が薄いのだ…パートナーさんに対してもトラブルに巻き込まれたり巻き込まれなければ外で何をしてきても構わないよというスタンスだった。

 

ある日突然、何を思ったか?一人で東北まで行くと言い出した時も、私は引き止めることなく送り出して向こうに行ってる時も夜に来る定時連絡以外、ほぼ放置していた。

 

こんな私と10年間も関係が続いたこの人は私のプライベートでの人付き合い最長記録の数少ない保持者である。

 

人と上手く付き合えないのではなく、人と上手く付き合いたいと思わないタイプなのだ。

 

今は友達を持つというよりも「ゆるいつながり」を広げていくほうが、自分には合っているような気がする。